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5、エルフの老婆

「……厄介だな」

 さすがエルフの耳は伊達ではないようで、意識して耳を研ぎ澄ませると、ライアだったときよりはるかにたくさんの音をとらえることが出来た。

 間違いない。獣だ。それもかなりの数だ。しかもこの獣たちの息づかい、ただの呼吸ではない。どこか敵意のようなものを感じる。

「目的は泉の水か、それとも、俺――エルフの少女か?」

 草食の獣ならいいのだが、感じる雰囲気からして、その可能性は低そうだ。

 俺の背後は泉。そしてその泉を囲むように茂る草木の奥から、複数の獣の気配が感じられる。

 どうする? どうすればいい?

 頭ばっかりが混乱して、身体が動かない。

 そうこうしているうちに、ついに茂みの奥から、一匹の獣が姿を見せた。

「うっ、デヒアウルフかよ……」

 思わず愚痴が漏れる。

 森に生息する狼の一種。性格は獰猛で肉食。群生して行動する。正直、ライアだったときでも一人では戦いたくない相手だ。しかもこいつは、以前遭遇したときのデヒアウルフに比べて、明らかに体長が大きい。

 自分が小さくなったからそう見えるのか、それとも単純に大物なのか……

 デヒアウルフは、荒い息を吐きながら、俺をじっと睨みつけてくる。いきなり襲い掛かって来ることはなかったが、残念ながら、このまま俺を素通りして泉の水を飲む、なんてこともなさそうだ。

 目の前の獣に注意を向けながら、そっと背後の泉に目をやる。飛び込んで逃げることはできるだろうか。

 問題はデヒアウルフが泳げるかどうかだ。あいにくそこまで生態に詳しくない。それに、さっき強制的に水浴びさせられたから分かるが、泉の深さはさほどない。下手したら、足を取られている間に、デヒアウルフに襲われて、あっという間に泉の水が赤く染まってしまうかもしれない。

 やるしかないか……

 姿を見せた一匹はまだ襲い掛かって来る様子はない。俺は獣から視線を逸らさないように気を付けながら、小声でメモに書かれた呪文を読み上げる。まだだ。まだ、襲い掛かって来るなよな――っ。

 永遠にも感じられる時を経て、なんとか例の古代精霊語を唱え終える。

 魔力が下りてくる。よし、いける。

 俺はデヒアウルフを刺激しないように気を付けながらそっと手の平を、そいつに向ける。伸ばした手が震えるのを抑えるようにしながら狙いを定め、軽く息を吸って、魔法を発動させる。

「――グリエルっ!」

 風の衝撃波が、目の前のデヒアウルフを派手に吹き飛ばす。近くの木に激突した獣はぴくりとも動かず息絶えた。

「よしっ」

 だがそれを合図に、囲むように茂みに隠れていたデヒアウルフの群が一斉に襲いかかってきた。

「グリエルっ――って駄目かっ」

 一度魔法を発動させてしまうと、連続して放つことはできないようだ。もう一度呪文を唱えるがとても時間が足りない。

「くっ――」

 襲い掛かって来たデヒアウルフの攻撃を、跳躍するようにして、身をかわす。

「おっ。軽い」

 今更気づいたが、この身体は筋力はないが、身が異常に軽い。体格骨格の問題だけではなく、エルフとして、風の精霊の加護を受けているのかもしれない。

 俺はもう一度呪文を唱え始める。次々と襲い掛かって来るデヒアウルフの吠え声を間近に耳にしながら、その鋭い牙や爪での攻撃を、無駄のない動作でかわす。そして再び魔法を発動させる。

「グリエルっ」

 また一匹のデヒアウルフを吹き飛ばす。

 バカの一つ覚えみたいだが、実際これしか魔法を知らないので仕方ない。

「はぁ……はぁ」

 あと何匹だ? 1・2……3匹か。もう奥には隠れていないよな……?

