7,神官兵クロード
「――リラル」
暗記した古代精霊語を紡ぎ出し、魔法を唱える。
「魔除けの霧……マクレーヌ」
どんよりとした空気が俺の周りに広がる。よし。成功だ。
この魔法は、術者を中心に、ケモノや下等魔物の嫌がる空気を放出し、戦わずに撃退するものだ。以前俺がウルフに囲まれていたとき、婆さんが獣たちを追い払ったときに使ったのもこの魔法だ。
もっとも高位の魔物は、逆にこの空気を嫌って、その根源である術者に襲い掛かってくることもあるとか。まぁ、ギルドや婆さんの情報では、樹海内にそれほど高位の魔物はいないようだから、大丈夫だろう。
なによりこの魔法、虫よけになるのが良い。この格好は、裾が短くて膝上まで露わになっている上、二の腕も露出しているので、虫よけでもしないとやってられない。
とはいえ、虫は撃退できても、藪をかき分けるだけで、簡単にむき出しの腕や足に痛みが走るのは辛い。
「くそ。エルフだからか女だからか知らんけど、いっそのこと、筋トレでもして身体を鍛えてやろうか」
あまり効果がなさそうだけれど……
そんなことを考えながら、頭上からかすかに漏れる陽の光を頼りに、腐葉土を踏み分け、俺は樹海をひたすら進んだ。
「……長かった」
昼食をとって、それからまた歩いて……どれくらい経っただろうか。
ようやく背の高い木が減ってきて、開けた場所に出てきた。
まだ森に囲まれているとはいえ、ある程度「人」が整備した道、樹海の入り口だ。
「さてと……。ここからは魔物より、人を警戒しないと危険かもしれないかな」
人の手が入った場所とはいえ、こんなところまで足を運ぶのは冒険者のたぐいがほとんどだ。そして、俺はプーシのギルドに保護依頼が出されている。
素直に「保護」されて事情を説明して分かってくれればいいのだが、入れ替わったなんて突拍子もない話を信じてくれるかどうか。下手したら問答無用で襲い掛かられる可能性もある。婆さんが「多少痛めつけてもいい」みたいな注文を付けたせいで。
とにかく、襲撃を受けず本部まで行って、知り合いと連絡を付けて、婆さんの委任状を見せて依頼を解除しなくては、おちおちと街も歩けない。
ていうか、女のこの格好で街を歩くのか……
想像して頭が痛くなった。
森でひっそりと暮らすエルフの気持ちが分かった気がする。――まったく違う意味だけど。
自分で言うのもなんだが、それなりの美少女なだけに、下手したら、道行く見知らぬ男からナンパされるなんてことが起こりうるかもしれない。うわっ。想像しただけで虫唾が走る。
「おーい。そこのカワイコちゃん。一人? こんなところに居ちゃ危ないよ」
って思っているそばから、男に声を掛けられたよっ!
心の中で自分に思いっきりツッコミを入れる。くそっ。集中して耳を澄ましていれば、ナンパ男なんか接近させなかったのに。
と後悔しつつ、ふと思う。ん? この声とノリ、どこかで聞いたような……
俺は嫌々ながら声の方向に視線を向けると、そこには、見慣れた神殿の簡易法衣を身にまとった男が一人立っていた。さらっとした金髪に、どことなく愛嬌のある顔。俺の背が小さくなっているせいで多少違和感があったけれど、見知った人物だった。
「クロードっ?」
そう。俺に声をかけてきた男は、幼なじみで冒険者仲間のクロードだった。
「へ? なんで僕の名前知ってるの?」
俺の言葉に、クロードが疑問の声をあげる。
あ、そっか。この姿だと一から説明しなくちゃいけないんだ。
「って、まさか――っ」
クロードの顔が変わる。おっ、さすが。もしかして気づいてくれたのか!
