14、オリオール
「やっと草原を抜けたな。後少しだ」
朝の暗いうちから出発した俺たちは、正午になる前に草原を突破した。進むべき方向が分かっているぶん、予定より遙かに早い。行きはきっと、草原内をくるくる蛇行していたんだろう。
「ふぁぁ。レミアは元気だねぇ」
隣りを歩くクロードが大きくあくびをする。草原を抜けて緊張感が取れたのだろう。
「お陰様でな」
結局、俺が目を覚ましたのは出発直前の夜明け前だった。俺があまりにぐっすり寝ていたから、見張りはクロードとミザリアだけでしてくれたらしい。
なんか子供扱いされて癪だが、皮肉抜きに疲れは取れたのも事実だ。素直に感謝している。
草原を抜けた俺たちは休むことなく、街道に向かう。
「……ん、何かいますね」
ミザリアが先に気づく。
言われてみると確かに、街道に誰か立っている。長い槍が見て取れる。軽装備をしているし、ただの旅人……ではなさそうだ。
向こうもこっちに気づいたようで、駆け寄って来て槍を突けつけて来た。
「止まれ。何者だ!」
「あれぇ。カフーじゃない」
クロードが言う。
あ、ほんとだ。
槍を突けつけてきた戦士は、ギルドの知り合いのカフーだった。赤毛の一つ年下の仲間だ。
「クロード? なんでお前が……って、そうか。偵察に行っていたんだっけな」
「うん。カフーこそなにやってるの?」
「お前と同じ。そのゴブリンの件で、街道を見張ってるんだよ」
「へぇ。ということは、ようやくプーシからの部隊が到着した、ってわけか」
俺がそう口を挟むと、カフーはきょとんとして、それから内緒話するかのように、クロードに詰め寄った。
「おいこら、なんだよ今の可愛い小エルフちゃんは? いつの間に手を出したんだ?」
あ、そっか。
つい知り合いに会って気軽に声をかけてしまったが、今の俺はライアではなくて、エルフのレミアだっけ。危ない危ない、名前で呼んだりしなくて良かった。
「ていうかそっちにも美人さんがいるし、両手に花かよ。おまけに可愛い妹もいやがるし、世の中不公平だっ」
「あ、ははは……」
さすがのクロードも苦笑気味である。一方でミザリアはにこりと微笑んでさらりと流す。うーん。大人だ。
「っと、そんなことより、なぁ、ライアのことは聞いたか?」
「え、ライア?」
カフーが急に話を変えてきて、クロードがきょとんとする。もちろん、いきなり名前が出てきた俺もだ。
「ああ。なんか変なことが起こったらしいんだ」
「変って?」
まさか、ばれたわけじゃないよな……
「それはオリオールさんに直接聞いてくれ。宿場にいるから。俺も詳しくは知らないんだ」
「へぇ。オリオールさんも来てるんだ」
俺も驚いた。あの人が前線に出てくるなんて、なんて珍しい。もしかしてかなりの大事になっているのか。
「分かった。それじゃ見張りがんばってね」
「ああ」
俺たちはいったんカフーと別れて、宿場へと向かった。
「うわぁ。ずいぶん賑やかになっているな」
出発前と違って、宿場には人があふれていた。足止めを受けている人に加えて、プーシのギルドから派遣された冒険者たちのせいだろう。
「そうなのですか?」
「あ、そっか。ミザリアはプーシから直接きたんだっけ」
宿場に戻った俺たちは、さっきのカフーの時と同じように見張りに詰問を受けたけれど、事情を話したらすんなりとオリオールさんの元に行けることになった。俺たちが泊まった宿をギルド部隊の本拠にしているみたいだ。ちなみに、ルカ自身はカフーとは反対側の街道の見張りをしていて不在のようだ。
というわけで宿の前まで来たんだけれど。
「レミアは外で待っていた方がいいんじゃない?」
「なんでだよ」
クロードの言葉に俺は口をとがらせる。
せっかくなのでオリオールさんの顔は見たいし、カフーのときみたいに、知らないふりして黙っていれば問題ないはず。