 必死に息を整えながら周りを確認する。身は異常に軽いが持久力には欠けている。それに魔法を放つのにも相当の体力を消耗させられる。

 このまま戦い続けるのはきつい。

 そう判断した俺は、デヒアウルフたちの攻撃が一瞬緩んだ隙を見て、その囲みを突破した。身の軽さを生かして一気に距離を引き離し、森の中に逃げ込んだ。

 だがすぐに、その作戦が失敗したことに気づく。

 何もない泉の周りに比べ、樹海内ははっきり言って走りづらい。すぐにデヒアウルフたちの追撃が始まる。体長は俺と同じくらいだが四足で走る分、森の中をスムーズに移動してくる。

「くそっ。グリエルっ」

 走りながら背後に向けて放った魔法は大きく外れる。樹海の木々が、むなしく揺らされる。

 足だけでなく体全体に疲労を感じながら、必死に獣から距離を取り、再び古代精霊語の呪文を唱える。

 だが。

「ロロル――リラリ。……って、なんだ」

 呪文を唱え終わっても、魔力が溜まる感覚が起こらない。身体にまとわりついてくる魔力は明らかに少なくなっているし、それを身体に力をため込むことも出来ない。

「はぁ……はぁ。くそっ。これが魔力切れって、やつか」

 一気に疲労が襲って来て、俺はついに足を止めてしまった。

 膝に手を当てて大きく呼吸を繰り返す。足が痛い。肺が痛い。汗や長い前髪で視界がにじむ。

 俺が立ち止まっても、デヒアウルフは一気に襲ってくることはなかった。

 反撃を恐れているのか、ある程度一定の距離を取って、様子を見ている。

 この隙に魔法を唱えられたらいいのだが、それも無理な話だ。今はいいが、魔力切れに気づかれたら最後。一斉に襲いかかられて、八つ裂きにされてしまうだろう。

「――これまで、なのか」

 あの獣たちに襲い掛かられたら、この華奢な身体では抵抗できるはずがない。

 そう俺が死を覚悟したときだった。突然、もわっとした空気が流れてきた。風とはどこか違う、不思議な感覚。

 その空気を浴びた途端、獣たちは明らかに嫌がるそぶりを見せ、小さな唸り声をあげながら、森の奥へと去っていった。

「……な、なんだ?」

 いったい、何が起こったのか。

「ルクテン、モミ、ドアィミー」

 訳が分からないまま突っ立っていると、獣が去って行った方向とは逆から、奇妙な声がした。森が生み出す音や獣の吐息ではない。声だ。

 俺ははっと顔をあげて、その方向に目をやると、木の根をゆっくり乗り越えてやって来る人影が見えた。

 それは老婆だった。俺も小さくなったが、それより頭一つ分くらい背が低い。別に腰が曲がっているわけではなく、全体的に縮んだ感じだ。裾が長くて重厚な衣装を引きずるようにして、俺の前にやってくる。レミアの銀髪よりやや色素が薄い髪は白髪なのか微妙に判断しづらいが、その髪の毛から、横に伸びるように耳が顔をのぞかせていた。俺――レミアと同じだ。

「レグクーンピ。ルフーツプ」

 老婆はエルフだった。今の俺と同族。敵意はなさそうだが、何を言っているか分からない。

「あ、俺は……」

「ん?」

 何と説明していいか口が回らない俺の顔を、エルフの老婆がまじまじと見つめて、舌打ちした。

「なんだい。中身は『人』か。風の精霊がずいぶん騒いでいるから、何事かと思ってきたら、そういうことかい。まさかとは思っていたが、あの子、禁呪を使ったね」

「……分かるのか? それに言葉も――」

「そんな人間臭い雰囲気を出していて、分からないでか。人の言葉も、とっくに覚えておるわ」

 老婆が吐き捨てるように言う。

 なるほど。先ほどのはエルフの言葉だったのか。

 ということは、レミアは俺に合わせて「人」の言葉を使ってくれたのかな……とぼんやりと考えながら、ふと気づく。さっきこの老婆は俺を見て「あの子」と言った。それってつまり――

