第5話
部屋の姿見を前に、くるくると真新しい洋服を翻すは浮かれたシャララ。ふんふんと鼻歌混じりで幾度となく回っている。
「ノリヲのセンスを信用などしていなかったのですが、中々どうして。捨てたもんじゃあねえですね」
パンプスでステップを踏んでいるが、ここは我が部屋であり畳上である。せめて靴を脱げと伝えると、渋々ながらもシャララは従う。
改めて彼女を上から下まで見下げると、我ながら良い出来を実感し自賛する。
白のオフタートルネックはシルエットがゆるく、男心はくすぐられる。さらにそれを淡いチェックのナロースカートにイン。タイトめですっきりとしたスカートと組み合わさることで、印象も爽やか。更には縦長効果も生まれて、小ちゃいシャララもスタイルアップして見える。
シャララにはフェミニンよりもガーリーな印象がよく似合う。何故ならば彼女はまだ幼い少女であるからだ。大人の押し付けも存在するのかもしれないが、年相応に着飾る乙女は大変に魅力的である。
だが私はぐぐっと背伸びをしてみた『少女の冒険』を否定することもない。淡いパステルカラーを卒業し、シックでモノトーンにコーデを決める少女が素敵なことは厳然たる事実であるからだ。
もちろんシャララ用にも準備してある。甘いガーリー、上品なフェミニン、パンクなバンギャ、なんでも御座れだ。
なおセーラー水着も含めて予算は大幅に超えており、私は就活用リクルートスーツを質に入れたが問題はない。いずれ王となるのだから。
「しかしノリヲ。あなたがファッションに詳しいとは、私は驚きを隠せねえです」
首を傾げるシャララだが、その驚きは的を射ている。私がファッションに明るくなったのはここ一週間の出来事だった。
女子中高生の流行りなど分かるはずもない。彼女たちが投資家であるとすれば、私のファッション情報など靴磨きの少年である。それほどまでに世界の流行に疎いのだ。
しかし適当に英字ティーシャツや龍の刺繍が入ったジーパンなどを買ってくれば白い目は明らか。
ならばどうする。勉強しかない。
私は少女向けのファッション誌を買い漁り穴が空くほど読み込んだ。次には書を捨てる勢いで街に出て、繁華街を歩く女子中高生を観察、時には大量の写真を撮るまであった。もちろん撮影の許可は逐一得ている。私のシャッター回数と彼女たちの通報回数は良い勝負をしていた。
パソコンのハードディスクが少女たちの画像で埋め尽くされた今、私は思う。戸籍の無い少女に巨大な遺骨、もはや非合法な量にまで達した写真。家宅捜査されたら私の人生は終わることだろう。
「それよりもシャララよ。明日は早いのだ。早々に着替えて寝た方が良い」
「そうですね。名残は大変に惜しいのですが、汚してしまえば本末転倒。着替えてくるので食事の準備は頼んだのです」
言うが早いか茶の間で着替えを始めるシャララである。私は慌ててキッチンへと避難し、一息を吐く。地上に馴染んだのだか馴染んでいないのだか。どうにも彼女には隙がある。
「むしろ、馴染んだということか」
明日、私と外出することも含め、シャララが許す気は大きくなったということかもしれない。
いいや、それは自惚れか。父の遺骨の目の前でセーラー水着への着替えを現在進行している阿呆な娘っ子にそこまで心の機微は存在しないことだろう。
私は下ごしらえしておいたリュウを摘み食いして、呟いた。
「何故私が飯を作るものか」
シャララは私に飯を作る為、ここにいるのではなかったか。
ーー
二十年強生きてきて選択を誤った経験は一度や二度できくことはない。つい最近に店でラーメンを食べた時にも、つけ麺にすればよかったと後悔した記憶も新しい。
リュウを拾ったこと、シャララと暮らし始めたこと、海底の王になること。これらの選択が私にとって誤りであるかは未だ定かではない。だが最近に限って言えば、私はきっと楽しんでいると思う。今日、シャララと外出するということも、実のところ
は心が踊っている。
だからこそ、シャララと二人で出かけた今、私は悔いている。
「ノリヲよ。どういう了見をしていれば私をここに連れてくるのですか」
「……貴様に服を買い集めているうち、キャンペーンでチケットが手に入ったのだ。金も無くなったのだから仕方があるまい」
展示物を白い目で眺めるシャララ。彼女の視線の先、百科事典のように分厚いガラスを隔てた先では色とりどりの魚が泳ぎ回る。
「水族館、私は嫌いでないのだがな」
「海底の住人に魚を見せる意図を聞いているですよ。日々の生活で飽きるほど見ていた魚類を見せられて私はどう思えばいいのです? もっと地上ならではの場所に連れて行く甲斐性もねえのですか」
水族館とかある意味では地上らしくないか。魚が日常ではない地上人らしい施設じゃあないか。とも思ったが、この解答はシャララが求めるものではないことくらい私でも分かる。
「まったく、呆れてモノも言えなくなるです」
十分に言っていたではないか。
シャララは退屈そうに身体を伸ばしながら水槽を離れる。さらにはベンチに座って寛ぎ初めてしまった。
『シャ……様? いや……』
シャララの元に向かって機嫌でも取るかと考えたその矢先、微かな声を私の耳は捉えた。なんのことはない、他の客の話し声とも最初は思ったがどうにも気になった。