はぁ、とクロードがため息をつく。
「忘れたのかい。君は『レミア』。依頼書に載っているエルフの少女なんだよ」
「あっ」
すっかり忘れてた。
あの依頼書がどれくらい回っているか分からないが、少なくともオリオールさんは間違いなく俺の顔を知っている。顔を合わせたら確かにやばい。ていうか他のギルドの連中も大丈夫だろうか。急に不安になる。
「それでしたら、レミアさんは私と一緒に席を外しましょうか」
「そのほうがいいかな」
「おお。クロード。待っていたぞ」
なんて話していたら、聞き覚えのある野太い声がした。
うわ。まさか向こうからやってくるなんて予想外だ。
巨体なのに足取りも軽くやって来たのは、プーシのギルドの役職者の一人、俺が普段からお世話になっているオリオールさんだった。さすがに街中なので鎧も剣も携帯していないが、動きには隙が無い。
「あ、お久しぶりです。オリオールさんもこちらに来てたんですね」
クロードが俺を背に隠すように対応する。
「はっはっは。人手不足に加え、最近デスク仕事ばかりで鈍っていたからな。無理を言って抜け出してきた。それに、あそこにいると小うるさい娘がいてな――っと、君の前で言ったら、筒抜けになってしまうな」
「は、はは……」
これにはさすがのクロードも苦笑いのようだ。リーニャのことを知っているミザリアも同じような反応を示している。なるほど。わざわざオリオールさんがこっちまで出てきた理由は分かった。――すごく納得。
笑っていたオリオールさんが急に声を重くする。
「……実はそのライアのことで、あまり良くないというか奇妙な出来事があってな」
「何ですか?」
さっき、カフーが言っていたことか?
「ここにくる間、行商人と出会ってな。ゴブリンの件を伝えてこの辺りは危険だと言おうとしたら、逆に武具を売り込まれたのだ」
それはまた、なんとも商魂逞しいってやつだ。
「問題なのは、その武具だ。血塗られたハンドアックスだったのだが、どこか見覚えのある。よく見ると、それはライアが使っていたものだった」
「何だってっ?」
俺は思わず声を上げてしまい、ミザリアに口を塞がれる。
「訝って商人にこれをどこで手に入れたのか、と聞くと武器の持ち主から譲り受けたと、言う。何でも斧ってダサいし血で汚れちゃったから剣に換えて欲しい、と持ちかけられたので、安い中古の剣と取り替えたとか……」
「あんの、クソエルフがっ! 今すぐひっ捕まえてやる!」
「レミアさん、落ち着いてくださいっ」
「ん、そっちの娘たちは……」
オリオールさんの視線がこっちに向く。あ、やばい、と我に返ったときにはすでに手遅れだった。
「そのエルフの娘……もしかして、ライアが保護しに行ったエルフではないか。どうして、クロードと一緒に?」
クロードが頭を抱えた。――なんか迷惑かけてばかりだ。
そんな彼に向けて、俺は大きく息を吐いて声をかけた。
「……悪い。けどまぁ仕方ないだろ。オリオールさんには本当のことを言いたかったし」
「はぁ。仕方ないな。僕はもう知らないよ」
「とりあえず場所を変えましょう。ここでは目立ってしまいます」
ミザリアの言葉に、俺は小さくうなずいた。
オリオールさんは、突然の展開に目を白黒させていた。
☆☆☆
「……まさか、そのようなことが起こるとはな」
奥の部屋で黙って俺の話を聞いてくれたオリオールさんが重々しく口にした。
「入れ替えの魔法など聞いたことないし、とても信じがたいが、俺よりつき合いの長いクロードが言うのだから、おそらく本当なのだろう」
「……ありがとうございます。信じてくれて」
「僕もたまに信じられないけれど、中身は完全にライアだからね」
「悪かったな」
レミアになったことを他人には知られたくない。けれど信じてもらえると元の自分が出せてほっとする。ま、あまりレミアを演じているつもりもないけど、一応な。
