第1話 特例保護司
「今日は、色々な事がありすぎて、少し疲れたな…。」
桔梗さんが案内してくれた俺の部屋に入ってから、すぐにベッドに横たわり、呟くように俺は言葉を漏らした。
ふと部屋の時計を見ると、時刻は18時を示していた。
そもそも住み込みで働くことになる事も、前の会社では説明がなかったので、特段生活の準備もしていなかったのだが、部屋を用意してくれているのは、素直にありがたかった。
正直、この辺境な土地に毎日足を運ぶとなると、それだけで疲労困憊になることは目に見えていた。
「特例保護司、か。」
桔梗さんの説明によると、この「株式会社ユウガオ」は、正式には営利目的の法人ではないらしい。国によって運営される非営利組織であり、簡単に言えば、身寄りのない子供たちを保護することを目的としている組織との事だ。
そして、その子供たちの面倒を見る人は、基準や周期などの詳細は不明だが、国内の成人している大人達から、無作為に選定され、「特例保護司」として召集されるそうだ。
つまり、俺はこの「特例保護司」に、認定されたという事だ。
ふと、ベッドに無造作に置いてある桔梗さんから渡された分厚い書類に手をかける。
書類の一ページ目には、特例保護司が何者なのかという説明が、びっしりと記載されていた。
「特例保護司」…配属された保護区画において、経済的な困窮、いじめ、障害、虐待、ネグレクト、犯罪被害者・加害者などの困難な問題を抱える子供達の中でも、特別に深刻な問題を抱える子供達を対象に、支援活動及び社会復帰活動を行う者。また…(略)
「責任、重大な仕事だよなぁ…。どう考えても。」
総務課の下っ端という責任からかけ離れた仕事(業務のほとんどが、備品の発注であった)を4年間続けていた俺には、不釣り合いな仕事としか思えなかった。
「まあ、やるしかないか…。幸運なことに、衣食住の面倒は国が見てくれるみたいだし、元の会社に戻れるまでは頑張るか。」
そう呟き、横になってスマートフォンをいじっていると、部屋の外から微かに足音が聞こえた。足音がピタリと止むと、コンコンと部屋をノックする音が聞こえる。
「お兄さん、入ってもいい…?」
扉の外から、今にも消えてしまいそうな震えた女の子の声が微かに耳に届いた。
「はい、どうぞ。」
ギィッという音ともに扉が開き、艶のある黒髪の少女が入ってくる。
彼女は、桔梗さんから、アザミと呼ばれていた少女である。今朝の彼女の豹変ぶりが、一瞬脳裏によぎり、ふと目を逸らしたくなる自分に嫌気がさした。
アザミは、綺麗に上を向いている睫毛と大きな目を俺に向け、静かに語りかける。
「お兄さん、今日はごめんね。アザミね、何かの拍子にああなっちゃう事があるの。多分ね、昔、お父さんとお母さんにいっぱい悪い事しちゃったから、その罰なんだ。」
「俺は全然気にしてないよ。アザミちゃんこそ、体調は大丈夫?落ち着くまで少し時間がかかったって桔梗さんが言ってたよ。」
「ありがとう、お兄さん。アザミの事は何も心配しなくていいよ。アザミね、昔から『あなたの事考える時間がもったいない』って習ってるし、時間がもったいないよ!」
無邪気な笑顔でそう答えるアザミに、俺は言葉を失っていた。
「それでね、お兄さん。部屋にお邪魔したのはね、今朝のお仕置きタイムを設けに来たんだよ!初めての人だから、少し恥ずかしいけど、ちゃんと見ててね!」
そう言うと、アザミは俺に背中を向け、着ているTシャツに手を伸ばし、徐々に捲り始めた。隙間からは透き通った肌が垣間見え、10代とは思えない妖艶な雰囲気が漂う。
「え…?」
俺がそう声を上げると、アザミは振り返り、桃色の口元に歪んだ笑みを浮かべる。
「お仕置きタイムだから…。お兄さん、アザミの事、いっぱい虐めていいんだよ…。」
目の前の非現実的な光景を理解する事が出来なかった。10歳程度の少女が、その裸をあらわにしようとしているのだ。
俺は、自分の常識では計り知れない行動を起こす少女に、畏怖の念すら感じていた。
そして、今にも幼気な乳房がさらけ出されるかという瞬間、部屋の外から、声が聞こえてきた。
「アザミー!お仕置きタイムはこの家ではやらなくていいって言っただろー。まだ4月だし、脱いだら寒いんだから辞めとけー!」
少年のような活気のある女の声が、アザミを呼び止めた。
「カズラお姉ちゃん!ごめん、うっかりしてた。お仕置きタイムはないんだったね。」
そう言うとアザミは俺の方に振り返り、口を開いた。
「お兄さん、ごめんね。この家ではお仕置きタイムないの忘れてた。お兄さんは不満だと思うけど、そういうルールだから、怒らないでね…。」
そう言うと、捲りかけのTシャツを戻し、アザミは足早に俺の部屋を出ていった。
「ふぅ…。あの子、一体何をしようとしてたんだ…。」
これまでの緊張が解け、ほっと胸を撫で下ろす。
ーー俺は、アザミの持つ心の穴に、特例保護司として向き合う事が出来るのだろうか。ーー
ふと、そのような事を考えていると、アザミが去り、開けっぱなしになっていた扉から、先ほどの声の主と思わしき女の子が部屋に入ってくる。
「浅井さん?だっけ。いきなりの事で驚いた?アザミはさ、小さい頃から両親に虐げられていたみたいでね。時々ああいう事をしようとするんだ。」
今時珍しい白を基調としたセーラー服に、膝丈程のスカートを身に纏う女の子がそこに居た。
「ごめんごめん。挨拶が遅れたね。私はカズラ。この家には10年以上住んでるから、なんでも聞いてくれていいよ。」
そう言うと、カズラは快活な微笑みを浮かべ、話し続ける。
「ところで浅井さんは、特例保護司になって、まだ1日目だよね。早速で悪いんだけど、特例権限を行使して、『薬』、貰ってきてくれない?」
……。
病にかかった時に使用する薬とは、明らかに異なるニュアンスで『薬』を求める目の前の女の子の言葉に、ゴクリと唾を飲み込んだ。
この会社にいる限り、どうやら俺に安心出来る時間はないようだ。
第1話 「特例保護司」