二十三日目・ムクコマ⑥
すぐ近くにいた1頭の猿に走り寄った。急に近づいてきた俺に対して、相手は反応しきれていない。
「やれっ!」
リリティアさんの声と同時に、俺は目の前の猿を思い切り蹴り上げる。咄嗟に両手でガードをしたのが見えたが、構わず振り抜いた。するとその猿は、後方に大きく吹き飛んでいった。
地面に叩きつけられた猿が、起き上がることはなかった。キイロシビレザルは身長体重ともに俺の3分の1程度もあるが、なんとか一撃で戦闘不能にできたようだ。
「キキーッ!」
「キャッキャッ!」
仲間がやられた他の猿たちが、一斉に鳴き声をあげる。それを聞いて、俺は後ろに向かって走り出す。
「キキキッ!」
「キャキャッ!」
首をひねって後ろの様子を確認すると、猿たちは俺を追いかけてきた。正確な数はわからないが、20頭くらいはいるだろう。全ての猿が追ってきたかの確認はできないが、ほとんどが追ってきているのは間違いなさそうだ。リリティアさんなら、数頭程度はなんとでもするだろう。
こうなれば、ほぼ成功したようなものだ。後はリリティアさんが隙を突いて、ムクコマを摘んでくれればいい。俺がすることは、猿たちが戻ってリリティアさんを攻撃できないように遠くへおびき出すだけだ。ふと思いついたアイデアだったが、うまくいったようだ。
少し走ったところで、1頭に追いつかれた。飛びかかってくる猿を、左手で払いのける。
更に逃げると、別の1頭が右足に噛み付いてきた。噛まれる寸前に足を大きく振って、なんとか振り解いた。
なおも逃げ続けるが、徐々にキイロシビレザルとの距離が詰まってくる。このままでは追いつかれてしまうだろう。
だが、どうすればいいだろうか。振り返って攻撃したほうがいいだろうか。いや、止まった瞬間に殺到されてしまいそうだ。しかし、このまま走り続けてもジリ貧だ。
「あれだ!」
目の前に転がっている石を拾い上げて、一番近い猿に投げつける。走ったまま、手首だけでの投石だ。
「キッ!」
顔に直撃したようだ。うつぶせに地面に倒れていくのが見える。
運良く当たってくれたことで、1頭倒すことができた。しかし、他の猿たちは更に距離を詰めてきている。
左足に噛み付いてくる猿を蹴り払う。
「しまった!」
草の上で滑り、バランスを少し崩してしまった。体勢を立て直すが、その間にキイロシビレザルたちが一斉に襲いかかってくる。
「んんーーーーっ!」
両手首やふくらはぎ、二の腕などを噛まれた。牙が深く刺さるのを感じる。
激痛に思わず顔を歪める。あまりの痛みに倒れ込みそうになるが、グッとこらえる。このまま倒れてしまえば、20頭以上の猿たちに噛み付かれてしまう。そうなれば最悪、死に至るだろう。
死の恐怖から、ムチャクチャに手足を振り回す。噛み付いている猿ごと、思い切りに。
左手首の猿は偶然、木の幹にぶつかって離れた。右手首の猿を地面に向かって力いっぱい振り下ろす。背中から地面へと打ち付けた反動で、右手首の猿も牙が外れた。右の二の腕に噛み付いていた猿は、仲間がやられたのを見て自分から離れていった。ふくらはぎを噛んでいた猿も、殴ろうと右手を振り上げたのを見て逃げていった。
これで、噛み付いていた猿たちは全て払いのけることができた。他の猿たちが5メートルほどの距離から、ひっきりなしに威嚇を繰り返している。まだ追跡を諦めるつもりはないようだ。
「マズいな・・・手足が少し痺れてきた」
キイロシビレザルの毒は神経毒だ。牙から毒を注入し外敵を麻痺させ、最終的には死に至らしめることもある。だから、マニュアルにも危険生物として挙げられていたのだ。
噛まれた時は焼けるような痛みを感じたが、今はそれが少し感じなくなっている。毒が回った分、痛みも感じにくくなっているようだ。
威嚇し続けている猿たちに構わず、すぐに走り出す。手足が動かなくなる前に、この林を抜けなければならない。
追いかけてきた猿に、左の太ももを噛まれた。噛まれた場所に激痛が走るが、我慢して走り続ける。逃げながら両手で猿の首を掴む。力いっぱいに締め上げると、ゴギッと嫌な音がした。噛み付いていた猿が動かなくなったので、猿を投げ捨てる。おそらく首の骨を折って死んだのだろうが、そんなことに気を留めている余裕はない。
麻痺が進んで、手足に感覚がなくなってきた。何度か噛み付かれては、それを見て振り払うということを繰り返す。感覚がないので、噛まれても痛みを感じなくなった。猿たちが噛み付いてくる衝撃を感じて、機械的に振り払う。
毒が体全体に回り始めたのか、体が重い。走ることはできず、ただただ前へと足を動かすだけだ。あと、どれくらいだろう。猿たちはまだ追ってきているのだろうか。
意識が朦朧としてきた。思考が覚束ない。眠たくなってきた。寝ちゃ、ダメだよな。進まなきゃ。
「・・・明るい」
ふと前を見ると、少し明るかった。重い体を引きずって、明るくなっている場所まで進む。
「・・・やった」
眼前には、夕焼けの空が広がっていた。遮るものは、何もない。
「逃げ切れた・・・な」
そこで意識が途切れた。