二十三日目・ムクコマ⑦
吐き気と痛みを感じて、目を覚ました。掛け布団をはねのけて上体を起こす。
「おお、ようやく起きたか」
ベッドの横で、リリティアさんが座っていた。
「おはようございます」
咄嗟に挨拶だけはしたが、なぜリリティアさんがそこにいるのだろうか。慌てて、周囲を見回す。女神の描かれた絵画、日本から持ち込んだ衣服、机に置かれた革袋。やはり、俺の部屋に間違いなさそうだ。リリティアさんが俺の部屋に入ったことは、今までなかったはずだ。
・・・そもそも、何で俺は部屋で寝ているんだ?寝る前のことを思い出そう。
キイロシビレザルに噛まれて、林の抜け出して、それからどうしたっけ。体が動かなくなったから、そのまま寝転んで・・・それからの記憶が全くない。南の山倒れてから自分のベッドまでの間、完全に記憶が飛んでいる。そうだ、ムクコマはどうなったんだろう。無事に採取できたんだろうか。
「リリティアさん、ムクコマはどうでした?」
「ん?ああ、大丈夫だ。きちんと必要な量採取してきてある。お前は心配せず寝ていろ」
「そうですか。それはよかった。じゃあ特効薬も作れるんですね」
「心配するなと言っただろう?既に作って、彼らに飲ませてある。明日にでも回復するだろう」
良かった、これでリベルさんたちの病気も治るだろう。体を張った甲斐があったようだ。
改めてリリティアさんを見ると、着ているものが黒い洋服になっていることに気づいた。林に入った時は、黄色いTシャツとホットパンツだったはずだ。あちらは二の腕と絶対領域が眩しいが、こちらは真紅の髪が黒に映えている。
「リリティアさん、着替えたんですね」
「ああ、汗をかいてしまったからな。それと、まあ気分で替えただけだな」
「それに、眼鏡かけてたんですね。初めて見ました」
「実は、元々遠視気味なんだ。近いものにピントが合わないというほどではないがな。日常生活では滅多にかけないが、長時間読書や書類作業をする時は眼鏡をすることもある」
そう言ったリリティアさんの手には、一冊の本があった。それを読みながら、看病してくれていたのだろう。
「それと、山の上からここまで運んでくれたのは、リリティアさんですよね。ありがとうございます」
リリティアさん以外に運んでくれる人がいるはずもない。
「ムクコマを採取して林から出た後、お前を探したんだ。そうしたら林の外で寝ているのを発見してな。家まで連れて帰って、ベッドに寝かせたんだ」
「助かりました。おかげで死なずに済みました」
狼もいる山だ。肉食獣に見つからなくて、本当に良かった。
「それと、お前が寝ている間に医師に来てもらった。血清を打ってもらって、起きてから服用する薬ももらってある。しばらくは吐き気や不快感が続くだろうが、我慢するしかないとのことだ」
「お医者さんまで呼んでくれたんですね。ありがとうございます」
「上も準備がよくてな。血清は既に準備されていた。おかげで、迅速に治療を行うことができた」
ムクコマを探すにあたって、そこまでバックアップされていたのか。知らない間に知らないところで、支えてくれている。ありがたいことだ。
「一つ、謝らなくてはならないことがある。お前に確認も取らず治療してしまったと、後から気づいた。何らかの理由で治療を受けたくない場合があるとまでは、その時には考えが至らなかった」
「そんなことは全く無いんで、気にしないでください。輸血でも投薬でも、必要なことはしてもらえると助かります。実際に、今回も血清を打ってもらってなかったら、まだ全身痺れてるでしょうし」
宗教上の理由で治療を拒むケースは、日本でもあるらしい。しかし、俺にはそういう気遣いは不要だ。むしろ、神様の世界の進んだ医療を受けられるのなら、喜んで受けたいくらいだ。
「リリティアさんは大丈夫でした?猿に噛まれたりしませんでしたか?」
「ああ、私なら大丈夫だ。数匹残ってはいたが、あれくらいなら負けはしない」
「そうですか。リリティアさんが無事なら良かったです。無茶に巻き込んでしまいましたから、怪我してたらどうしようかと」
リリティアさんには、後に残るような傷を負って欲しくない。それに、今回は完全に俺の独断だ。その結果で大怪我をさせてしまったら、悔いが残る。
「私の心配はしなくていい。それよりも、本当に心配したんだぞ。キイロシビレザルの群れに追われているのを見送った時は。あの時は許可してしまったが、あんな無茶を何故しようとしたのか」
「毒を軽減してくれるって、以前に聞いてましたから。アイリアさんの加護の力なら、猿に噛まれたくらいなら平気かなって」
「・・・何の根拠にもなってないぞ。まあ、結果的に生きて帰ってこれたのだから、良しとしよう。だが、次からはあまり無茶なことはするなよ。普通の人間だったら半数致死量の毒だったらしいからな」
相当噛まれたとは感じていたが、それほどの毒だったらしい。アイリアさんの加護と血清のおかげで、命に別状はないようだけど。
「そういえば、今って何時なんですか?」
「もうそろそろ日の出の時刻だ」
「え?じゃあ俺は半日近く眠ってたんですね」
「そうだ。それだけひどい状態だったということだ」
「それを聞くと、少しお腹が空いてきましたね。昼食以降、何も食べてないわけですから」
意識すると、何か食べたいような気がしてくるのが不思議だ。吐き気と痛みはあるが、食欲がなくなったわけではないらしい。
「それなら、何か作ってきてやろう。できたら持ってきてやるから、それまで寝ているといい」
「すいません。ずっと付きっきりでいてもらったあげくに、食事まで用意してもらって・・・」
「・・・以前言っただろう?寝込むことになったら、付きっきりで看病してやると。気にせずゆっくりと寝ていろ」
そう言ってリリティアさんは、部屋から出ていった。あの時は本気にしていなかったけれど、あの言葉は冗談じゃなかったんだな。そう思いながら、再び眠りについた。