「キミ、お尋ね者のエルフかっ?」
「って、そっちかっ。ていうか気づくの、遅っ!」
俺も入れ替わるまで気づかなかったことも忘れて、思わずツッコミを入れてしまう。
それにしても「お尋ね者」って、「保護対象」じゃなかったのかよ。なんてことが頭に浮かぶが、クロードから殺気を感じて、俺は慌てて身をひるがえして、距離をとる。
「まさかキミの方から出向いてくれるとはね。正直、樹海の中は歩くの大変そうだから、あまり入りたくなかったんだよ」
温和な表情が引き締まって、鋭い目つきで俺を射ぬいてくる。普段はアホやっている奴だが、戦いでは多少はマシになる。まぁ戦闘では命を落としかねないのだから当然だが。
「ちょっと待て。俺は……」
「ふふ。『俺っ子』か。いいね。嫌いじゃないよ」
「――そうじゃなくってっ」
俺のツッコミを無視して、クロードが小さく言葉を紡ぎ出す。
「――神のご加護を……マゾンっ」
呪文とともにクロードの身体を淡い光が照らす。
俺が精霊から力をもらって魔法を行使するのと同様、クロードら神官は神々の力を得て魔法を使う。宗派は様々だが、クロードの所属する神殿は、戦いの神と称されている女神パースを信仰している。
その戦い方は、回復魔法が主で後方に下がって支援するという一般的な神官とは違い、女神の加護を受け身体の能力を上昇させ、錫杖で殴り合いに持ち込むというスタイルだ。もちろん、癒しの魔法も使えるけれど。
加護を受けたクロードが、錫杖をすっと俺に向けて構える。
「……はぁ」
俺はこっそりため息をついた。このままぼーっとしていたら、やられてしまうし……仕方ない、やるか。
クロードを見据えながら、古代精霊語を唱える。身体強化しているうえに、耐魔法属性を持つ法衣を身にまとっているので、でどこまで通じるか分からないが……まずは小手調べだ。
クロードも俺の様子を窺っているみたいで一気に攻撃に来る様子はない。
その隙に呪文を唱え終え、俺は魔法を発動させた。
「グリエルっ」
「――お、っと」
クロードが軽く身体をそらす。放たれた衝撃波は、その先の木に当たり、衝撃音がむなしく響く。
「へぇ。そこそこの威力のようだね。けれど、呪文を放つタイミングでバレバレだよ。戦いに慣れていないのかな?」
うっ。
た、確かに、飛び道具を使った戦いはしたことなかったから、いまいちその感覚に慣れていないのは事実だ。
「それじゃ、今度はこちらから行くよっ」
クロードが俺に向けて飛び込んできて、錫杖を横なぎに振るう。
「くっ」
後ろに飛び、それを間一髪交わす。空気を切る鋭い音が、耳に入る。
だが、クロードは交わされるのは承知済みとばかりに、第二撃・三撃と足元を狙って攻撃を加えてくる。
(軌道が低い……狙いは、足か――)
重い錫杖による攻撃は、ライアだったときでさえ、まともに食らえば危険である。まして今の、むき出しになっている華奢な足なら、骨が折れるだけでは済まないかもしれない。おそらく足を潰して無力化させようという魂胆だろう。
バックステップでクロードの攻撃を避けつつ、呪文を唱える。錫杖の動きを目で追っているうちに、どうしても視点が下に向いていく。
その瞬間を狙ったかのように、クロードが俺の顔めがけて、錫杖を突き上げてきた。
「――っ」
焦ることなく、冷静に右足を軽く後ろに引く。そのすぐ前を、錫杖の一撃が通り過ぎて行く。
「……へぇ」
クロードが少し驚いたような感心した声を漏らす。
顔を狙うと見せかけて別の所を攻撃するフェイント。以前手合わせしたときに見せてもらわなかったら、まんまと引っかかっていたかもしれない。
クロードの攻撃が緩んだ隙に、俺は大きく距離をとり、再び反撃の魔法を放つ。
「グリエル!」
クロードは余裕の笑みを浮かべて足を止める。
その真横を風の衝撃波が通り過ぎ、樹海に再び轟音を響かせる。
くっ。ダメか……
かわされるのを承知済みで、あえて外して狙ってみたが、こっちの意図を見透かされてしまった。
彼の言う通り、魔法を使った戦闘にはまだ慣れていない。単調な獣と違い、ある程度戦闘知識を持った相手には厳しすぎる。
――仕方ない。奥の手を使うか。
俺はクロードを見据えたまま、唱えなれた呪文を三度唱える。
「ラル・ラレラ・ルルラロ――」
クロードが小馬鹿にするように俺を見る。確かに、またグリエルをただ放ってもかわされるのがオチだろう。
呪文を唱え終え、身体に魔力が集約してくる。後は発動させるだけだ。
けれど――
「ラルレリル・リ・ロロルラ・レリ・ラ・ラーリラ……」
グリエルを発動させず、魔力を体に宿したまま別の呪文を唱える。
婆さんに教わったわけではない。幼馴染の魔法使い、リーニャがよくやっていた、魔法を連続して使う方法。エルフの精霊魔法も原理は同じなら、きっとできるはず。
魔力の波動が俺の髪の毛や服を揺らす。魔力を察知したのだろうか。クロードの表情が変わる。けれどなぜか襲い掛かってくる様子はない。警戒しているのか? こちらとしては助かる。
二つ目の魔法を完成させ、クロードに向けて解き放つ。
「風よ、すべてを巻き込め――ブラリアントっ!」
俺の声とともに、森が大きく揺れた。
竜巻を思い起こすほどの突風が生まれ、轟音が響き渡る。
婆さんから教わった、広範囲に突風を巻き起こす魔法だ。風の力を集約したグリエルに比べて威力は弱くても、非常に広範囲に及ぶので避けることは不可能だ。
「――くっっ」
葉や小枝に巻き込まれながらも、クロードが地面に踏ん張って、突風に耐える。だが、吹き飛ばせられないのは予想済み。足を止められれば、それで十分。
俺の意図を察知したのか、クロードの顔がゆがむ。
そんな彼に向け、俺は豪風を制御しながら、無常に言い放った。
「風の衝撃――グリエルっっ!」
放たれた魔法は突風を切り裂くかのようにしてクロードをめがけ、彼の身体を大きく吹き飛ばした。
「はぁ……はぁ……ぁ」
ブラリアントの突風による森のざわめきがまだ残る中、大きく肩で息をする。
耳に入る自分の吐息が妙になまめかしいことはさておき、想像以上の疲労だ。連続魔法は便利だが、使いどころに気を付けないといけないな。
クロードは離れたところに、仰向けの状態で倒れていた。必死に起き上がろうとしているが、全身を強く打ったのだ。しばらくは動けないだろう。
俺は重たい身体を引きずるようにして、倒れているクロードの傍に近づく。さて、どうやって入れ替わったことを説明しようか……と考えたときだった。
「くっぁぁ」
不意に右足首に衝撃を受け、俺はそのまま地面にたたきつけられた。地面に倒れた状態から、クロードが錫杖を振るったのだ。
くそっ。油断したっ!