「婆さん、あんた、あいつのことを知って」

 俺は老婆に詰め寄ろうとして――意識が一瞬、飛んだ。思いっきりめまいを起こしてしまい、その場にへたり込んでしまう。

「とりあえずこれをお食べ。魔力が回復するから」

 そんな俺を見て、老婆がやれやれと首を振った。

 差し出されたのは、小さな赤い木の実だった。例の痺れ薬の件もあるので慎重にいきたいが、断る体力もなかったので、素直に口にした。

「……うっ、すっぱ」

 歯ごたえは思ったより柔らかいが、うま味も何もなくただ酸っぱいだけだ。

 けれどそれを咀嚼していくうちに、少しだけ体力が回復していくのは感じた。

「座ったままでいいから、話な。まず、あんたは何者だい? どうしてレミアの身体にいる? まぁ想像はつくけれどね」

「……だったら、その想像通りだよ」

 老婆に促され、俺は木の根に座り込みながら、これまでの経緯を語った。

 冒険者をやっていて、ギルドの依頼でレミアを探しに来たこと。ところがレミアの魔法によって、身体を乗っ取られてしまったこと。

「まったく……ギルドとやらも大したことないんだね。期待した私が馬鹿だったよ」

「……ん、てことは、エルフ保護の依頼を出したのって、婆さんだったのか」

 老婆の言葉に、俺は今更ながらに気づく。

 レミアの方は似顔絵と名前があったけれど、肝心の依頼主の方の似顔絵はなかったし、名前も確認していなかった。樹海中央の大樹の下で待っていると書かれていたのでそこに行けばいいのかな、と。

 今考えると、あまりに適当過ぎて恥ずかしくなってきた。

「そうだよ。わたしが追いかけると気づかれるから、樹海に来た商人を通して依頼したんだけれどね」

 老婆の話によると、レミアは里の巫女的な存在で、いなくてはならない立場らしい。ところがたまたま里に迷い込んだ人間に影響されたのか、里から抜け出そうと試みた。もっともそれを察知した老婆がかけた魔法により、レミアを樹海から出られなくさせることには成功した。それでも樹海は広い。しかもエルフの勘は鋭く、同族が近づくと勘付かれてしまうので、人間に依頼したとのこと。

 なるほど。レミアの言っていた話と大体一致する。けれど老婆の話からするともしかして……

「レミアが里でどんな役目を負っているのかは知らないが……代わりに俺を連れ戻すのか?」

「悪いけどあんたには用がないよ。役に立たん」

「そうか……」

 少しほっとした。役立たず扱いされたのには少しむっとしたが、エルフとして森の奥の里とやらに拘束されるのはごめんだ。

「では、どうすればいい?」

「もう一度、レミアと会って身体を元に戻して、その上でレミアを連れて来な」

「元に戻る方法は?」

「禁呪だと言ったろ。そんなの、私が知るかい。レミアをひっ捕まえて、直接レミアに聞きな」

 いい加減な……

 ずいぶん勝手な婆さんだ。正直、レミアに同情しなくもない。

 だが婆さんの思惑はともかく、俺だって早く元に戻りたいし、そのためにはレミア(今はライア)を見つけ出す必要がある。

 利害は一致している。

「とりあえず、森から出られるよう魔法は解いてやるが、レミアを追うんだったら、他にも簡単な魔法は覚えた方がいいね。あんたには用がないけれど、その身体は必要なんだ。このままじゃ危険すぎる」

「ありがたい。それは助かる」

 さすがに、グリエルだけの単調な戦い方では、この森を抜け出せるかどうか不安だったところだ。戦い方に幅が出るのはよいことだ。

「それと……」

 老婆が俺の足下を見てつぶやく。

「女としても、いろいろ教え込まないとね。さっきから丸見えだよ。私には、そんな下着を見る趣味ないけどね」

「なっ――」

 老婆の言葉に、俺は慌てて貫頭衣の裾を押さえた。



エルフ語は近くにあった物を見て適当に考えてみたもので、特に意味はありません

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