17話 王の襲来
「ここまでの戦いで、いくつかわかったことがある」
葉枕は一階のリビングで、カップアイスを頭に当てている倉咲に言った。
「眼森は王兵より強い。かれこれ十分以上、奴らの動きを封じてる。カエルの力がある限り、敵は眼森に近づくことすらできないんだ」
窓の外で、眼森はあくびをしていた。
髪の毛は放射状に伸びている。眼森を取り囲んでいるミルフィー達は、青ざめた顔で硬直している。
「不死身少女に勝って嬉しいのはわかるけど、静かにしてくれないかい? 私はあの子に殴られて、気絶してたんだよ?」
「ああ、ごめん」
葉枕は倉咲に謝ったが、口元を緩みは押さえられないようだった。
「とにかく、敵の狙いは僕だ。僕が生き延びて、白水と合流すれば、この戦いは僕達の勝ちだ」
「たしかに、葉枕が生き延びれば、葉枕と眼森さんで、いくらでも反撃できそうだと私も思うよ。でも、ミルフィーの王族の用意した作戦が、女の子を窓から投げ入れるだけだと思うかい?」
「いや、他にも何か策はあると思うよ。王兵の涙童がいないんだ。あいつはきっとこの作戦に参加してるはずだ」
「そのこと、私は一つ気になってるんだよ」
倉咲は頭部に押し当てていたアイスをテーブルに置き、蓋を開けながら言った。
「涙童っていうミルフィーのこと、白水さんから聞いたんだけどさ。彼女って、眼森さんの天敵だと私は思うんだよ」
「天敵……? なんでだよ」
「だって、その『涙童』って、動かずに攻撃できるんだよね? 眼森さんの力と、相性最悪じゃない」
「た、たしかに……」
葉枕の笑顔が消えた。
「眼森が動きを封じても、涙童は攻撃できるな……。でも、たぶん眼森の方が、力の有効範囲は広いから……」
「まぁ、実際どうなるかはわからないよ。でも、私は、王族が眼森さんの弱点を突いてくると予想してるよ。葉枕も先の手を考えておいた方がいいんじゃないかい?」
そう言うと、倉咲はスプーンでアイスを掬った。
葉枕は視線を落とす。
「眼森の弱点か……たしかに、それを考えれば、王族の次の手を読めるかもしれないな」
葉枕は窓の外を見た。
風で木の葉が舞い、眼森とミルフィーの間を通り抜ける。
葉枕ははっとして、倉咲を振り向いた。
「え? 葉枕、このアイスはあげないよ?」
「違う! 眼森の弱点だよ。涙童以外にも、眼森には弱点がある!」
倉咲は窓の外を見て、真顔になった。
「葉枕、それってもしかして……」
「眼森が動きを止められるのは、『生物』だけだ。物は止められない」
葉枕が呟いたとき。
窓の向こうで、木々の隙間から、黒々とした物体が飛んできた。
倉咲がアイスを持ったまま、ダッシュで廊下へ逃げ出し、葉枕も慌ててその後ろに続く。
黒い鉄球が窓ガラスを破壊し、部屋に転がった。
「うわぁっ……! あ、あれって、ミルフィーの世界の武器だよねぇ?」
倉咲がスプーンを咥え、葉枕に問いかける。
葉枕は倉咲の口からスプーンを奪い、床に捨てながら答えた。
「世界が折り重なったとき、こっちにきた物だな。あの物質はミルフィーの建物とかにも使われてる。鉄とほとんど同じだ。重くて硬い。ミルフィーの原始的な武器が、眼森の弱点だ」
倉咲は名残惜しそうに、アイスを下駄箱に置いた。
「どうするんだい? 私達は、このまま家に隠れてるという手もあるよ?」
「たしかに今のところ、あの攻撃は、家の中にいれば防げるな……。でも、眼森が狙われ続けたら、どうなるかわからない」
「じゃあ、外に逃げるかい?」
葉枕は少し考えた後、顔を上げた。
「倉咲、君の直感を信じよう」
「え……私?」
「そうだよ。倉咲は危険を感じ取れるんだろう? 僕はそれに賭ける。敵の狙いは、ここに攻め込んでくるか、僕達をあぶり出すか、どっちかだ。僕達は家にいるべきか、外に逃げるべきか、どっちだ!?」
「え、じゃあ……外で」
「本当だな!?」
「知らないよ! 私の予感はなんとなーく、そうかなぁ? でも違うかなぁ? って感じなんだよ。真後ろで誰かがチェーンソーを振りかぶってたら気づくけど、遠くからスナイパーに狙われてたら、鼻歌歌いながら撃たれるよ!」
「わかった、それでいい。外に逃げよう。何の根拠もない二択よりはましだ。何かあったら、僕が打つ手を考えるよ」
葉枕と倉咲は靴を履き、外へ出た。
眼森は二メートルほど離れたところへ移動していた。眼森が最初に立っていた場所には、黒々とした塊がいくつも転がっている。
「葉枕君、倉咲さん、外に来たのね。でも、敵にあまり近づかないで。私の力の巻き添えになるわ」
「わかった。でも、眼森はもう少し敵の側にいてくれ。その方が狙われにくいはずだ」
「わかったわ」