無茶な体勢からでも、魔力のこもった重い錫杖の一撃は、俺の――レミアの細い足首に強力なダメージを与えるには十分だった。
「……ふっふっふ。油断大敵。形勢逆転、だね」
クロードがゆっくりと立ち上がり、身体をふらつかせながら、こっちに向けて歩んでくる。
くそ。駄目だっ。何とか体勢を整えないといけないのに、足の痛みで身を起こすのがやっとだ。
俺は地面に座り込んだまま、クロードを見上げた。
「――うっ。ぐはぁぁっ」
すると突然クロードが吐血しかねない勢いでのけ反った。
な、なんだ? 俺は何もしていない。第三者の攻撃か――
「く……そ、そんな涙を浮かべた上目遣いの瞳で見つめられたからって、ぼ、僕は籠絡できないからねっ」
そっちかよ!
ていうか、確かに足首が痛くて涙が浮かんでいる気もするけれど、今の俺って、そんな表情しているのか? 急に恥ずかしくなって心なしか熱くなった頬を抑える。その仕草がまたツボに入ったようで、クロードがまたのけ反った。これは面白い……じゃなくて。
「待て。クロード。俺だ。ライアだ」
「くぅ……君の名前はライアと言うのか。どっかで聞いた名前だね。けど君はお尋ね者のエルフの少女、レミアに違いない。これが証拠だ」
クロードが取り出したのは例の手配書。婆さんの手書きのようだが、さすが百年以上生きているだけあって、かなりそっくりである。
「いいから聞け、クロード。そのレミアに魔法を掛けられて、今の姿はこんなだが、中身はお前の知っているライアなんだ」
「……なにを馬鹿なことを。ん、けど、そういえば、君はどうして僕の名前を知ってるんだ……?」
クロードが首をひねる。少しは話を聞いてくれる状態になったようだ。
彼は少し考えた様子を見せてから、俺に向かって尋ねた。
「――仮に、ライアと名乗るなら、証拠はあるのか?」
「そうだな……お前が、見た目幼いエルフの少女に欲情していたことを、ミネとリーニャにばらす」
「なっ、そ、それは――」
その一言に、クロードの顔が真っ青になった。
ちなみにミネとリーニャとは、クロードの姉と妹である。
これは効果覿面だったようだ。だが、クロードはすぐに復活すると、ぽんと手を打って言う。
「よし。ならば口止めに、とても他人には言えないようなあんなことやこんなことをしてあげよう」
「っておいこらっ!」
俺は思わず足の痛みも忘れて身を乗り出してツッコミを入れる。そんな姿を見て、クロードは頭を抑えた。
「そのノリとツッコミ……まさか、本当にライアなのか」
「最初からそう言っている」
ていうか、ノリツッコミで判断するのって、どうよ?
俺は大きくため息をつきながら、樹海に入ってから自分の身に起きたことを説明した。
クロードは最初のうちはしっかりと俺の話を聞いてくれた。
だが、しばらくすると急に暴れだし始めた。
「うわん。くそーっ。よりによって、なんで入れ替わったのがライアなんだよ。ちくしょー、うらやましい。僕にだったら、エロいこと、やりたい放題なのにーっ」
「……いちおう聞いとくが、おまえ、神官だよな」
「それはそれ、これはこれ!」
「……それでええんか」
「知ってるか? 神話の神々だって、NTRアリのエロエロなんだぞ」
「あっそ」
まぁクロードの反応がどうあれ、こんな突拍子もない話を信じてくれたのはすごく嬉しい。
嬉しいのだが……何ていうか、戦い以上に疲労した気がするのは、勘違いだろうか?
「まぁとにかく、任務のことがあるし、まずはプーシのギルドに戻って、ライア――っていうか、レミアちゃんの手配を解くのが先決かな」
こっそりと首をひねる俺に向け、クロードがいつもの表情で言った。
「あぁ。そうだな」
仲間が増えるのは心強い。
「けど、俺の身体に変なことするなよな?」
クロードは返事をせず、そっと視線を逸らしただけだった。
っておいっ!
新キャラ登場で、ようやくTSっぽい展開になってきました。自分としてはコメディ的なノリは書きやすいですし、前作ではこういう反応は描けなかったので、書いていて楽しかったです。
……バトルの方は、もっと勉強しないとダメですね