魔法講座一限目
木造立ての建物がちらほら見える中、ひときわ赤いレンガが目立つ、プーシ冒険者共同組合の本部。だが中に入ってしまえば外観のような荘厳さも、ギルド特有の荒々しさもなく、普通の役場みたいに綺麗なものだ。
ま、うろついているのは、役場に似合わないやつばかりだけどな。
ちなみに俺自身も、エルフの少女として変に目立つみたいで。着いて早々に、奥の部室に引きずり込まれてしまった。
長机に椅子が並んでいるだけの事務的な部屋。棚には書類がちらほら入っている。普段は会議室として使っている部屋のようだ。ライアのときは会議なんて無縁だったので、この部屋に入ったのは初めてだ。
うーん。どうも居心地が悪いな……
俺はちらりと下に視線を向ける。スカートを穿いた華奢で白い足が目に入る。居心地の悪さはこのナリも影響しているんだろう。
勝手知ったる我が家みたいなギルド本部だが、この姿だと初めて訪れた場所みたいで、なんか、落ち着かない。
そんな感じで一人ぽつんと会議室で待っていると、軽く扉がノックされた。
「……戻ったわ」
扉を開けて入ってきたのは、気絶から復活して、俺の症状を調べてくれているリーニャだった。
ギルドには図書館というほどではないが、それなりの資料が蓄積されている。受付しながらギルドの事務をこなし魔法使いでもあるリーニャに、蔵書を調べてもらっていたのだ。
「もともとエルフの魔法の資料なんてほとんどないし、他属性の魔法でも、身体を入れ替えるなんて資料、見つからなかったわ」
「そうか……」
少し期待していたんだけど、やっぱり無理か。
そんな俺の顔をリーニャがのぞき込んで、同じくため息をつく。
「……未だに信じられない。みんなして、あたしを騙して楽しんでいるんじゃないわよね」
「そんなめんどくさいこと、誰がするか」
俺もため息をつく。
俺の正体については、当初は適当にごまかすつもりだったけど、なりゆきで明かしてしまった以上、変に隠すよりかは良いかと、これまでのことを包み隠さずリーニャに伝えた。一度気を失ってくれたおかげか、リーニャはある程度落ち着いた状態で、俺たちの話を聞いてくれた。
話を聞き終えたリーニャは、何か解決策があるかもと、資料室でいろいろと調べてくれてきたけど、そう簡単にはいかなかったか。
「……あーあ。当事者がライアじゃなかったら、面白そうな実験体が現れた、って楽しめそうだったのに」
リーニャはそう言って、俺の向かいの席に腰を下ろした。
「人を勝手に実験体にするな。それより、やっぱりレミア本人じゃないと、元に戻すことはできないのか?」
「うーん。どうかしら。あたしたちが使う魔法と、エルフの魔法体系とは違うかもしれないけど、原理が分からないと何とも言えないわね……」
「原理?」
「うん。たとえば……」
リーニャが何かいい例えはないかといった様子で辺りを見回す。
するとちょうどいいタイミングで会議室の扉が開いて、一人の女性がお茶を持って入ってきた。
リーニャと一緒にギルドの受付の仕事をしているチャンネだ。年は俺の一個上。同じ受付の仕事をしているリーニャにとっては同僚でもあり先輩だ。当然、俺にとっても何度も顔を合わせて会話した間柄である。
「お話し中ごめんね。この部屋、暑いでしょ。はい。冷たいお茶。あなたの口に合うかは分からないけど、エルフでも人間でも水分は取った方がいいよね?」
チャンネが微笑みながら、俺の前にお茶の入ったコップを置く。
エルフの少女=ライア、の事実はリーニャにだけ打ち明けており、チャンネをはじめとする、他のギルドのメンバーには内緒にしている。
今の俺――レミアは、ゴブリン討伐の際、ひょんなことからギルドのメンバーと知り合って、プーシの町に観光にやってきた、ということになっている。
「……あ、ありがとう……ございます」
チャンネにばれないよう、なるべくライアの時は正反対な感じで、お礼を言う。
「いいのよ。お礼なんて。そんなに緊張しなくても、別に取って食うわけじゃないんだし」
チャンネが気さくな笑顔を向けて言う。その顔は受付の笑顔とは違う、俺やリーニャと休憩時間にお喋りしていたときと同じ表情で、それが少し嬉しかったりする。
そんな俺たちの会話に参加することなく、リーニャは何やら小声で呟いている。そして、こっそりとチャンネの背中に手を当てて、小さく言葉を発した。
「……アップトリン」
何か起こったわけではない。
ただ、チャンネの雰囲気が変わった。
「……はぁ。いいよね、可愛い子は。周りの男たちにちやほやされて、満足なんでしょ。ん、お茶飲まないの? あ、お口に合わないかしら? そーよねー。エルフ様ですもの。――なに?、その顔。文句でもあるの。あるならはっきり言ったら?」
「えっ……え……っ」
いきなりの豹変に、俺はしどろもどろ。
な、何でこんなこと言われなくちゃならないんだ。ちょっと涙目になりそう。
「今のは、炎の原理を使った二次魔法。ほら、熱いとイライラするでしょ。その原理を利用して、被術者の精神に干渉するものよ」
リーニャは、俺を助けてくれるそぶりもなく、マイペースに淡々と語る。
「で、逆が……ダウントリン」
「……あれ? 私ったら、何か変なこと言っていた?」
「こっちは水の原理を使った魔法。水でもかぶって頭を冷やしなさい、という言葉がある通り、興奮状態を抑えることができるの」
「って、またリーニャねっ。人を実験台にするなってのっ」
「いだだ。ご、ごめんって。たまたま説明しやすかったから」
正気に戻ったチャンネが、リーニャの頭に拳を当ててぐりぐりしている。自業自得とはいえ……魔法掛けても、怒りが治まってなくないか?
