2、斧使いのライア
スライムの触手が俺めがけて伸びてくる。
が――
「どりゃぁぁ!」
俺は勢いを弱めることなくスライム本体に突進する。
右手を振るい、目の前に迫った触手を、愛用のハンドアックスで切り捨てる。
「食らえっ!」
そして、スライムのどてっぱらに、斧を叩きこんだ。
黒鋼のハンドアックスは、紙を切るかのようにスライムを真っ二つに切り裂いた。
「ふぅ」
断末魔もなく萎れていく魔物を見て、俺はほっと一息ついた。いつも以上の切れ味だ。リーニャにかけてもらった魔法の効果も、まだまだ有効のようだ。
「ま、もちろん俺の腕も良いから、だけどな」
この程度の魔物。赤のギルド期待の新星、ライア様に掛かればいちころである――って、自分で言うと空しくなるけど。
今回は単独行動になってしまったが、魔物や獣相手なら、ある程度は問題ない。問題があるとすれば……それは樹海自体だろうか。
「……暑い」
俺は置いてある荷物のもとに向かいながら、吐き出すように呟く。
森の中なので直射日光こそさえぎられるが、とにかく、蒸す。樹海の真ん中には整備された道どころか、獣道すらないので、歩くだけでも体力を消耗される。しかも虫はウザいし喧しいし。冒険に出ることを嫌うリーニャの気持ちがほんの少し理解できた気がする。
荷物の中から水筒を取り出して口に含む。
残りあとわずかだ。山のふもとの森なら、何もない荒野と違って水くらい現地調達できるだろうと考えていたので、持ち合わせは多くない。
依頼主のエルフ老婆が待っているという樹海の中央部にたどり着くのは、まだまだ先のことだ。
「仕方ない。先に水場を探すか……」
依頼主の元まで行ったところで、水をもらえるとは限らない。それに、ターゲットであるエルフ娘も、人とは種族こそ違うが生き物には違いない。水場を探せば、案外鉢合わせできるかもしれない。
俺は一休憩をしてからリュックとハンドアックスを背負い、再び歩き出した。
勘を頼りに、道なき樹海を進む。
木の根に足を取られそうになったり、顔によってくる羽虫をよけたりしながら、足を進める。ときには茂みを切り広げながら歩くのは、想像以上に労力が入る。
「樹海って言われるくらいだから、やっぱり広いよなぁ。こん中から、ちっちゃなエルフの娘一人を探して捕まえるって、依頼主の助けがあっても、結構大変だったりするんじゃないか?」
思わずつぶやいてから、しまったと思う。何ていうか、そう思ったら負けのような気がしたから。
くそぉ。これは後で絶対、リーニャに馬鹿にされるぞ。
いつもツンとした年下の幼馴染の顔を思い浮かべ、気が重くなった。
今回は付いてこなかった相棒のクロードも、きっと樹海を歩き回るのが嫌で、神事を優先したに違いない。無垢な笑顔で人を騙す友人の顔が思い浮かんで、思わず悪態をつきたくなる。
「……はぁ。これなら魔物と戦っていた方が、まだ楽かもしれないな」
腰より高い木の根を乗り越えながら、愚痴をこぼす。
まぁ、物は考えようだ。これはこれで、いい運動になるかもしれない。
好意的に考えるのだ。尊敬するオリオールさんに追いつくには、これくらい、むしろいい鍛錬だ。うん。
とはいえ、こんな樹海の中で、一人こっそりと干からびてはたまらない。
そのときである。
「ん?」
俺は立ち止まって耳を澄ませた。
虫や鳥のけたたましい鳴き声に混じって、右前方から確かに水音が聞こえた。聞き間違いではない。――どうやら当たりのようだ。
うしっと拳を握って、俺は音のした方向に向けて、歩き出す。
少し進むと、樹海の木々の先に白い明かりが見えた。森が途切れている証拠だ。きっとそこに川か泉があるはず――
「うっ」
久しぶりに浴びる陽の光は強烈だった。
森を抜けた途端、眩しい光に襲われて目が痛くなる。
それでも徐々に陽の光に慣れてくると、きらきらと光り輝く水面が目に飛び込んできた。
「おー。すげー」
かなり大きな泉だ。余裕で泳げるくらいである。おかげで水の透明度も高い。これだけ済んだ泉なら、そのまま飲み水としても問題ないだろう。
ゆっくりと水辺に向かって歩きながら、俺は黒鋼の斧とともに、愛用している白のレザーアーマーに目を落とす。
「せっかくだから、少し水浴びでもしてくかな」
冒険者として、最低限の防具ではあるのだが、着こんでいればやっぱり蒸す。
そんなことを考えながら、再び泉の真ん中に目を向けて――俺は、すでに先客がいたことに気づいた。
それは一人の少女だった。
泉の真ん中に立って、水浴びをしていた。
一衣まとわぬ姿で、白い肌を露わにしている。年の頃は、十四・五だろうか。肩に掛かる銀髪は水に濡れているにも関わらず、さらさらと輝いている。
触れれば折れてしまいそうなほど華奢な腰つき。
それでいて、女性らしく出るところは出て、丸みを帯びた身体。
――って、俺は、何ぼーっと観察してるんだっ。
はっと我に返る。あまりに唐突過ぎて、今の今までエロい気持ちは起きなかった。
けれど、俺だって正常な男だ。女の子の裸に興味がないわけがない。
視線を逸らすか、このまま見つめるか。
罪悪感と欲望が頭の中でガチの殴り合いを始めようかと言うときだった。
「あ――っ」
俺に気づかず水浴びを続ける彼女の耳を見て、俺は思わず声を漏らしてしまった。
特徴的なとがった耳。それは彼女がエルフであることを示していた。しかもちらりと見える横顔はどこかでみたような……
俺の漏らした声が聞こえたのか、泉の真ん中に立つエルフの少女がこっちに向けて振り返ってきた。
「――ふふ。見つけた」
彼女は露わになった裸体を隠すことなく、あどけない顔には不釣り合いな、妖艶な笑みを浮かべた。
そして俺は。
彼女の瞳に吸い込まれるように――意識が飛んだ。