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6、エルフとして


「……んっ……ん、うーん……」

 けたたましい虫と野鳥の鳴き声で目が覚めた。

 樹海に寝泊まりして二日。ようやく耳が慣れてきた。

 木々の葉の間から、白い光が射し込んでいた。しっとりとした空気が薄い靄を作っている。まだ早朝だというのに、鳥も虫も元気なものだ。

 俺は背の高い木の枝に座ったまま、軽く身体を伸ばした。

 普段、街の外で野宿するときは、交代で見張りを立てるか、一人のときは魔よけの香を焚いて寝ていたが、エルフならこうだと、婆さんに無理やり教え込まれた。当然ながら何度か落ちかけたが、レミアの身体が覚えているのか、しばらくして慣れた。人間、頑張れば意外となんとかなるもんだ。

 ……って、エルフだけどな。

「んしょ」

 俺はたっぷりため息をついてから、服の裾を抑えるようにして、木の枝から飛び降りた。

 自分の背より何倍も高い木の枝から飛び降りたというのに、身体が軽いからか、エルフとして何らかの加護があるのか、足に掛かる衝撃はほとんどない。

 少し森の中を歩いて、近くの泉に向かう。朝日に反射して、水面がキラキラと光っている。俺はすたすたと泉の傍まで歩いて……思わずぎょっとする。

「……相変わらず、こっちは慣れないな」

 水面に映る寝起きの美少女の顔を見ながら、苦笑する。いまだに、水面の少女が自分だと、なかなか納得できない。

 俺は服を脱いで、泉の中に身を投じる。エルフは人間と違って、代謝が少ないみたいで、ライアだったときにくらべ発汗は減った気もするが、蒸し暑い樹海で夜を過ごせば、やはり汗が出る。

「ふぅ……」

 水しぶきをあげながら、寝汗を落とし、自分の身体を見つめる。こっちは、もうすっかり見慣れてしまったので驚きはない。――って、顔に慣れないのに身体に慣れたからって、長々と己の裸体を観察していたわけではない、と一応言い訳しておく。

 見た目相応に成長しているが、それでもまだ子供っぽいからか、それとも自分の身体だからか、婆さんの監視が厳しいからか、どのみち変なことを考える余裕もないのが事実だ。

 むしろ、筋力の無い華奢な身体を見ていると、今までの鍛錬が水の泡になったようで、むしろ悲しいくらいだ。

「……あいつ、俺の身体になって、鍛錬を怠って、ぶよぶよの身体になっていたら、蹴り倒してやる……」

 俺は固くそう誓いながら、泉を出る。

「えーと、ラル、リレーロ、ルリル、ラリルロラ……風の囁き――マルティス」

 自然に呟くように呪文を唱え、魔法を発動させる。俺の身体を温かな風が包み込む。温風を呼び起こす魔法。身体や髪の毛、洗濯物を乾かすのに適した、なんとも生活に根差した魔法だ。

 俺としては、強力な攻撃魔法を覚えたいところだが、女のたしなみ、として婆さんに真っ先に教えられた。便利だからいいけど。

 身体を乾かしてから、下着を身に着け、髪の毛を整える。ライアのときに比べて髪の毛が長くなっているので、意外と面倒くさい作業だが、やらないと婆さんにどやされる。まぁ、男の時髭を剃っていたのと同じだと考えれば、労力は似たようなものか。

 ちなみに、エルフの身体にはムダ毛は生えないらしい。面倒事が減って、これはかなり嬉しい。

 最後にいつもの貫頭衣を着込む。服はこれしか持っていない。里に戻れば着替えくらいは置いてあるみたいだが、さすがにこの姿で里に行くつもりはないし、婆さんも一人戻って服を持ってきてくれるような性格ではないので、仕方ない。

「……くそっ。街に戻ったら、絶対に服を買ってやる」

 この裾の短いスカート風の貫頭衣を何とかしたいし、靴だってサンダルに毛の生えたような質素なものから、せめてもう少しまともなものに……って、よく考えたら、金はどうなるんだ? 少なくとも、レミアの持っていた革袋の中に貨幣らしきものはないし、街に戻るまでは金無しなのか?

