第二話
元来、私の食といえば細いもので、食事に拘った思い出はとんと無かった。好き嫌いも少ないもので、生米を齧りながら日々を慎ましく生き続けても構わない。
学友に誘われて評判の店にも行く。しかし美味いとは思うがそれだけであり、わざわざ並んでまで食べようとも思わない。流行りのスイーツがコンビニやスーパーの棚を占拠する時も私の食指はピクリともしなかった。とはいえ仕入れ過ぎにより発生したであろう見切り品には大変お世話になっている。
「しかしなあ、限度というものはある」
シャララが準備した食事のようなモノをみた私の言葉である。
テーブルには生魚が並ぶ。捌かれてなどいないし内臓の処理すらしていない、お陰で部屋中が生臭い。恐る恐る魚をめくってみると、その下には歪なリュウである。刃物で切断したわけでもなく、力任せに折ったのだろう。
「シャララよ。料理をしたことはあるのか」
「海底人は料理なんてしないですが? これは野蛮な地上人に合わせて『スシ』というモノをわざわざ作ってやったのです」
さらに話を聞くと、海底人の食事について教授してくれた。その辺を泳いでいる魚を捕まえてそのまま齧る。これだけである。海水と一緒に取り込むから味付けも要らないのだという。そりゃあ海底では火を使うことはできないのだろうが、余りにも酷い。どちらが蛮族だという話だ。
「地上ではそんな食べ方をしないのだ。切るなり焼くなり味付けしてから持ってこい」
「水中で生活もできない劣等種の分際で口の煩い……」
口の端々から漏れる罵詈雑言に知れるのは海底人の底なのか、シャララの人間性なのか。恐らく前者だろう。地上人を見下すことが海底人の教養でありアイデンティティなのだと私は感じていた。
「素材は素材のまま食べるのが一番なのです。魚を一匹丸ごと食べるのならば生が一番」
「……」
「反論はないようですね。それならば二度と口答えはしないことです」
「……できらあっ!!」
思わず口を突いて出た言葉。
「今なんと言いましたか?」
「魚一匹を丸ごとのまま、生より美味しく料理できるって言ったんだよ!!」
シャララは高笑いを見せて、言った。
「これは面白い地上人です。それでは魚を丸ごと料理して、その味で私を納得させてみなさい」
「え!? 魚を丸ごと料理!?」
「まともなコミュニケーションも取れないのですかこの地上人は……」
ーー
我が城の手狭なキッチンで私は頭を抱えていた。なぜならば大見得で啖呵を切ったにも関わらず、私には少しの算段もなかったからだ。
どうしてあのようなことことを口走ったか。それは、私が料理漫画をこよなく愛しているからにあった。食に興味のない私だが、料理漫画は違う。主人公たちが魅せる数々の現実離れした料理は味の想像は及ばず、更にはエンターテイメントなのである。そして荒唐無稽な料理で問題を解決する様に私は心を奪われ続けている。
そんな私だ。料理を馬鹿にしたシャララの態度に思うところもできる。むしろあそこまで悪役のムーブを見せられれば乗らない方が無礼であろう。寧ろこの展開を求められていたのだ。決してノリと勢いに身を任せた結果ではない。
「とはいえ策もない、か」
大学に通い一人暮らしを始めるまで台所への用事などつまみ食い以外を知らなかった男には、満足いく料理など思いつくわけもなく。年に一度くらいは気が向いて出汁からラーメンを作るなり、一人きりのバレンタインが寂しくて手作りチョコを偽装作成したりはしてきたが、まずは料理のイロハを知らぬのだ。はてさてどうしたものであるか。
「とりあえず焼いてみるか」
肉や魚は火にかけて焼くことでメイラード反応が起こって香ばしく食欲をそそる。じゅうじゅうと落ちる脂もまた風情である。
