10、ゴブリン
「うーん。いい朝だね」
朝日を全身に浴びて歩きながら、クロードが大きく伸びをする。
「……ああ。そうだな……」
テンションが高めな彼に対して、俺のほうはどん下がりだった。
風呂でのぼせて倒れるというアクシデントはあったが、人間らしい食事を摂り人間らしい布団にくるまって眠れて(今はエルフだけど)体力は全快している。
にも関わらず気分が乗らないのは……
「ははは。ま、服はプーシに戻ってから買っても遅くないって」
「分かってるっ」
夜が明けるとともに、ルネから無理やりせびった前金を持って、装備屋に飛び込んだのだが、店に今の俺に会うサイズの服がなかったのだ。所詮、外れの街道にある店。町に比べ品揃えは驚くほど少なかった。
「それにその髪型も似合ってるよ」
「……どうも」
結局何も買わないのも癪だったので、風の加護があるというリボンを買って、肩にかかって邪魔だった髪の毛をひとつにまとめてみた。首元がすっきりしたが、それ以上にクロードに好評なのが、妙に複雑な気分だ。
「それにしても、暑くなる前に、見つかればいいけどねぇ。ゴブリンの巣」
手のひらを額の上にかざして光を寄せながら、クロードが話題を変えた。
ルネの話だと、ゴブリンの群れはプーシと宿場ダジエを結ぶ街道によく出現するらしい。
「ゴブリンたちは街道脇の草原側から出てきたとのことだ。だが詳しいアジトの位置は分からない。それを二人には探してほしい」
というのが、ルネから受けた依頼の内容だ。
街道のはずれには、ひたすら草原が広がっており、その先には火山による溶岩が流れ出て固まった台地があるという。
「探すだけでいいのか?」
「ああ。二人だけで殲滅しろとは言わない。それはギルドの本隊に任せておけばいい。先に場所が分かれば、守るのも攻めるのも楽になる」
「なるほど」
てっきり護衛任務かと思ったのだが、一刻も早くこの事件を解決するためには偵察も必要だろう。護衛対象がいない分、自由に戦えて楽かもしれない。
と昨夜までは思っていたのだが……
「……これは、なかなか厳しいね」
「ああ……」
真夏の季節。街道から外れた大地には草が颯爽と茂っていた。クロードの腰あたりまで草が伸びている。俺にとっては、胸の高さくらい。はっきりいって、まだ木々の隙間があった樹海の方がましなくらいだ。
「この草原から、何匹いるか分からないゴブリンを探すのか……」
あたり一面が高く伸びる草で覆われている。晴れ渡った空と、ついこの間まで麓の樹海にいたローディア山をバックに、草原が風に揺れている。遠くから見れば緑のじゅうたんのようで、綺麗なのだが。
その中を歩き回っている身としては、気が遠くなってくる。
どれくらい草をかき分けて歩いただろうか。錫杖を左右に振りながら、クロードがだらけた顔で愚痴る。
「はぁ。これだけ草に覆われていると、ゴブリンたちが潜んでいてもわからないよねぇ」
「やなこと言うなよ」
俺は口をとがらせて文句を言う。けれど彼の言うことも一理あるかもしれない。
耳を済ませる。エルフの耳は、ライアだったときと比べてかなり高性能なので、何か分かるかもしれない。
「…………」
風の音。草がさぁぁっと揺れる音。そして……風が運ぶ音とは別に、草が踏みならさせる音。生き物の呼吸。
「レミア、どうした?」
「……ナイスだ。クロード。当たりのようだ――」
「そうか」
短く呟いて、クロードの顔色が変わる。さすがに何度も一緒に冒険していただけある。オンとオフの切り替えはしっかりしている。
俺は声を出さず視線で、やつらが潜んでいる場所を示す。
クロードが錫杖を掲げ、小さく加護の魔法を唱え始める。俺も同じように、精霊語で呪文を紡ぎだす。準備完了。
「……近い。そろそろだ。……来るっ」
俺の言葉と同時に、草むらから黒い影が飛び出した。
すかさずその方向に向けて魔法を放つ。
「――グリエルっ!」
至近距離なので草に阻まれて威力を失うことなく、風の衝撃波が、襲い掛かってきたゴブリンに命中して吹き飛ばす。潰れたような声とともに、手にしていた錆びた剣のようなものが草むらに落ちる。
その後ろから、さらに二体のゴブリンが襲ってくるが、数も方向もすでに察知済み。棒切れのようなものを振りかぶるゴブリンらの攻撃を、あっさりとかわす。
奇襲が不発だったことにゴブリンたちが戸惑いを見せる。そこに加護魔法で強化されたクロードが錫杖を振るって襲い掛かり、あっという間に二体を叩きのめす。
必要が無くなったので、次発の為に唱えていた呪文を止める。
草原に静寂が戻った。
「ふぅ」
軽く息を吐いて、身体の力を抜いた。クロードはゴブリンの死骸に向けて、神の導きがどうこうと呟いていた。人間にしろゴブリンにしろ、この世に生を受けたものであることには変わらない。普段はアレだがこういうところは、しっかり神官していると思う。
「それにしても、前にレミアと戦ったときも思ったけど、飛び道具って便利だね」
手向けの言葉を終えたクロードが振り返って言った。
「まぁな。けど今でも肉弾戦がしたくなるときもあるけどな」
言って笑う。思えば以前の俺たちは、敵が来たらとにかく突っ込むだけだった。コンビとして、以前よりバランスが良くなったのかもしれない。