「……まったく。レミアちゃんも、リーニャに変なことされないように気を付けてね」
しっかりと仕返しが出来て満足したのか、チャンネがにっこりと笑って部屋を出て行った。後には、頭を抑えているリーニャが残った。
「一応聞いとくが……大丈夫か?」
「平気よ。いつものことだから」
「いつものことなら、やめておけよ……」
何か一つのことを考えていると周りのことが見えなくなるのは、リーニャの悪い癖だ。
「ま、それはさておき、今ので分かったと思うけど、あたしたちの魔法でも、ある程度、人の精神に干渉することもできるの」
「凄いもんだな。魔法なんて、飛び道具のようなものだと思ってた」
もちろん魔石による街灯や遠距離での通信などなど、魔法が色々と日常生活でも役に立っているのは知っているけれど、戦い中心の生活を送ってきた俺としては、離れた距離から敵を打ち倒すもの、という認識の方が強かった。
実際、今の俺が使える魔法も、そういうのがほとんどだしな。
感心してうなずく俺を見て、リーニャはなぜか呆れたような、それでいてどこかホッとしたような、不思議な表情を見せた。
「……やっぱり、こうして話していると、外見はエルフの少女でも、中身はライアなんだなって、実感するわ。――色々な意味で」
最後の一言に、妙に含みがあるように感じたが、俺のことを信じてくれたみたいなので、聞かなかったことにする。
「ライアの症状が、身体を取り換えた、というより、精神を入れ替えたものだと考えれば、この手の魔法がある以上、決して再現することは不可能なことじゃないと思う。高位の魔法だと、自分の精神を飛ばして、遠くを見たり知ったりするものもあるみたいだしね」
「本当かっ?」
俺はテーブルの上に手をついて思わず身を乗り出す。チャンネが入れてくれたお茶が、大きく揺れる。
「あくまで可能性よ。それにさっき言った通り、興奮させたり落ち着かせたりする魔法はともかく、精神を入れ替えるくらいの魔法になったら相当複雑な原理が必要よ」
「よく分からんが、難しいってことか?」
「……身も蓋もなく言えばそうだけど。でも、ライア……じゃなくて、レミアが普段使っている魔法から、どんな原理を使用していたかくらいはたどれるかもしれないわ。ねぇ。確か、今のライアは魔法が使えるって言っていたわよね。どんな魔法が使えるの?」
「えーと、そうだなぁ……」
俺は一度整理しながら、覚えている六つの魔法を、リーニャに伝える。
まずは、レミア直筆のメモに書かれていた「グリエル」。風の衝撃波を飛ばす魔法。イメージっていうか力の入れ方次第で、ある程度威力を調整できる。
あとは婆さんから教わった魔法が五つ。
マルティス。柔らかな温風を起こす魔法。髪の毛や服を乾かすときに便利。
ウィリア。風を盾にする魔法。相手の魔法や飛び道具を防ぐことができるけど、質量の大きい物の突進は防げないとのこと。
ブラリアント。大規模な暴風を起こす魔法。けっこう疲れる。
バーンレティ。無差別に風の刃を解き放つ魔法。めっちゃ疲れる。
マクレーヌ。魔よけの魔法。強い相手には逆効果。虫よけに便利。
――以上。
「なるほどね。やっぱり基本的に風を使った魔法なのね。単純だけど。風の魔石と契約していれば、あたしでも普通に使えるかもね」
「悪かったな。単純で」
少しムッとするけど、リーニャの先ほどの説明からすれば、風をそのまま起こす魔法は単純っていうことだろう。
ちなみに魔石っていうのは魔力の結晶のことで、各地の魔法士協会がそれぞれに様々な魔石を保管している。
俺が風の精霊とやらから力をもらうのと同様に、人の魔法はこの魔石の力を借りて使用する。もちろん、誰にでも使えるわけではなく、一定の試験やら審査をパスした者だけに限られる。リーニャは確か、火と水の魔石と契約しているんだったかな。よく分からないが、年齢を考えると結構すごいことらしい。
「で、どういう原理を使って魔法を発動させているの?」
「いや。原理とかそう言うのはさっぱり。ただ古代エルフ語を唱えてイメージするだけど」
俺が正直にそう答えると、リーニャは目を丸くした。
「なにそれ。それじゃ何のヒントにもならないじゃない! エルフの魔法って、そういうものなの? 簡単すぎてずるいわよっ」
「そこまで俺が知るかっ」
俺は興奮するリーニャに一喝して、ため息をついた。
リーニャも同じように大きくため息をつく。
「……まぁ、色々考えたところで、相手もある魔法だから、レミアがいないところで、ライアにだけかけても意味がないでしょうけど」
「そうだな。ま、どっちにしろ、まずは本物のレミアをとっ捕まえないとダメだってことだな」
結局、話は振り出しに戻ってしまった。
まぁ見つけてとっ捕まえる、という単純な目標の方が動きやすいけどな。
リーニャが図書室で調べ物をしている間、自由に動きにくい俺に変わって、クロードとミザリアが調査してくれている。
それの報告を待つことにしよう。




