四日目・町へ向かおう⑦
結局、一時間近く眠っていたようだ。
「寝すぎてしまいました・・・」
「いや、構わないぞ。今日の昼休憩は、少し長めに必要だと思っていたからな」
慌てて準備を整えて家を出た。川辺へと転移して、転移装置を体に括り付ける。慣れてきたのか、随分と手早くできた。
転移装置を担いで歩き始める。眠ったことで回復したようで、幾分体が軽い。それとも、ユナさんの癒やしの水が効いてきたのだろうか。
リリティアさんが言っていたように、樹木が徐々にまばらになってきた。それに伴い、まっすぐに伸びた木が多くなり、幹や枝が曲がっている木が減ってきている。まっすぐな木の多くは枝が高い位置にあり、進行の妨げになることがほとんどなかった。だから、午前中よりは進みやすくなっている。
「それにしても間に合いますかね。まだ全行程の四割程度でしたよね」
進みやすくなったとは言っても、午前中の1,5倍の距離が残っている。
「あまり気にしなくても大丈夫だろう。今日中に町の近くまで行けなくとも、明日歩く距離が伸びるだけだからな。そもそも、あまり町に近づき過ぎるのもよくないんだ」
「そうなんですか?」
今日町に入らないにしても、明日のためにもできるだけ近づいたほうがいいのではないのだろうか。
「町民に転移装置が見つかることは避けたい。林業が盛んな町だから、伐採などで森に立ち入る者は多いだろうからな」
「なるほど。確かに、転移装置が見つかるのはまずいですね」
森の中に突然あんなものが置いてあったら、見た人は驚くだろう。持ち帰られる可能性もあるし、何より転移中に見つかることは避けなければならないだろう。
町民の話が出たところで、町について聞いてみる。町の名前すら知らなかったことに気が付いたからだ。
「そう言えば、町についてちゃんと聞いてませんでしたね。どんな町なんですか?」
「ふむ・・・町の名前はシャールと言って、林業と木材加工で発展した町だ。特に木彫り細工が有名で、町の特産品として、オストーン王国内では人気が高い」
「木彫り細工ですか」
なんとなく、鮭を咥えたヒグマの像を想像する。木彫り細工と言われて頭に浮かぶのは、土産物として定番とされるあれだ。
「食べ物ならば、やはり森で採れるものが中心だ。木の実や山菜、それと獣の肉だ」
「いいですね、肉」
俺としては、バケットよりも干し肉を使い切ってしまったことのほうが切実だった。肉体労働は体が資本である。体を構成するのはなんと言ってもタンパク質・・・つまり肉だ。
「それほど大きい町ではないがいい町だぞ。ただ一つ、領主のドラ息子が少々問題だが・・・お前には関係ないだろう」
「領主の息子ですか」
「周辺のいくつかの町や村を治めている貴族がいるんだが、領地はほとんど息子任せでほぼ王都にいる。その息子が・・・」
「ボンクラなんですね」
「・・・まあそういうことだ」
領主の息子が問題行動をしてトラブルを引き起こすことは、漫画などでよくある話だろう。もし出会ったら、とばっちりを受けないように気をつけないといけないな。
そんなことを考えながら歩いていると、前方の草むらが揺れていることに気が付いた。
距離は30メートルほどはあるだろうか。この辺りは木々がまばらだから・・・とはいえ森として一般的だと思えるほどの量は生えているが・・・この距離でも腰くらいの高さの草が見える。家の周囲に比べると、かなり視界が開けているのだ。
「なんかいるのか?」
立ち止まって様子を見る。草は不規則に揺れている。生き物が草むらの中を移動しているのだろう。
転移装置を地面に置いて、紐に手をかけた。今日は長剣を持ってきていない。それどころか、胸当てすら暑苦しくて、昼休憩時に外したままだ。いざという時は、転移装置で逃げよう。
「見えないな・・・」
リリティアさんは飛び上がって見下ろしている。少し前へ出たり、戻ってきたりを繰り返す。近くまで見に行こうか迷っているのだろうか。
「下がって下さいリリティアさん。危ないです」
小声で声をかける。下手に草むらの中の生物を刺激しないため、あまり大きな声は出せない。
「あ、ああ」
リリティアさんが大人しく後ろに下がった。
それと同時に、草むらの中から生物が姿を現した。
それは、イノシシのような生き物だった。体高は40センチほどで、茶色の毛に覆われている。体長は1メートル弱、80センチと言ったところか。長い尻尾が地面に垂れているのが特徴的だ。
「あれは、モリイノシシの亜種だな。臆病な種なので、下手に刺激しなければ勝手に逃げていくだろう」
そう言われても、実際に逃げるまで安心できない。イノシシから目を離さないようにしつつ、転移装置を立てかける場所を探す。
イノシシのほうもこちらに気付いたようだ。しばらくこちらの様子を伺った後、走って逃げていった。
走り去っていった方を見ながら、俺は一つため息を吐いた。体から緊張感が抜けていくのを感じる。
「猛獣でなくてよかったな。あれはシャールの町でも食用にされている。町で食べられるかもしれないな」
突然遭遇してビビった相手だ。食べたいとか、美味しいのだろうかとか、そんなことまで考えている余裕は全くなかった。
とにかくホッとした。それだけだった。