五日目・月下の精霊⑪
「この姿を見せるのは、初めてだったな」
俺の隣に座ると、その女性が言った。
「リリティアさん・・・なんですか?」
見知らぬ美少女がすぐ隣に座ったことで、少しドギマギしてしまう。
ためらいがちの質問には答えず、彼女はただ微笑んでいる。髪をかきあげながら悪戯っぽく笑う姿が、なんとも蠱惑的だ。
かきあげられた真紅の長い髪から、シャンプーの甘い香りが漂ってくる。その香りが、隣に座る女性がリリティアさんであることを教えてくれた。ユナさんが使ったシャンプーと、同じ香りだ。
その甘い香りに、頭が塗りつぶされる感覚がした。
「どうかしたのか?」
「い、いえ、別に・・・えっと、その姿の理由は?」
甘い香りに浸っていたなんてとても言えない。
「折角のお風呂なんでな。手足を伸ばして入りたかったんだ」
姿を変えた理由を教えてくれた。だが、俺が聞きたいのはそういうことじゃない。
「その姿に変身してる、ということですか?」
「そういうことが聞きたかったのか、勘違いしてしまったな。変身という言い方をするならば、小さい状態のほうが変身形態になるかな」
「では、今までが変身状態だった、と。では、今の姿が本当の姿ということですね?」
だったら最初からこの姿でいて欲しかった。手のひらサイズの人形より、可憐な美少女のほうがいいに決まっている。
「それは正確ではないな。小さい姿も、この姿も、どちらも本当の姿だ。どちらかが仮の姿、というわけではない」
「では、今までの姿が変身形態だというのはどういうことですか?」
「我々精霊は、生まれた時はこの姿で生まれてくる。ある程度成長すると、姿を変えられるようになるんだ」
「それが、今までの人形モードですね?」
「人形モードか・・・まあいい。変身する姿は精霊それぞれで異なる。巨大化する者もいれば、動物に変わる者、体の一部が変化するだけの者もいる・・・胸が大きくなるだけ、なんて役に立たない変化をする者もいるな」
そう言って、リリティアさんは大きく笑った。だがその笑い声が、その変化を羨ましいと思ってることの現れのように思えた。体の一部が控えめで、その存在を主張していない。俺の好みからは少々、いや、かなり外れている。
「いてっ!いたたたたた!」
「何かとても失礼なことを考えているように感じるが、気のせいかな?」
左手の小指を捻り上げられて、とても痛い。そして、笑顔がマジで怖い。
「気のせいですよ、気のせい。だからやめてもらえませんかね」
そうお願いすると、素直に指から手を離してくれた。
小指を擦る俺を見て、リリティアさんはニヤニヤと笑っている。この先輩、絶対ドSだ。
「でも、どうして今までその姿にならなかったんですか?人形モードだと割と不便だったでしょう」
「む、それはそうなんだがな・・・まあ別にいいだろうそんなことは」
・・・何か言いにくいことがあるんだろうか。
変身にデメリットがあるんだろうか。いや、それだったら入浴のためだけに変身しないだろうし、誤魔化さずに説明してくれるだろう。では、何が理由なんだろうか。
そもそも、人間モードと人形モードの違いはなんだろう。見た目は違うけれど、それ以外に何かあるのだろうか。
人間モードに何らかのデメリットがあって、それが原因で人形モードで居続けていたはずだ。では、そのデメリットとは何だ?人形モードならば、そのデメリットを解決できるもののはずだ。
メリット、デメリット、俺には言いにくいこと・・・・・・
「この体はマナさえあれば、他の栄養素を必要としない」
思い出した言葉を口に出した。今日、町でリリティアさんが言っていたことだ。俺もそうだったら食料を気にせずに済んだ、そう羨ましく思っていた。けれど、この体という意味が、手のひらサイズの体という意味だとしたら。
リリティアさんの体がビクリとした。やはり、そういうことなんだろう。
考えてみると、リリティアさんはいつも食料調達を最優先に考えていた。俺が飢えることがないように、気を配ってくれていたのだ。たとえ、自分が不便な姿で居続けることになっても。そして、俺がそれを知れば気にするだろうと、隠そうともしてくれた。
やはり、リリティアさんは優しい。対して俺は、一体何ができるだろうか。この先輩に、何を返すことができるだろうか。きっと、まだ大したことはできないけれど。
俺は立ち上がって、彼女の前に立った。
「リリティアさん、今までありがとうございます。それと、これからは、あなたが食べるものに困らないようにします。気にせずその姿でいられるように、俺、頑張りますから」
そう宣言すると、リリティアさんは少し驚いたような、照れたような、そんな顔をした。
「それではまるでプロポーズみたいだな」
「う、えっと、そういうつもりではなくてですね。決意表明といいますか、なんていうかその・・・」
確かに、食べさせてやるなんて、古臭いプロポーズのセリフみたいだ。指摘されて、顔から火が出るほど恥ずかしい。
「ふふふ、わかってるさ。だが、あまり気負いすぎるな。これまでも十分にやってくれている」
リリティアさんは立ち上がって、俺の肩をポンと叩いた。
「いえ、それでも・・・」
「とはいえ、折角そう言ってくれてるんだからな。この姿でいる時間を増やそうかな。その方が、お前も嬉しいのだろう?」
俺の目を覗き込みながら、リリティアさんは悪戯っぽく笑った。
「・・・いえ、今までの姿もいいと思いますよ?人形みたいで可愛いですから。どちらも素敵ですよ」
少し思い切ったことを言った。こんな言葉が出てくるのも、この不思議な月明かりのせいだろうか。
「ほう、中々気の利いたことを言うじゃないか」
「いえ、思ったことを言ったまでです」
そう言うと、顔を見合って笑いあった。
「ともかく、これからもよろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
差し出された小さな手を、包み込むように握った。
握手を交わす俺とリリティアさんを、新月が明るく照らしていた。