4.全てをかけて願う
「八王子で瑞稀さんの最後の言葉を歌いたい」
それが十愛の願いだった。
羽衣瑞稀が最後に書いた、歌うのは間に合わなかった言葉。
「瑞稀さんの最後の願いを皆に聞いてほしい。誰にも届かずに消えてしまうのは嫌なんだ」
だから彼女の始まりの地で歌いたいのだと。
一年をかけて一曲を仕上げる。
時間切れになるだろう十愛の体では楽器は厳しい。
かの羽衣瑞稀のように歌って踊ってはもっと無理だ。
しかし一緒に演奏したいという十愛の友達はすぐに集まった。
全員が十愛からその運命を聞いている。少女達の意思は固かった。
「十愛の事を忘れたくないんです。だから一生残る演奏をしてみせます」
「友達ってのはそういうものだって十愛ちゃんが教えてくれたから」
「瑞稀さんと十愛ちゃんがくれたものをボクらで繋げたい」
「湿っぽいのはナシ。やってやろうじゃん、一世一代の晴れ舞台!」
一夜限りのバンドの名前は「羽衣ディスコード」。
上手くいかなくても全員で最後までやるんだという願いを込めて。
箱の準備は私と「月が島」と十愛の友達で、皆でやってみせた。
といっても羽衣瑞稀の伝説が始まった場所として大いに潤ったライブハウスであり、
それに彼ら彼女らも「トーア」の伝説を忘れられなかったので。
一報を入れたら即座に会場を用意してくれた。
だから、その。上手くやってくれたのは他の皆。私は大した事は出来ていないのだろう。
十愛の頑張りが多くの人々を動かしたのだ。私は「誇り」という感情を覚えた。
自分の事ではないのに自分の事より嬉しい。
少しでも十愛の手伝いが出来てよかった。
去年のイブから一年と一日。
十二月二十五日のクリスマスライブ。
「月が島」からはちょっと遠いのに八王子のライブハウスは満員御礼。
席を取れなかった子達の為にも録音をしておく段取りをしておいて良かった。
演奏直前の控室。
関係者という事で何故か私にも部屋が用意されていた。
一曲のためにライブハウスを貸し切るから控室は余ってるんですよ、
と説明はされたが本当にそれで良かったのだろうか。
とは、いえ。これは十愛のたっての希望でもあった。
歌う前に私と話がしたいから、と。
「入るよ、椿」
この後に演る衣装を着たまま十愛が部屋に入ってきた。
右手に白手袋、左手に黒手袋。
ダメージジーンズにカラフルなペンキを飛ばしたシャツ。
からのウインクしながら決めポーズ。
これはこれで白い少女によく似合うが実は予想外な装いである。
らいとでぽっぷ? だと皆が言っていたような。
「そういう衣装って名前があったような、えーっと」
「名付けてキュートパンクってヤツだよ椿。ふふん、かっこいいでしょ?」
「トーアは何を着たって似合うよ。どんな方向性でも出していけるさ」
「そーいうのじゃなくってさ、かっこいいって言って。言ってよぉ」
「かっこいいという言葉はよく分からないけれど、トーアが言うならきっとかっこいいよ」
「あはは。椿だからそれで許してあげる」
ニカッと笑ってから、十愛は私の隣に座った。
椅子を寄せて私に身を預ける。十愛の体はわずかに震えていた。
目を伏せて手袋を外す。
10代前半とは思えない朽ちかけの両手がそこにあった。
私も朽ちかけの手で十愛の手を握りしめる。
二人の手に涙がこぼれた。
「私、途中で頑張れなくなっちゃうかもしれない」
「うん」
「本当はこれで終わりなんてイヤだ、ずっとずっと椿たちと一緒にいたい」
「…うん」
「私、怖いよぉ。つばきぃ…」
「大丈夫、大丈夫だよ。私がいるから。ずっと一緒だから」
何が大丈夫なものか。私が十愛の運命にできる事など何もないのに。
それでも私は出来る限りの虚勢を張った。
初めて会ったあの日のように儚く怯える十愛の側にいる事ができるなら。
私は死んでもいいと思った。
涙を流せばいずれ地も固まる。
私と十愛は決意した。
二人で願いを叶えるんだと。
私は十愛の両手に白黒の手袋を被せた。
十愛の折れそうな指を慈しむように。
私達の秘密を二人で隠して。
二人で立ち上がれるように。
「…じゃ、行ってくるね!」
「私も一番前にいるから、何かあったらすぐ助けるから!」
「大丈夫、ブレード握って聞いてて!」
小走りで「羽衣ディスコード」の元へ向かう十愛。
後は十愛たちを見守るだけだ。皆は立派に頑張れる筈。
そうに決まっている。
席の場所だけは私もわがままを通すつもりだった。
のだけど「一番いい場所は櫛奈田さん以外ありえません!」と全員に言い切られてしまった。
わがままのつもりだったのだけれど。
本当に皆はそれで良かったのだろうかとは思いつつも、
私はステージの十愛たちを見つめた。
流石にここに銃を持ってくる訳にはいかない。
代わりに白く眩く光るブレードを両手で握って祈った。
どうか十愛の時間がもう少しだけ続いてくれるようにと。
…マイクが入る音がした。十愛達は話したい事があるという。
それを知っている皆もしんと静まり返った。
「知っている人達も、初めましての人達も! 私達が「羽衣ディスコード」です!」
「五年前の伝説のアイドル、羽衣瑞稀を知っていますか!」
「あの人の最後の歌を、今、私達が引き継ぎます!」
「大好きな人達のために!」
「ここに来てくれたみんなのために!」
「いっぱい頑張って歌います! だから、聞いてください!」
「羽衣瑞稀と「羽衣ディスコード」の! 「永久に…「トーアにとどけ!」!」
数え切れない願いと皆で積み上げた全てを込めて。
十愛はマイクを握った。
…本当は十愛が歌っている間ずっと、彼女の体が保つように祈るつもりだった。
しかしいつの間にか私は真っ白なブレードを振り回して、
何度も十愛の名を叫んで応援していた、らしい。
正直に言えば感情も情緒もぐっちゃぐちゃで、
何があったか何をしたのかはよく覚えていないのだ。
特に十愛が私に手を差し伸べた後の記憶は涙と熱狂と混濁で何が何やら。
一つだけはっきり覚えているのは演奏が終わって泣き崩れる私の所に、
ステージから駆け下りて抱きしめてくれた十愛たちの体温。
「これじゃあべこべだよ、限界オタクじゃあるまいし」
だなんて十愛たちは泣き笑いしていたけれど。
それは別に構わない。初めての涙が最高の嬉し涙になったんだから。
これが私達の一番の思い出だから。
ともあれ私に限らずみんなこんな感じだったらしい。
ライブの映像を見返したら何だかとんでもない事になっていたのは分かった。
あのライブハウスにいた人々ならば絶対に忘れない歌。
白い少女トーアと「羽衣ディスコード」の伝説。
「きっとトーアは羽衣瑞稀と同じ存在になったんだよ」
私の心からの言葉だった。少なくとも私にとって十愛は永久の伝説だ。
「あの人には一生届かないから。でも、一歩は近づけたかな」
十愛はそう言って笑った。
あの会場にいた人々をいっぱい愛して、忘れ得ぬ大切なものをくれた十愛。
何度だって言える、私は十愛の為に生きている。
最後まで十愛と一緒に生きるんだと。
こうして十愛は立派に成し遂げた。
成し遂げて、遂に…命を使い果たした。