眼森は近くにいた背の高いミルフィーに近づいた。鉄球が飛んでくる方向から、ほとんど身を隠した状態になる。
「眼森、ここから逃げるときは合図する。そしたら、敵を牽制しながら森に逃げよう」
「わかったわ」
葉枕と倉咲は、眼森から離れた。
葉枕は冷静に告げる。
「倉咲。白水に連絡を取ってくれ。白水が動けそうなら、僕達は白水と合流する。そしたら、作戦を立て直そう」
「おっけー」
倉咲は携帯電話を取り出した。
「森の方には近づかないようにしよう。敵が潜んでるかもしれないから」
「うん、そうだねぇ」
二人は壁に沿って、家の左側に回った。
眼森は一人、敵を硬直させながら、飛んでくる鉄球を躱し続けている。
「眼森! 大丈夫か?」
葉枕が家の陰から叫んだ。
「大丈夫! こんなの、絶対当たらないわ」
眼森は涼しい顔で答えた。
葉枕はホッと息を吐いた。
「命中精度は低いみたいだな。それに、距離があるから避けやすい。しばらく凌げそうだ」
「ってことは、当てるのが目的じゃないのかもしれないよ? 眼森さんの視線を鉄球に集中させようとしてるのかもしれないね」
倉咲の言葉に、葉枕は眉を潜めた。
「たしかに……鉄球で気を引いて、不意打ちする作戦かもしれない。早く眼森を逃がした方がいいな……」
「私達が足手まといだね。私達がここにいる限り、眼森さんは敵を足止めしなきゃいけないから」
「そうだな。僕達が逃げれば、眼森も自由に動けるようになる。早くここを離れよう」
「おっけー」
倉咲と葉枕は家の脇を進んだ。
鉄球が飛んでくる方向から、完全に身を隠す。
「ここまで来れば弾が当たることはないな」
葉枕が呟き、家の裏口に通りかかった。
その瞬間。
「葉枕ッ! 下がって!」
倉咲が叫び、葉枕は足を止めた。
同時に、裏口の扉が開き、涙童が出てきた。
首が葉枕の方を向いた。
「見つけた」
「涙童ッ……」
涙童の頬を涙が伝う。その滴を、長い舌がペロっと舐め取る。
黒い瞳が大きく膨らむ。
「させるか……」
葉枕は目を閉じた。
その瞬間、涙童の目に張り付くように、二匹のカエルが出現した。
泥のような色をした大きなカエルが二匹、涙童の黒目を覆い隠す。
葉枕と倉咲は、反対方向へ駆け出す。
パンッ!
発砲音が鳴り響き、カエルの手足が地面に転がった。
「きゃぁあああ! カエルの足がぁぁぁ!」
倉咲が甲高い悲鳴をあげる。葉枕はそれを無視して、眼森に駆け寄った。
「眼森、逃げるぞッッ!」
「葉枕くん? でも、敵を封じないと」
「それはもういい! とにかく走るんだ!」
三人は森に向かって逃げた。
敵兵が追ってくるが、眼森が振り向き、動きを封じた。
「森の中は眼森の死角が増える。整備された道に行くぞ」
葉枕が二人だけに聞こえる声で言う。
三人は森の奥へ入った後、すぐに山道へ抜けた。
しばらく走り、敵の姿が見えなくなる。
「よし、上手く逃げたな……」
葉枕が息を整えながら言った。
「敵が現れたら、眼森の力で封じられる。森の陰から攻撃されそうになっても、倉咲が気付く。よほどのことがない限り、対応できるはずだ」
眼森と倉咲も息を整えながら、曖昧に頷いた。
長い山道の先まで、敵の姿はない。
三人が休んでいると、葉枕の携帯電話が鳴った。
「白水からだ」
葉枕は呟くと、携帯を耳に押し当てた。
「もしもし、白水。大丈夫だったか?」
『はい。無事です。葉枕さん達はどうですか?』
「僕達も全員無事だ」
『そうですか……不思議ですね。王族が今、村から去ろうとしています。てっきり、私は彼らが葉枕さんかメデューサを殺し、目的を達成したのだと思いましたが……。それとも、作戦に失敗したということでしょうか?』
葉枕はふーっと息を吐いた。
「ああ、僕達は敵の攻撃を凌いだ。今、涙童から逃げてきたところだ」
『そうですか。それは良かったです。カエルで強化したメデューサは、涙童にも通用したのですね』
「いや……」
葉枕は躊躇いがちに答えた。
「涙童には、殺されそうになった。僕のカエルで視界を塞いで、その隙に逃げてきたんだ」
白水の声が止んだ。
長い間が空いた。
「……白水? どうかしたのか?」
『いえ、最悪の事態が、脳裏を過ぎったのです』
「最悪の事態?」
『はい、葉枕さん。今から私の質問に、正直に答えてください』
葉枕は唾を飲んだ。
白水はゆっくりとした口調で問いかけた。
『葉枕さん……涙童の攻撃を凌ぐのに使ったそのカエルは、回収しましたか?』
葉枕は目を見開いた。
唇を震わせながら答える。
「い、いや……カエルは殺されたんだ。僕は死んだカエルは回収できない」
『葉枕さん……』
白水は静かに告げた。
『……今度こそ、私達の負けです。王族がカエルを手に入れてしまったら、私達に勝ち目はありません』




