八日目・特訓②
「ところで、突然ストレッチしろなんて、どうしたんですか?」
俺はリビングの床に寝転びながら、リリティアさんに聞いた。股関節の柔軟体操の後も、いくつか柔軟体操をさせられた。そのまま床に倒れ込み、会話ができるようになるまでしばらくかかった。
「今日はマナの使い方を、お前に練習してもらおうと思ってな。まあ、昨日の続きだな。今日一日では難しいだろうが、マナを意識する癖がつけば、日々の生活でも自然と意識することができる。そうなれば自然と慣熟していくから、なるべく早いうちに練習をしてもらおうとは思っていたんだ」
「わかりました。言いたいことは何となくわかりました。つまり、念入りに準備運動しておかないといけないくらいハードってことですね」
柔軟体操の時、柔軟性も確認された。その時リリティアさんはついでに、俺の太ももや腕を触りながら筋肉の状態も確認していた。だから、何か体を動かすことをするんだろうとは思っていたが。
「さて、準備もできたことだ。そろそろ始めようか」
リリティアさんは長い髪をまとめてポニーテールにすると、玄関から外へ出た。思わず、うなじを目で追ってしまった。
我に返った俺は、慌てて靴を履いて外へ出る。念の為、靴紐をきつく結び直した。
玄関前の広いスペースで、リリティアさんが待っていた。家の周囲半径10メートルくらいには、木々や草花が何も生えていない。女神の家を建てた際に整地した結果だろうが、今日はこのスペースを使って練習をするようだ。
「まずは軽く走ってみろ。本当にゆっくりでいいぞ。その際に、体の動き、筋肉の動作に意識するんだ」
言われた通りに、木々が生えていないところを走る。スピードはかなりゆっくりだ。ジョギングよりも遅く、歩くのとほぼ変わらないスピードだ。昨日は無理矢理バールのようなものの力でマナを引き出していた。それがない今日は、ただゆっくりと走っているだけだ。これでマナの扱い方の練習になるんだろうか。
ゆっくりと、家の周りをぐるぐると回った。そして、何周目かに入ったところで、リリティアさんから指示が飛んできた。
「そろそろ体も温まってきた頃だろう。次のステップに行くぞ。バールのようなものを使った時の感覚を思い出しながら走れ。ペースは今のままでいい」
今までのは、ただのウォーミングアップだったようだ。ここまで念入りにアップをさせられると、本格的な練習がどれほどキツイのか不安になる。今のところは、まだ普通に軽く走るだけでいいようだけど。
バールのようなものによって、マナを引き出される感覚を思い出しながら走る。ただ、あれは両腕を振っていたが、走るのに使うのは足だ。思い出してみても、走ることへの応用が難しい。一応、体の中心から足先まで、何かが流れていることをイメージしながら走ってみる。
走りながらも、疑問に感じる。こんなことをして、本当にできるようになるんだろうか。
そう思いながら走っていると、リリティアさんが少し前を走り始めた。
「今の力加減を維持しながら、私の後について走れ」
リリティアさんが前を走っている。彼女の動きに少し遅れて、ポニーテールがゆっくり揺れる。そんな様子を見ながら、後ろを付いて走った。
2周ほど同じペースで走った後、リリティアさんが徐々にスピードを上げた。
「少しずつ速くしていくから、遅れないように付いてこい。ただし、できるだけ今の力加減を維持するように」
要するに、マナの力を利用することで、ペースを上げろということだろう。そんなことをいきなり言われても、できる気がしないけど。
それから10分ほど走っただろうか。本当に少しずつ、リリティアさんは走るペースを速めていった。俺は少しずつ遅れていき、慌ててペースを速めて追いつく。それの繰り返しとなった。案の定、マナの力を利用することなどできず、速く走ることで追走している。
走るスピードは既に結構速くなって、最初の倍くらいのスピードになった。だが、リリティアさんが走っている様子は、最初と何も変わっていなかった。足運びは最初と同じようにゆっくりだ。少しずつスピードが上がっていたのに、走り方は一切変わらなかった。
リリティアさんは最初の歩くようなペースで走りながら、マナの使い方だけでペースを上げているということだろうか。
「そろそろ一旦止めようか」
リリティアさんはそう言うと、少しずつ減速して止まった。そして、俺の方を振り返った。
「さすがに、マナを使えるまでには至らなかったようだな」
「すいません」
「いや、この程度でできるようになったら、誰も苦労はしない。継続して練習していくことで、徐々に上達していくんだ。時間がかかるがだろう、辛抱強く続けて欲しい。私もできる限り協力する」
時間がかかる、昨日から何度も言われているな。実際、どれくらいでできるようになるだろうか。未だ上達しそうな気配すら感じないのだが。
「ところで、この練習で気づいたことはあるか?」
「気づいたこと、ですか?」
うなじの良さに、生まれて初めて気づきました。さすがに、そう答えたらマズいことはわかっている。
ちゃんと、真面目に答えよう。走りながら考えていたことを整理する。リリティアさんが言っていたこと、走っている姿、それらを踏まえた仮説だ。
「リリティアさんは走り方を変えずに、ペースを変えていました。マナの使用量だけで、スピードをコントロールしていたのかなと思いました」
「ふむ、その通りだ。他にはあるか?」
「つまり、弱い力で走りながらでも、マナの使用量を増やすだけで速く走ることが可能ということ。それができれば、疲れずに長距離を走れるようになります」
そうしてマナが枯渇したら、普通に走ればいい。マナがなくなっても倒れたりはしないし、マナを使わずとも走ることは可能。それは生まれてきてからずっとやってきたことだから当然だ。
「そうだ、それがマナを使う利点だ。マナと体、2つの力をうまく利用することで、長距離の移動が可能になる。そしてもう一つの利点として、マナと体の両方の全力を出せば、とても大きな力を発揮できる。これはバールのようなもので体験しているだろう」
俺の腕力では到底引っこ抜けない切り株も、バールのようなものでならば引っこ抜くことができた。それのことだろう。
「マナを利用するメリットについて理解を深めたところで、練習を再開しようか。やることは先程と同じだ。私の後について、ひたすら走れ」