『シャララ様に間違いない』
空耳か、いや、確かに聞こえた。声の主たちはシャララのことを話している。
これはどういうことか。この地上に、私以外の人間がシャララを知っている者などいる筈がない。何故ならば彼女はずっと私の部屋に引きこもっていたのだから。
声の主は何処か。隣にいる私が恥ずかしくなるほど初々しい高校生のカップルか、親子にはとても見えない初老とスレた若い女の二人組か。
いや、声の出所は。
「水槽、か?」
私は眼前の巨大な水槽に顔を近付ける。色取り豊かな熱帯魚が群を成すその端に、一、二匹ほどの小さく薄汚い小魚がじっと外を見ていた。私は腰が抜ける思いをした。
『どうしてシャララ様が地上に?』
魚が喋っている。いや、そこまでの異変が起きているにしては辺りが自然すぎる。誰も気付いていないなどありえるのか。周囲で水族館を楽しむのはアベックだ。彼らは水族館でも互いのパートナーの顔を見ることしかせず、その耳も他へ向けることもない。彼らがこの異常に気が付かないことは必然とも言える。
「そうだ、シャララに聞けばいい」
そもそも魚たちが発した言葉はシャララ様である。彼女にこそこの異変を報告する必要があるだろう。
私は抜けた腰を気合いで入れ直し、シャララの寛ぐベンチへと足を進める。
「どうしたですか、ノリヲ。やはり魚など見てもつまらないとようやく気付いたですか? だったらさっさと別の場所へと連れていくですよ。私は回転寿司というアミューズメント施設が気になっていて……」
「ええい寿司屋は遊び場じゃあない……そんなことはどうでもいい。魚だ、魚が喋るぞ。しかも貴様の名を呼んでいるぞ」
シャララは持ち前のくりくりと大きな瞳をさらに丸くする。やはり異常事態。この現状をどうしたものかと私が頭を抱えると、彼女はあっけらかんと言った。
「そりゃあ魚だって喋るですよ。そしてお忘れかもしれねえですが、私は海底の王女ですよ? 有名人なのです」
「しゃ、喋るのか? 私の常識には存在しないことなのだが」
「ああ、地上人にとってはそうでしょうね。ノリヲも王のシルシを取り入れた上に遺骨を食べ続けているです。完全な海底人までもう少しで作り変わるということですね」
「そういうものか。いや待て、以前言っていたな。海底人の主食は魚だと。それはどうなのだ、意思疎通ができるのだぞ」
「命乞いは日常茶飯事ですけど、魚畜生が美辞麗句を並べ立てて乞うたところで何とも思わねえですよ。ノリヲは虫ケラに求愛のダンスを踊られてトキメキを覚えるのですか?」
シャララと話しているうち、私は中学生の時分を思い出した。髭も生えないし目に映る全てが光り輝いていたうえ、天使のように愛くるしかった時期である。
ある日、授業の一環で屠殺場見学が行われたのだ。屠殺場に出荷されてきた豚は丸々と太って可愛らしく、我々生徒もきゃあきゃあと遠足気分だったがそれも長くは続かなかった。動物が肉に変化する過程は無垢な学生には刺激が強かった。これも当時の話であるが、無修正の猥褻ビデオを初めて視聴した刺激にも少し似ていた。
級友の数名はその後、肉食を辞めた者や出家した者など様々であり新たな人生の誕生日を迎えた者も多かった。私といえばその日の夕食に出された豚カツに舌鼓を打っていた。
私は何を回想しているものか。これを思い返してどうしようというのか、最早わからぬ。
「しかし、魚の声が聞こえるのは不便な生活になりそうだ」
「そうですか?」
「酒ばかり飲んでいると金が無いもので、よくマグロ漁船や蟹漁に紛れ込んでいたものだが、言葉がわかってしまってはなあ。果てして今でも〆られるものか」
「海底王ともなる者が何を弱気なことを言うですか。それよりも私はお腹が空きました」
阿呆な会話をしていても腹は空くもので、その提案に私は乗らざるを得なかった。
ーー
「ノリヲ。私は寿司というものを神格化する地上人がよく分からねえです」
回転寿司を食べにきて何を言うものか。我々はカウンターに横並びで、茶を飲んでいる最中だった。
「切った魚を米に乗せるだけでしょう? 手間と旨味を重ねて最高の味を作り出す中華料理などと比べると全然大したことがないのでは?」
「私見だが、それらは料理の目的が違う。寿司、ひいては日本食とは素材を活かすことを目的としているのだ。美味い料理を作るために調理するのではなく、調理をすることで素材の味を引き出すのが寿司の特徴ではないだろうか」
「素材の味を引き出す?」
「ネタの切りつけ、シャリの味、湯霜や焼霜作りによる皮ぎしの油の活性化。技術も多いのだぞ」
漫画の受け売りだがな、という言葉は飲み込んだ。ふうむと私の話に耳を傾けるシャララ。納得できたかできないか、空腹に我慢ができないか。彼女は続々と回る皿に手を伸ばし始めた。
「ハンバーグ、マヨコーン、から揚げ……いずれも美味しいです。これが寿司屋伝統の技術なのですね…お見それしたですよ」
「私はサーモンだけあればいい」
回転寿司屋はキャンペーン中であった。天然活け締め祭りと名打ったそれはキッチンから阿鼻叫喚の叫び声を私たちに浴びせたが、意外と気にせず食せるものであった。