「……はぁ」

 早くも本日何度か目の溜息をつきながら、俺はぶつぶつと、マルティスとは別の呪文を唱える。近くに婆さんの姿が見えなかったし、そろそろ来る頃だろう。

「ラル、ラリロレ、ルルリロル……」

 婆さんに教わった魔法は五つ。古代精霊語を一から理解するのは無理だからと、呪文を暗記させられた。グリエル同様、言葉の意味が分からなくても、呪文さえ合っていれば問題ないようだ。暗記は得意なのでそれほど問題なかったが、舌をかみそうな音の羅列には苦労させられた。

「――風の盾、ウィリアっ!」

 それでも無事呪文を完成させ、俺は魔法の名を叫んだ。

 魔法の効果をわざわざ口にする必要はないが、声に出した方が集中力が増して効果も良いらしい。婆さんいわく、「出来損ない、と言いながら、大馬鹿者、って文字で書いてみな。難しいだろ」とのこと。納得はしたが、その例えはどうかと思う。

 魔法が発動し、俺の周囲に空気の防壁が出来上がる。それが、俺に向かって襲って来た風の衝撃が、見事に弾き飛ばす。

「ふむ。少しはまともになったようだね」

 衝撃波が襲ってきた方向から、婆さんがゆっくりと姿を現した。

「ったく。もう慣れたけれど、不意打ちは勘弁してくれよな」

「そうかい。なら今度は真正面から行くよ」

「ちょ、ちょっと――」

 俺は早口で再び障壁を発動させる。間髪を置かず、衝撃波が今度は連弾で襲い掛かって来る。

「くっ……」

 耳元に風の叩く轟音が何度も響く。盾で防いでいるものも、反動で身体が飛ばされそうになるのを必死にこらえる。婆さんが繰り出す連弾は一向に止まる様子はない。一方で俺が発動させた盾は、少しずつ効力を失っていく。

 くそっ、このぉぉっ。

 気力を振り絞って、盾を再強化する。

 けどそれも一瞬。魔力が尽きて盾があっという間に力を失っていく。――やばいっ。

 俺は思わずぎゅっと瞳をつぶってしまった。

 だが身体に衝撃波が襲い掛かることはなかった。気づくと、風の連撃も収まっていた。

「……はぁ。はぁ……はぁ……ぁ」

 俺はがくりと膝をついて、呼吸を整える。なんとか、防ぎきったのか、婆さんに手加減されたのか……いずれにしろ、さすがに、今のは、疲れた。

「持続力もそこそこなってきたね。こればかりは感覚で覚えてもらわないといけないからね」

「ったく……稽古付けてくれるのはいいけれど。せっかくすっきりしたってのに、また汗かいてしまったじゃねーか」

「なら、水浴びしている状態で襲い掛かったら良かったかい?」

「……それはやめてくれ」

 俺は脱力しながら即答した。ようやく見慣れてきたとはいえ、素っ裸で戦うのだけは勘弁だ。


  ☆☆☆


「さてと、そこそこ魔法も使えるようになったようだし、そろそろいいだろう。私もいい加減、里に帰りたいし、あまり長くここにいたら、仲間に見つかるおそれもあるからね」

 朝食をとりながら、婆さんが言った。朝食は森で取れた果物だけだ。これだけで十分腹の足しになるのだから、エルフは便利なものだ。ちなみに、肉を食っても別に問題はないらしい。今は森の中だが、町に出たら、たらふく食ってやる。……金があればな。

 ところで、食うものを食えば、当然出すものも出すわけで。

 これは美少女だろうが、エルフだろうが同じだった。昨日の朝、自分の身体から出た糞のにおいを嗅いでいるところを婆さんに見られたときは、マジで死のうかと思った。

 とまぁそんなこともあって、顔はともかくこの身体には慣れてきたわけだが……って、飯のときに変なこと思い出してしまった。

 とそれはさておき。

「あぁ」

 俺は果物を飲み込んで、うなずいた。

 ようやく……か。

 これでやっと、森から出ることができる。口うるさい婆さんともう付き合わなくていいわけで、思わず涙が出てくる。まぁ、これからこの身体で一人で行動しなくてはならないのは、少し不安が残るけど。

「さて、外で人に会ったとき変に思われないよう、あんたはレミアになりきること。それは分かるね?」「分かってる。大丈夫だ」

「あんたの名前は?」

「レミア」

「年は?」

「……三十七」

 うわぁい。あっさり三十路入りだ。

 エルフは種族にもよるが、寿命は大体人の二倍から三倍くらいだそうだ。ある程度想像していたが、レミアはやはり俺より年上っていうか、二倍近く生きていた。エルフが長寿であるという知識はあるが、こう目の当たりにすると、変な感じがする。

