四日目・町へ向かおう⑨
「またイノシシですね・・・」
前方左側、20メートルほど離れたところにイノシシがいる。一応目をそらさないようにして歩いていると、イノシシは遠くへ逃げていった。
昼休憩明けに初めてイノシシに遭遇してから、これで4回目である。初めての遭遇ではビビりまくっていたが、2時間ほどの間に4回という頻度だ。いい加減、そろそろ慣れてもくる。
「午後になってから、やたらとイノシシに会いますね」
「そうだな。小川を越えてから見つかりだしたな」
「木が密生しなくなってからですし、見つけやすくなったんですかね」
「それもあるだろうが、モリイノシシはこちらにしかいないのかもしれないな」
「どうしてですか?あれくらいの小さい川なら、イノシシは簡単に渡れますよね?」
俺が簡単にまたぐことができる川幅しかない箇所もある。イノシシが飛び越すのは簡単だろう。そもそも小川に入ったところで、流されるような深さや流れではない。
「オオツノマダラシカだ」
オオツノマダラシカ・・・なんのことだろうか。説明を求めてリリティアさんを見ると、じっとこちらを見ていた。なんとなくだが、試すような目をしているように感じる。
つまり、ここに来てから聞いたことのはずだ。特徴的な長い名前は確かに聞き覚えがある・・・。
「あ、ユナさんが言っていた、ヌシのことですか?」
「うむ、その通りだ。よく覚えていたな」
思い出せてよかった。ユナさんが関係しているワードだろうという推理から、記憶を引っ張り出すことができた。
「俺もちゃんと話を聞いているんですよ。美人に囲まれて両手に花の状況でも、ちゃんと」
「ははは、言うじゃないか」
笑いながら、リリティアさんは俺の目の前にきた。こちらを向いて、後ろ向きに飛んでいる。
「話の続きだが、オオツノマダラシカの縄張りの東端が、小川なんじゃないだろうか」
ヌシの縄張りに大型生物がいないと仮定すると、モリイノシシが現れた辺りは縄張りではないことになる。泉の周囲が縄張りであるとユナさんが言っていたのだから、小川付近までが縄張りだという推測は信憑性が高いだろう。
「では、ユナさんがいる泉から小川までがヌシの縄張りということですか?」
「いや、もっと広いのだと思う。山菜採りの間、一度も大型生物には出会わなかったからな。あの辺りまでは縄張りなんだろう」
確かに山菜採りの最中は、念の為に身につけていた長剣と胸当てが、役に立つ機会はなかった。そして、ヌシには俺たちに危害を加えないように、ユナさんが話しておいてくれている。
「つまり、家の周囲では安全に山菜採りができるということですね」
「そういうふうにも考えられる。逆にモリイノシシを捕まえようと思ったら、先ほどの小川を越えなければいけない、とも言える」
「いや、イノシシを捕まえようとは思ってませんけど」
人間にはできることとできないことがある。イノシシを捕まえることは、少なとも俺にはできないことだ。
「そうか。シャールの町では、あのモリイノシシもよく食べられているからな。お前も獲ったらどうかと思ったのだが」
「俺にはイノシシを狩る技術はないですね・・・見慣れてきたとはいえ、やっぱり向かってきたら怖いですし」
異世界のジビエ料理に興味がないわけではないが、身の安全が第一だ。
「ふむ、モリイノシシに関しては一つ対策がある」
「対策ですか?」
イノシシの突進は怖い。経験したことはないが、日本でもそれで怪我をする事故は起きているのだ。
「モリイノシシは音に敏感だと言われている。大きな音を出せば、恐れて逃げるそうだぞ」
「本当ですか?逆に襲いかかってきたりしないですかね」
精霊である自分も動物に襲われないかもしれないという推測を、何の根拠もなく試そうとしたリリティアさんの言葉である。はっきり言って、鵜呑みにはできなかった。
「さあな。音に怖がって逃げる、とシャールの町の人間が言っていただけだからな。私が実際にやったわけではないんだ」
森の近くに住む人たちが言っているのであれば、リリティアさんの推測よりは信用してもいいだろう。
大きな音を出せるものだと・・・そういえばあれがあったな。
「ちょっと家に行ってきます」
突然転移装置を降ろした俺に、リリティアさんは驚いている。説明するよりも実際にやってみせた方が早い。手早く手近な木に転移装置を固定すると、俺は転移装置の中に飛び込んだ。