「すみません。せっかくいただいた任務に失敗してしまって」
「いや、俺の方こそ目論見が甘く、このような目に遭わせてしまって。いや、ライアの実力が不足していたというわけではないが……。このようなことが起こるなど、考えられないしな」
とオリオールさんは言ってくれたけれど、仮に入れ替えの魔法のことを知っていても、上手く対処できたかどうか。
「しかしなるほど。ライアの件が、ゴブリン騒動とも関係があるとは思わなかったな」
「はい。あの馬鹿のせいで迷惑かけて……どうせ腹を空かせてゴブリンたちから食料を奪おうとしたところをもみ合いになったとか、そんなところだと思いますが……」
レミアがゴブリンを襲った理由は分からないが、直接彼女と話を交わして、今はその身体になっているからか、少なからずレミアに情もある。決してただ意味もなく殺戮したのではないと信じたい。
「理由はともあれ、ゴブリンたちと上手く話をまとめてくれて助かった。感謝する。状況次第ではこちらから乗り込むつもりだったが、いったんその作戦は中止しよう」
「ありがとうございます。私にも関係があることでしたので……。それであの、商人さんが持っていたというハンドアックスは……」
「ああ。何かの間違いだろうと買い取っておいて正解だったな」
ミザリアが尋ねると、オリオールさんがにやりと笑って、重々しい荷物の中から、黒光りする斧を取り出した。
間違いない。俺が長年使ってきたハンドアックスだ。
「持ってみるか?」
「は、はい」
俺の視線に気づいて、オリオールさんがハンドアックスを渡してくれた。
うっ、重い。ていうかこんなに大きかったっけ。片手で持つと腕ごと床に引っ張られるような感じでバランスを崩してしまった。
分かってはいたけれど、レミアの細腕で使いこなせるような代物ではない。
「これで間違いないのですか?」
「ああ。間違いなく俺のものだ」
本物のレミアを探し出してハンドアックスを取り返す手間は省けた。あとはこれをゴブリンの長に渡せば終了だ。今から出れば、約束の期日にも間に合うだろう。
だけど……
「でもそれを渡しちゃっていいの? 大切なものでしょ。違うのにすり替えてもいいんじゃない?」
俺の気持ちを代弁するかのようにクロードが言った。
確かにそれも考えた。けれど上手く誤魔化せるか分からない。代品の手配が間に合うかどうかも分からない。
「いや、これでいい。たとえ誤魔化せたとしても、それじゃゴブリンたちに悪い」
「まったく、変なところで義理堅いんだから」
クロードが苦笑した。
「確かゴブリンとの約束は『日が三度、昇るまで』だったな? すでに一日が過ぎている。指定が『日が昇る=朝を迎える』で、夜の移動が難しいことを考えると、今すぐにでも出発した方がいいだろう」
オリオールさんが言う。
「え? 今からですか」
クロードが少し疲れた声をあげる。特に反応を見せなかったが、ミザリアにも疲れが見て取れる。無理もない。夜通し見張りをしたり、重い荷物を持ち歩いたのだから。それに比べれば、俺の疲労は少ない方だ。
「でしたら、俺が行きます」
「いいのか。エルフの身、体力は乏しいのではないか?」
「いえ、大丈夫です。それに間接的とはいえ俺が一番事件に関わっているし、ハンドアックスも出来れば俺から直接渡したいですし」
「そうか。それなら俺も共に出よう。少し休んでから出発するぞ」
「え? オリオールさんがですか? ここを留守にして大丈夫ですか」
「なぁに。ゴブリンたちと話がついているのならここは安全なのだろう。それに、目的地まで向かうのなら、俺の馬を使った方が早い」
確かにまたあそこまで歩くことを考えると、馬が合った方が楽だ。
「分かりました。助かります」
こうして、少しの休憩の後、俺はオリオールさんとともに、出発することになった。




