五日目・月下の精霊⑧
お風呂には、今ユナさんが入っている。次は俺が入る予定だが、それまでやることがない。
「今のうちに日報やってきますね」
ソファに寝転ぶリリティアさんにそう告げた。
「わかった。ユナが出たら教えてやろう。それと・・・2階からでも無理だからな」
「覗きませんって・・・」
2階に上がって、通信室へ・・・は向かわず一度自分の部屋に行く。色々荷物とかあるからね。あ、ずっと窓を閉じたままだったよな。空気が淀む前に換気をしよう。
そう考えて窓を開ける。お風呂の方に向いている窓だが、勿論ただの偶然だ。
窓を開けて換気をする。外は不思議なほどに明るかった。街灯も何もないのに、周囲の様子がはっきりと見える。普段ならば、浴室の壁なんて見えないはずだ。
さてと、換気も済んだことだし日報を作るとしよう。窓を閉めて部屋を出る。うん、やっぱり見えなかったな。
日報は簡潔に。指示通り短く簡単に書く。町へ行って売却・購入したものと金額、それと風呂を作成したことだけだ。
書き終えて内容のチェックをしていると、階下から話し声がした。どうやらユナさんが戻ってきたようだ。チェックをササッと終わらせる。
「あ、守くん、お風呂いただきました。ありがとうございました」
リビングへ入ってきた俺に向かって、ユナさんが頭を下げた。風呂上がりだからなのか、少し顔が紅潮している。そして、ユナさんから甘い芳しい香りが漂ってきた。
「いえいえ、あれだけ手伝ってもらったわけですしね。お風呂どうでした?」
「初めてだったんですけれど、とても気持ちよかったです。お湯に浸かるというのはいいものですね」
「それはよかったです。お風呂の良さが伝わったなら嬉しいですね」
「それと、シャンプーというもののお陰で、髪もサラサラになりました」
ユナさんが手ぐしで髪を梳きながら言った。
シャンプーはアイリアさんが用意してくれたものだ。自分で使うのは勿体ないが、ユナさんが使うならばと思って渡した。喜んでくれたようでよかった。
「あ、よかったらどうぞ。ユナさんがくれた癒やしの水ですが・・・」
風呂上がりに一杯と思い、飲み物を渡したかったのだが、この家には泉の水を煮沸したものと癒やしの水しかない。茶葉などを探して買ってきた方がよかったかな。次に町へ行く時に探しておこう。
「では、わたくしはそろそろ失礼致しますね」
コップの癒やしの水を飲み干したユナさんが言った。
「そうか、今日はお風呂づくりを手伝ってもらってすまなかったな」
「ありがとうございました。お陰で助かりました。お風呂に入りたくなったら、またいつでも来てください」
お風呂じゃなくても気軽に遊びに来て欲しいけれど。
「こちらこそありがとうございました。お風呂に入らせて頂いた上に、美味しい食事まで頂いてしまって。守くんの世界には美味しいものが沢山あるんですね」
「いえいえ、喜んでいただけてよかったです」
「それでは、ご無礼させていただきます」
両手を前で合わせて、ユナさんがお辞儀をした。一つひとつの所作が優雅だ。
そんなことを思いながら、森の闇に消えていくユナさんを見送った。泉まで送っていこうかとも思ったのだが、一昨日のことを思い出してやめにした。空が見えるところは明るいが、ひとたび木々の中に入れば真っ暗になる。
「次はお前の番だ。早く入ってこい」
ユナさんを見送り、家に戻ろうかという時にリリティアさんに促された。別にそれほど急がなくてもいいと思うのだが、言われた通りすぐ入ることにしよう。
自室に戻って替えの服と下着を取り、洗面所でタオルを取って浴室に向かう。
浴室の入り口は、家と反対側の壁をくり抜いただけで、扉などは付いていない。木の板の端材を立て掛けて塞いであるので、それをどかして入る。
浴室には床も張っていない。脱衣スペースと浴槽へのステップに、木の板の端材を敷いてあるだけだ。急ごしらえの浴室なのだから仕方ない。作り込みすぎても撤去するのが大変だ。
入浴する前に、タオルを濡らして体を拭く。無駄にお湯を使わないように掛け湯をしないから、その代わりだ。
さて、いよいよ入浴だ。転移してからは初めてになる。日本にいた頃、最後に入ったのはいつだっただろうか。どうせ家から出ないからと、お風呂に入ることすら億劫になっていた。
それが今、わざわざ簡易的とはいえ浴室を作り上げて入浴しようとしている。自分のことではあるんだけど、なんだかすごく不思議な感じがする。