 けれどその一方で、彼女が大人びて見えた理由に、少し納得した。

 もっともレミアも婆さんをはじめとする他のエルフ仲間からすれば、三十七のレミアは、小娘には違いないようだが。

「あんたの目的は、本物のレミアを探しだし、身体を元に戻してこの森へ連れ戻すこと。いいね?」

 俺は無言でうなずいた。

 森に連れ戻すこと云々は正直どうでもいいが、レミアを見つけ出してこの身体を元に戻してもらうことには、異存はない。

「それじゃ、あんたに掛けていた魔法を解くよ。これで森の外に出られるはずだよ」

 婆さんが古代精霊語をつぶやくのを、俺は黙って聞いていた。

 婆さんと二日間過ごしたが、向こうの事情やエルフのことについてはほとんど聞けなかった。聞いたところで教えてくれなかったんだけどな。

 里の巫女的な存在であるというレミアにどんな役目があるかは分からないが、逃げ出そうとするレミアに森から出られなくする魔法を掛けたり、わざわざ人間に頼んでギルドに捕獲の依頼を出すくらいだ。それなりに重要なことなんだろう。

 エルフである婆さんやレミアが俺たち人の言葉に堪能なのは、その役目に関係するのだろうか。婆さんから聞いた限りでは、まったく人語を解さないエルフも多数いるとのこと。

 ちなみに、エルフが現在使用している言語と古代精霊語も、まったく別のもので、婆さんでも古代精霊語を全て理解しているわけではないらしい。それでも魔法が使えちゃうなんて、精霊とやらもずいぶん気前がいいよなぁ。

 なんて考えているうちに、俺の身体に光がまとった――と思ったら、それもすぐ消えた。

「終わったよ」

 婆さんが相変わらずのぶっきらぼう口調で言った。

 実感はまったくないが、これで森の外に出られるのだろうか。樹海のど真ん中で過ごしていたせいで、出られない、という縛りがどんなものか分からないが。

「まずはギルドに戻って、あんたの――レミアの保護依頼を解除してもらうことだね。依頼者である私の署名入りの手紙を持っていけば、問題ないだろう。でないと、あんたがレミアと間違えられて、お仲間から狙われちまうからね」

「……誰のせいだ」

「レミアのせいにきまっているだろう」

 にらむ俺をしれっとかわして、婆さんが続ける。

「ついでに、ギルドにお願いして、本物のレミアを探してもらったらどうだい?」

「いや、それはあまりしたくない」

 そりゃ、俺の現状について相談しなくてはいけない人はいるけれど、ギルドに依頼してレミアを探してもらうよう手配してしまったら、顔も知らない他の冒険者にもこのことが知れ渡ってしまう。

 そうしたら元に戻った後も、いろいろ面倒そうだし。やっぱり、こっそりと俺の手でとらえるしかないと思う。

「レミア……俺は、もう森に出ているのかな」

「そりゃそうだろう。ここから出たがっていたからね」

 そうつぶやく婆さんの口調が心なしか、寂しげに聞こえたのは……気のせいだろう。

「今更だが……レミアのほうは大丈夫なのか?」

 樹海さえ無事に出られれば、南に半日も進むだけで街道に出るので、のたれ死ぬことはないと思うが、レミアになった俺がこれだけ苦労しているのだ。どこまで人間の生活を知っているかは分からないが、あっちは大丈夫だろうか。

 元に戻る身体がなくなってしまう――なんてオチはマジで勘弁だぞ。

 そんな俺の気持ちを読んだかのように、婆さんが言う。

「そうならないように、早くあの子を捕まえてくることね」

「ああ、分かったよ。それじゃ、まぁ色々あったけれど、世話になったな」

 俺は軽く手を振って、婆さんに背を向ける。

 もっていく荷物などない。

 ただひたすら森の中を歩き続けて、樹海の外に出るだけだ。

 ゆっくりと足を踏み出す俺の背に向けて、婆さんがため息混じりに声をかける。

「……魔法は少しマシになったけれど、女らしさの方はさっぱりだったね。せめて、言葉遣いくらいは気を付けな。かえって目立つよ」

「……善処する」

 正直、女言葉を使うのはむりっぽそうだった。



12月は忙しいですが、年内にあと2回くらいは更新したいです。

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