しかしどうだ。ただ焼いただけの魚を出してシャララは満足するのだろうか。素材を活かすという意味では焼くだけの調理はある意味ではピッタリなのかもしれないが、どう転ぶかは不明である。決して、魚焼きグリルを使用後に洗うことが面倒くさくて手を止めたわけではない。断じて。
「蒸すのはどうか」
蒸し魚は骨から出たエキスが全体に行き渡って魚の旨味をストレートに味わうことができる料理だ。およそ想像できる限りでは素材の実力を遺憾なく発揮できるだろう。しかし同時に、料理人の実力もまた遺憾なく発揮される調理法だ。私が挑戦したところでパサパサか生蒸しになるのがオチである。
「煮魚、は、好きじゃない」
私は甘い味付けの主菜が苦手だ。やめるに限る。
もはやこれまで八方塞がり。煮るなり焼くなり好きにしろとはこのことか。いや、煮るなり焼くなりしなければならないのは私なのだが。
部屋に目を向ければ、炬燵に寝転がり煎餅型にスライスしたリュウをボリボリと食べながらテレビをザッピングしているシャララがあった。服装は私が着古したグレーのスウェットであり、ブカブカでサイズは合っていなかった。
海底育ちのシャララ自身も魚臭く、仕方なしに風呂に入れようとすれば勝手に食塩を浴槽に追加する。折衷案として我が家のストックにはお洒落なバスソルトが追加された。手痛い出費この上ない。
何故に私はこんなだらしのない奴を満足させようと料理をしているのだ。そもそもシャララが私のためにリュウを料理してくれるという話ではなかったか、私は騙されていないか。
むしゃくしゃがどうにも収まらず、私は彼女が枕の代わりに使っていた本を勢いよく抜き取った。慣性の法則に引かれる頭は摩擦係数を越えて重力に従い落下する。畳とはいえ頭部をぶつければ痛いものだろう、シャララは頭を抱えてジタバタともんどりをうちはじめた。『何をするですか』などと涙声で訴えるシャララを見れば少しは溜飲が下がるというもの。
彼女に用事があるわけでもなく私は台所へと戻るが、片手に本を持っていることに気が付いた。シャララが枕に利用していたものだ。それは私が就活用にと買っておいた四季報であった。中を開けば真新しい紙とインクの匂いが漂い、私が真面目に就職活動へと取り組んでいなかったことを暗示する。
「王に内定したのだ。もう必要はあるまい」
くずかごにでも投げ入れようとしたが、我が自治体では書籍は資源ごみであった。以前いい加減な分別をした際には怖いおばさんに泣かされた私だ。もう間違えられない。
ゴミの日カレンダーを確認すれば、来月末まで資源ごみの日はないという。邪魔な本をさっさと処分してしまいたいものなのだが。四季報はずっしりと重く、文庫本に比べると大変に大きくて邪魔なのだ。ページ数も実に多い。
「……しかし待たれよ。こうすれば……」
天啓とはこのことか。四季報を手慰みにパラパラとめくっていたその時に、私の脳裏には稲妻が走った。この発想ならばあるいはシャララを。
ーー
「こんなクソ寒い日に外へ出ろなどとは、何の用ですか。私は炬燵でテレビを見ることで忙しいのです。くだらない用事だったら承知しねえのですよ」
我が部屋に住み着いてからというもの、シャララは随分と地上の俗世に染まったものと思える。きたばかりの頃はおどおどしながらおっかなびっくりといった様子で地上の文化に触れていたというに。
海王の娘を名乗るだけあり、怯えて物静かだった頃は本当に深窓の令嬢てあった。それが今では自由気ままの阿呆娘。なまじ顔が整っているだけにそのがっかり感は拍車をかけている。
「……何ですか地上人」
つい悲しい気分になって哀れみの目を向けすぎたようだ。しかし地上人と呼ばれるのも慣れてきた。恐らくは差別的な言葉なのであろうが、文化も知らぬ海底人の発言には怒りなど湧かなかった。
「魚丸ごと料理を食べて貰おうと思ってな」
