十六日目・再会③
「お疲れ様です、アイリアさん。お水で良ければ飲みますか?」
総合格闘術の訓練を切り上げて、女神の家に入った。アイリアさんにはダイニングテーブルの椅子に座ってもらい、飲み物を出す。お茶やコーヒーがあればそちらを出したいところだが、この家にある飲み物は水と癒やしの水だけだ。
「この水は、ウンディーネがいる泉から汲んだものですか?」
「そうです。でも、一応煮沸消毒はしているんで、飲料水として安全なはずです」
向かいの椅子に座りながら答える。
「いえ、その心配をしているのではありませんよ。既に新しい転移装置を作成しているようですね。順調そうで何よりです」
「ありがとうございます。これもリリティアさんの指導のお陰です」
「そんなことはありませんよ。守さんはよくやってくれていると、リリティアからも聞いています」
ひとまずホッとした。今まで、これでいいのかわからないまま仕事をこなしてきた。だから、自分がどう評価されているのか全くわかっていないのだ。仕事ぶりが全然ダメだから解雇する、今日はそう言いに来たのではないかと思ったくらいだ。とりあえず、上司にも先輩にも一定の評価を受けていると知れて安心した。それに、わけもわからず始めた仕事とはいえ、他人から認められるのはやっぱり嬉しい。
「それで、今日ここに来た理由はなんだ?わざわざ来たということは、あまりいい話ではないんだろう?」
「そうね、そろそろ本題に移りましょう。リリの言う通り、いい話ではありません。いえ、悪い話と言った方がいいでしょう」
・・・悪い話か。クビってことじゃなきゃいいけど。関係ないけど、アイリアさんはリリティアさんのことを、リリって呼んでるんだな。
「リリ、昨日の件は守さんにはもう話しているの?」
「いや、まだ何も言ってはいない。どうなるのかがはっきりと決まってからの方がいいと思ってな」
「そうなの?じゃあ最初から説明しますか」
そう言うとアイリアさんは、一つ間を置いてからこちらに顔を向けた。
「守さんは一昨日、病気の人間に薬を渡していますね?」
「はい、商品の販売を委託している店がありまして、そこの店主のお父さんです。見たところ重病そうだったので、神の門で薬を交換して渡しました。ひょっとして、いけませんでしたか?」
リリティアさんの許可の下で行ったことだから、問題にはならないだろう。だが、一応聞いておく。
「いえ、そのこと自体は問題ありません。広く町中に売り歩くようだと困りますが、知り合いに渡す程度なら大丈夫です」
「そうですか?なら良かったです。でも、その件で何かありました?」
俺の質問に対して、隣に座っているリリティアさんが答えた。
「彼の病気について、専門の部署に依頼して調べてもらった。その結果、ウィルスによる感染症であることがわかった。それも、オストーンでは流行したことがないウィルスだそうだ」
「病気の原因を調べていたんですか。でも、どうやってそんなことまでわかったんですか?」
「最初に見舞いに行った時に、痰を採取させてもらったからな。それを直接届けて、鑑定してもらった」
ああ、確かに見舞いに行った後、リリティアさんだけ一足先に帰ったっけ。あの時に調べてもらっていたのか。
「つまりですね、守さん。その方から検出されたウィルスが、こちらでも流行する可能性があるということです。シャールの町、それだけではなく最悪の場合オストーン全体にまで広がる可能性があるのです」
「そうですか。それは大変ですね。でも、それほどの大事態ならば、アイリアさんが何か対応を取るんですよね?」
あれだけの症状を引き起こす病気が国中に蔓延する危険があるんだから、当然対策を取るんだろう。
「ええと・・・それは・・・」
「対処するなという指示が出たんだな?だから、わざわざここまで話をしに来たんだろう」
言い淀むアイリアさんに対して、リリティアさんがそう聞いた。尋ねるというよりは、断定に近い言い方だ。
「今日の緊急会議でそう決まったの。この件について、神による介入はしないと」
「え?どうしてですか?大規模感染が起こる可能性があることがわかってて、それでも放置するというんですか?」
「・・・そういうことになります」
「それじゃあ、町の人たちを見殺しにするというんですか!?」
「上が決めたことだ。アイリアの上司の、もう一つ上からの決定だろう。アイリアを責めるのは筋違いだ」
リリティアさんが落ち着いた口調で言った。
「以前も説明したと思うが、我々の仕事はこういうものだ。人間に危機に陥っていても、人間がそれにどう対処するのかを調査すると決まれば、一切助けたりはしない。非情と思われるかもしれないが、我々の本来の目的は人間を守ることではないからな」
神々や精霊は、人間のために存在するわけではない。聞いてはいたけれど、本当に何もしてくれないのか。
「・・・そうでしたね。俺たち人間の科学や文化を、自分たちのために利用するのが目的でしたね」
「その言い方・・・私は好きじゃないな。それに、私だって見殺しにするようなことはしたくない。だが、組織に属している以上、上の決定に逆らうことはするべきじゃない」
声を押し殺すようにして、リリティアさんはそう言った。
「現場の神や精霊の多くは、リリと同じ意見です。人々が苦しむ姿を見るのは辛いですから。しかし、上からの指示を無視するわけにはいきません。あ、ちなみに・・・」
アイリアさんは途中で言葉を区切った。
「上からの指示は、大規模感染の恐れに対して神が直接的に解決することを禁じる、というものです。これは守らなければなりません。女神である私は、ね」
アイリアさんはいたずらっぽくそう言って、微笑んだ。なるほど、そういうことか。