4、魔法、使ってみた
「……はぁ。マジで死ぬかと思った……」
麻痺から回復して身体が動くようになったのは、レミアが消えてしばらく経ってからだった。
全身が麻痺していたというのに、幸い後遺症らしきものは口の中の渋味くらいで、身体も普通に動かすことが出来た。
俺は泉の水で口を漱ぎながら、水面に映る自分の顔を改めてじっと見た。
大きな翠色の瞳をしている。覗き込んでいると、まるで吸い込まれそうだ。ちらりと見たときも思ったが、なかなかの美少女である。
瞬きをすると、泉に映る美少女も瞬きした。
俺はふと思いついて、変顔をしてみた。
なかなかお目にかかれない美少女の変顔が泉に映る。これは面白い。
俺はゆっくり立ち上がって、泉に全身を映してみた。
華奢な身体だが、それ相応に出るとこは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。貫頭衣から伸びる白い足が妙になまめかしく見える。もう少し泉の傍に寄って立つと、服の中を覗き込むことが出来た。
「お、パンチラ」
別に嬉しくもないが、変に感心してしまった。
しばらくそんな感じで、自分の姿を確認して、ふと既視感を覚える。
ん? この娘、どこかで見たような気が……。泉で水浴びしていた時ではなく、それより少し前に……って、あ。
「こいつ、保護対象のエルフ本人じゃねーか!」
水面に映った顔を見て、今更ながらに、俺は気づいた。
オリオールさんに見せてもらった似顔絵のまんまだ。名前も確か、レミアとか書かれていた。
「……はぁ」
思わずため息が漏れる。
ミイラ取りがミイラになる。冒険者の中で言われている格言が、まさか、その言葉通り、自分に襲い掛かろうとは思ってもいなかった。
「ってことは、もしかすると……結構まずいかもな……」
任務に向かった俺からの連絡が途切れたら、オリオールさんはどう思うだろうか。対象は魔法を使う、と書かれていたし、俺が返り討ちにあったと思うのではないか。そうなれば、他の人間がギルドから派遣される可能性がある。
それが「保護」で済めばいいのだが、相手は荒くれ者の冒険者たちである。問答無用で襲われる可能性も高い。外見がそれなりに美少女なだけに、不埒なことを考えてくる輩もいるかもしれない。
泉に自分の姿を映して遊んでいる場合ではなさそうだ。
とはいえ、レミアを追いかけようにも、俺が麻痺している間に森の中に消えてしまって、どこに向かったかも不明だ。
「とりあえず、知り合いに連絡を取るしかないか……」
そう考えて真っ先に思い浮かんだのは、いつも穏やかな笑顔をしている相棒のクロードだった。同郷出身の一つ年上の冒険者仲間だ。神に仕える神官としてこの世を浄化するという目的で、俺と一緒にギルドの任務で各地を回っている。
と、こういうと何か立派で厳格な人物のようだが、この世を浄化云々は建前のようなもので、実際は堅苦しい神殿の仕事から逃れて遊んでいるような性格で、ノリのよい奴だ。エロくて女好きだし。
と、そこまで考えて強烈な不安に襲われた。……この姿で奴の前に出て大丈夫か?
ま、まぁそれはさておき。
そのクロードも今回は本職の神事のため、プーシにいるわけで。どちらにしろ町まで戻るしかないのだが……
「問題は、この身体で魔物や獣が潜む樹海の中を移動できるか、ってことだよな……」
ぽつりとこうやって独り言をつぶやくたびに、可愛らしい女声が耳に入って来るのには、ようやく少し慣れてきた。
レミアは武器らしきものを持っている様子はない。
エルフは森の仲間だから獣や魔物に襲われない、ということはないはず。となれば、なんらかの自衛手段があるはず……
「あ、そっか。魔法、か」
レミアが姿を消す前に言っていたことを思い出す。魔法について何かメモがあるって言っていたっけ。
俺は腰についている皮袋を漁る。すると彼女の言うとおり、綺麗に折りたたまれた紙切れがあった。
慎重に広げると、ちゃんと読めるようにと言っていたように、人の公用語で細かな文字がびっしりと記されていた。
☆☆☆
おはー。
この手紙を読んでいると言うことは、おそらく私はいないだろう。なんちゃって。
じゃあさっそく、魔法教えるよ。簡単な風の衝撃波を生み出す魔法ね。
まずは古代精霊語を唱えてみましょう。これで精霊に呼びかけて力をもらうの。さぁ、どーぞ。
『ラル、ラレラ、ルルラロ、レルロ、ラルリ、ロロルリラリ』
どう。力感じるよね?
そしたら意識を集中して、魔法をイメージしながら目的めがけて、「グリエル」と叫んでみましょう。
はい。簡単な魔法の完成でーす。
これである程度の魔物や獣は撃退できるからねー。
もちろん、他にもたくさん魔法はあるけれど、紙に書くの面倒だからあとは自分で勉強してね。
それじゃ、達者を祈る!
☆☆☆
メモを読み終えた俺は、気持ちを落ち着かせるように大きく深呼吸した。なんていうか、このいかにも準備していました感が、かなりムカつく。
思わず、メモを破り捨てたい気持ちが沸き起こったが、さすがにそれはまずいので、やめておく。
「……まぁ、魔法の原理は似たようなものなのか」
魔法を使ったことはないけれど、幼馴染に魔法使いがいるので、魔法がどういうものなのか大体は知っている。要は自分以外の何かから力を借りて、発動させるものだ。神官のクロードだったら神々。リーニャのような魔法使いは、協会が保管しているという魔石から力を呼び起こしているはずだ。
精霊に呼びかけると書いてあるから、力を借りるのは風の精霊とかなんだろう。神々にしろ魔石にしろ、術者が対象と契約していなければ、呪文を唱えたところで意味がないが、レミアの場合どうなのか。エルフなら、古代精霊語とやらで精霊と通じあえるのか?
ま、やってみるか。
「えーと……、ラル、ラレラ……」
メモに書かれている文字に目を通しながら口にする。
意味はまったく分からないまま口にしているけれど、大丈夫だろうか。
「ロロル――リラリ」
読み終えた途端だった。
「おっ。これは……」
何かが、身体全体にまとわりついてくるような感覚にすうっと降りてきた。――これが「魔力」なのか?
俺はあたりを見回す。そして適当な木を見つくろい、手のひらを向ける。
レミアのアドバイス通り、風の衝撃とやらをイメージして、俺はメモに書かれている言葉を口にした。
「――グリエルっ」
掲げた右手から軽い反動が起こる。
同時に、目的にした木の幹が轟音とともに大きく抉りとられた。幹の半分以上を失った哀れな木は、ゆっくりと傾いて、そのまま音を立てて倒れた。
「って、すごいな。おい」
木こりが木を切るものとは違うが、愛用していたハンドアックスでは、これほど太い木を、一撃で切り倒すことはできない。となると、この魔法の威力は、それ以上ということか。
「……ほぉ。便利なものだなぁ。魔法って」
いまだに自分がそれを放ったとは信じられず、他人事のように呟いてしまう。
これだけ強力な魔法が使えるなら、彼女が武器も持たずに裸でのんきに水浴びしていたのもうなずける。彼女を見かけて危機感もなく見惚れてしまったが、いきなり戦闘になっていたら、果たして自分は無事だっただろうか。
「――って、すでに無事じゃないんだよなぁ」
俺は自分の身体を見降ろして、思わずため息が漏れた。
とりあえず、この魔法を武器にして、樹海を抜けることが出来るだろうか……と考えたときだった。
不意に、微かな獣の息づかいが、俺の耳に飛び込んできた。