私とて冬の野外は寒い。早々に準備、調理を終えて、食事にしてしまおう。
「それは私が枕に使っていた本ですよ。そんなものを持ってきてどうするですか」
私が取り出した四季報を見てシャララは不思議そうだ。しかし今回の料理、これが必要不可欠なのである。そして勿論、リュウも利用するのだ。団扇型に切ったものを複数持参している。
「父さんの遺骨を並べて、その上に魚を乗せるですか? それでは上下こそあべこべですが、私の作ったスシと何ら変わりねえですよ」
料理中の外野とは煩いもの。これも料理漫画で得た知識の一つかもしれない。私はシャララを無視して工程を踏み続ける。
団扇型の広がった部分に魚を丸ごと一匹乗せ、醤油を塗る。そしてそれを。
「それをページの間に挟むです!?」
私は四季報を開いて魚onリュウを思い切り挟み込む。これを、ページを変えて新たな魚たちを挟み続ける。都合、十は作ったところで準備は完了だ。団扇の持ち手が何本も本からはみ出しているそれは、まるでイソギンチャクのようであった。
「いったい何をやっているのですか。料理に疎い私でも、異常なことをしていることはわかるですよ」
私は彼女の言葉など意に介さず、材料を挟んだ四季報を地面に置き、おもむろに火をつけた。
「なになになにです……? 何がしたいのですかこの地上人は。失敗したから燃やして処分してるです?」
「失敗? そんなわけがなかろう」
四季報は数十センチほどの炎と白い煙と共に燃え上がっていたが、数分の後に燃えカスと変わった。
「私の考えが正しければ……これで完成だ!」
私は燃えカスからリュウを引き抜く。この為に団扇型で持ち手を作っておいたのだ。
「これがスペシャル食いしん坊の……丸ごとお魚煎餅の完成だあー!!」
紙の重みにより魚とリュウは薄く伸ばされて、これはさながら煎餅なのである。
「こ、これは……! 香ばしく焦げた醤油の匂いが否が応でも食欲をそそるです! 早く、早く食べさせるです!」
シャララは私の手から出来立ての煎餅をひったくるようにして食べ始めた。
「高温の炎の中で焼かれた煎餅は食感がパリパリで楽しいです! しかも閉じられた本の中で煙に燻されて、内臓の臭みを完全に包み込んで消してしまっています!」
どうやら私の思惑通りにことは進んだようであった。さらにいえば四季報を使ったことにはまだ理由がある。
「どうだ。この料理法ならば魚の種類を変て味のバリエーションを驚くほどに増やすことができるのだ。しかもページ数の分だけ同時調理ができるから急な来客や大人数のパーティにも最適なのだよ」
ゴミの処理もできたし、という言葉は飲み込んでおいた。
「うむむ……これが地上人の『料理』ですか。捨てたものではねえですね……」
あっ、という間にシャララは全てをたいらげてしまった。私がリュウを食べなければいけないはずなのだが、そこのところを彼女は理解しているのだろうか。
「よく食べるものだな。だが枯れ枝のように細い貴様だ。食べられるのならば沢山食べるべきだろう」
「感服と満腹です。そしてわかりました。料理というものは温かいものなのですね」
火を使った、という意味では勿論ないのだろう。
「人が人の為に作る料理とはこんなにも尊いとは知らなかったのです。美味しくいただいたです。ありがとう、ノリヲ」
輝かんばかりの笑顔でシャララはそう言った。ああ、そういえば彼女の笑顔を見るのは初めてのように思う。子どもながらに故郷を離れ、知らない土地で暮らし始めたのだ。然もありなん。
「私にもっと地上の料理を教えてくださいますか?」
「ああ。私も得意ではないが、共に努力しよう」
私はくしゃりとシャララの頭を撫で付ける。気恥ずかしく、少し乱暴になってしまったが、彼女も満更でもなさそうに思えた。