十八日目・南の山への道中
朝起きてすぐに、ユナさんのいる泉に向かった。水の補充のためだ。昨日癒やしの水をもらったので、あちらは飲用水代わりに美味しくいただくとして、今日補充するのは生活用水だ。風呂や洗濯に癒やしの水を使うわけにはいかない。洗濯の際には汚れ落ちがよかったり、風呂のお湯として使えば皮膚や髪にいいそうだが、さすがに贅沢すぎる使い方だろう。生活用水は、普通の水で十分だ。そもそもユナさんの力で多少なりとも浄化されているので、この泉の水はその辺の川や泉の水よりは衛生的なのだ。
タル2つ分の水を汲んだが、ユナさんは現れなかった。ユナさんは以前、泉の中にいれば水を汲む音にはすぐ気づくと言っていた。現れないということはつまり、泉の中にはいないということだろう。家の方にいるのだろうか。
せっかく泉に来たんだし、家に行ってみようかな。そう考えていると、家とは反対方向からユナさんがやってきた。兄妹子鹿も一緒にいる。
「おはようございます。どこかお出かけでした?」
ユナさんと兄妹子鹿に声をかけた。兄妹子鹿は俺たちを見るなり、こちらに走り寄ってきた。リリティアさんが兄鹿を、俺が妹鹿をそれぞれ撫でる。
「おはようございます。この子達のご両親、つまりヌシのところに行っていました」
「歩いて、ですか?」
以前、この泉から女神の家まで、ユナさんに水を操作して送ってもらったことがある。3人を乗せて楽々進んでいたのだが、今日は徒歩のようだ。
「たまには歩かないと、足が弱ってしまいますから。水の力に頼って怠けてばかりでいると、本当に立って歩くことができなくなってしまんですよ」
なるほど。人間でいうと、エスカレーターやエレベーターを使わずに階段を使おう、みたいな感じかな。
「お兄ちゃんが言ってた白い花ねー、母ちゃんが知ってるってー。お山のてっぺん近くで見たんだってー」
リリティアさんの腕に擦りよりながら、兄鹿がそう言った。
「あ、そうなの?じゃあやっぱり、山の方に行けば咲いてるのかな。聞いてきてくれてありがとう。お母さんにも、貴重な情報ありがとうございますって伝えておいて」
「わかったー。後ねー、そのお花があるところは、お猿さんがいるから気をつけるようにって言ってたよー」
「お猿さん?そっか、わかったありがとう。気をつけるよ」
キイロシビレザルのことかな。マニュアルの中にも注意書きがあった。群れに近づく大型生物には執拗に攻撃を加える習性がある、だっけ。特定の巣を持たず餌を求めて定期的に住処を変えるため、不意の遭遇に注意する必要があるとも書いてあったな。念の為、この猿に関してはもう一度マニュアルを読み返しておこう。
「忘れる前に、こちらをお返ししておきますね」
昨日兄鹿に渡した、ムクコマの画像が載ってるページを、ユナさんから受け取る。この花を兄妹子鹿のお母さん、つまりヌシの奥さんが知っていたのか。ということは、オスが縄張りを作りメスが自由に移動しながら繁殖相手を探すという生態なのかな。ともかく、洞窟の件といい、ヌシ一家には助けてもらってばかりだな。
「話も済んだし、お兄ちゃんとお姉ちゃんも一緒に遊ぼー?」
兄妹子鹿にせがまれるまま、昨日と同じように2頭の遊びに3人で付き合った。聞いてくれたお礼も兼ねているが、これが結構楽しい。それに、ユナさんの動きに合わせて揺れる双丘を堪能できる、貴重な機会だ。ユナさん本人とリリティアさんに気づかれないように、細心の注意を払いながら盗み見た。
兄妹子鹿が満足するまでたっぷりと遊んでから、女神の家に帰った。それから少し休憩を挟んで、昨日の日没時に設置した転移装置へと転移する。今日も午前中は結構な時間を泉で使ってしまったので、昼休憩はいつもよりも少し遅めにすることにした。
今日の午前は、大きな問題もなく進んだ。野生動物も大型のものは全く見なかった。予定時刻まで走って、昼休憩にした。
しかし、昼休憩後に再度出発してしばらく経った時、1匹のヤマネコに遭遇した。こちらに驚いてあっという間に逃げてしまったが、体長50センチくらいで長いしっぽが目を引いた。リリティアさんに聞いてみたところ、数種類のヤマネコが確認されているが一瞬では特定できないと言っていた。更に、トラのような大型の種類も存在するらしい。そちらに出会わなくて良かった。
ヤマネコと同時に、ウサギのような生き物も逃げていった。あのヤマネコが狙っていたのだとしたら、狩りの邪魔をしてしまったのかもしれない。ウサギにしたら、運が良かったのかもしれないけれど。
「そういえば、ウサギのような小型の動物って、あまり見かけなかったですね」
「いや、何度か出会ってはいる。走っていて気が付かなかっただけだろう。向こうがこちらに気づいて物陰に隠れてしまうと、そうそう簡単には見つけられないからな」
小さくて気づかなかっただけだったのか。走っている間、注意して周りを警戒してるつもりだったけれど、小型の動物までは目配りできていなかったようだ。
「小さいけど危険な動物、例えば毒蛇なんかには俺は気づけなくて、咬まれたりしかねないですね」
「その危険性はあるが、それほど不安視する必要はないだろう」
「どうしてですか?」
蛇は多くの人間を殺傷する危険な生物だ。あの細長い体に気づかずに近づけば、毒牙でブスリとやられてしまうだろう。最悪死んでしまうかもしれない。
「加護の力で、毒の効力はかなり減衰される。それに生きて家にさえ戻れれば、上から血清をもらうなりすればいい。その場で致命傷を負わない限りは、治療方法がある。無論、咬まれないことに越したことはない。加護の力でも耐えられないほどの毒を食らったら終わりだからな。だが、それを怖がって肉食動物への警戒が疎かになっては元も子もない」
つまり、大きな肉食動物の方が、俺には危険度が高いということか。
そう言われても、気になってしまうもので、その後は蛇やその他の小型生物がいないか探しながら走った。だが、特に動物を見ることはなく今日の行程を終えた。