「さて……草原でゴブリンに襲撃されて撃退したわけだけれど、これで任務完了ってわけじゃないよね?」
「あぁ。目的は奴らの拠点を探すことだからな。話からして、三体のみってことはないだろう」
「ということは、この草原をまだ歩かなくちゃいけないのかー。はぁ。レミアの耳に期待するかな」
「あぁ。任せとけ。俺だって、この体で死にたくないからな」
襲われた場所にいつまでものんびりしていたら、また襲撃される恐れがある。俺たちは足早に移動を再開する。
それにしても相変わらずすごい草の量だ。草のカーテンを掻き分けて歩いているような感覚に近い。こんな状態だから、またこの先にゴブリンたちが潜んでいる可能性は高い。
必要以上に耳を澄ませながら、草を掻き分けるクロードの背中を追う。
どれくらい歩いただろうか。
「お。ようやく広いところに出たね」
クロードがほっとしたように息を吐く。
植物の群生が変わったのか、この先一帯は足首程度の高さの草しか生えておらず、土や石も見える。当然、見晴らしもいい。
「休憩するにはもってこいの場所だけど……同時に一斉に襲われやすい場所でもあるよね。どう? 何か聞こえる?」
「……ん。……大丈夫、足音は聞こえない」
風の音を慎重に聞き分けて、俺は答えた。
「そっか。じゃあここで少し休憩しようか」
とそんなことを話していたときだった。
不意に風を切る音が耳に飛び込む。
「うぉっ」
目の前を何かが横切った。
幸い俺に当たることなく地面に落ちたのは、ぼろぼろに朽ちた矢だった。
飛び道具? なぜ……
「お、おい……」
クロードが震えた声で、俺に告げる。先に広がる草むらから、横一列に大量のゴブリンの群れが姿を現したのだ。
「なっ。まったく気づかなかったのに」
「……カゼ ノ シタ」
真ん中にいる弓矢を構えたゴブリンの一体がたどたどしい言葉で言った。
ゴブリンは仲間内で意思疎通ができる程度で、独自の言語は持っていない。その一方で人間と交渉するため、こうやって人の言語を解せる者もいる。こいつはそれなりに知恵が回るリーダー格なのだろう。それにしても、エルフとゴブリンが人間の言語で意思疎通を取っているのっても、不思議だよな。
「風の、下?」
「――あっ、そうか。風下か! だから音が聞こえなかったのか」
「……オマエ エルフ ナノニ アホ」
「あはは。レミア。ゴブリンに『アホ』って言われてるぞ」
「うるさいっ」
こんな状況にもかかわらずツボにはまったのか、クロードが笑い転げる。
しまった。エルフ(俺)がいるのに気付いて、音で悟られないよう風下から寄って来たってわけか。くそっ。ゴブリンのくせに知恵が回る。
風下の草むらからぞろぞろとゴブリンたちが奇声を上げながら姿を現す。軽く十体は超えており、それぞれが武器らしきものを携えている。
くそ。動揺とゴブリンたちの奇声のせいで耳を澄ましている余裕がない。姿を見せたタイミングからして、下手に彼らから逃げようと風上に走ったところで、伏兵が回り込んでいる可能性もある。
「……どうする?」
「お互い全力を出せば、決して倒せない相手ではないと思う。ただ、こっちも無傷じゃいられないだろう。そしてゴブリンたちはまだどこかに潜んでいるか分からない……」
俺の答えに、クロードは顔をゆがめながらうなずいた。
逃げ出すのも危険。戦うのもリスクが高い。こっそり呪文を唱えたいところだが、隙を見せたら攻撃されるのがオチだ。――さぁどうする。
そのとき、不意に鈍い音がした。
「……え?」
何が起こったのかは分からなかった。
ただ目の前にいた弓矢を構えてていたゴブリンの親玉っぽい奴が、ゆっくりと前のめりに倒れた。その首には、銀色の弓矢が突き刺さっていた。
突然の攻撃と、親玉っぽい奴がやられたことで、ゴブリンたちに動揺が走る。
今だっ。
俺は大急ぎで呪文を唱え始める。婆さんに教わった魔法の中で、一番強力なやつ。数回しか発動させていないので心配だったが、無事呪文を唱え終える。
「風よ。刃となってて全てを切り裂け。バーンレティっ!」
俺の言葉とともに、辺りにヒュンヒュンと風切音がこだまする。それが一斉に目の前を囲むゴブリンたちに向け、無差別に襲い掛かる。
ある者は首が飛び、またある者は武器が真っ二つに折られ、手や足が飛び散ちらせながら、次々と倒れていく。
無差別の攻撃なので、刃に当たらなかった者、かすり傷程度の者もいるが、すでに戦意が喪失したのか、散り散りに草原へと逃げ去っていく。
「……これは、すごいね」
俺の横に立って、魔法を逃れたゴブリンへの接近戦に備えようと錫杖を携えていたクロードが声を漏らす。接近戦の必要はなくなって、少し拍子抜けした様子を見せている。
もっとも俺の方は、大技を使ったせいで、疲労が強い。
その場に座り込みたくなるが、その前に安全を確認しないとと耳を澄ませてる。一つの足音がこちらに近づいてくる。
そちらに視線を向けると、草原に溶け込むような濃緑柄の服に身を包んだ、二十歳前後の髪の長い女性が姿を見せた。小型のボウガンを構えているところからして、親玉を射ぬいたのは彼女だろうか。
「はぁぁ……すごいですねぇー」
おっとりとした声には緊張感の欠片も感じられないけれど、身のこなしには隙を感じられなかった。




