破
「……………………………」
「……………………………」
「うふふ、よかったわ〜。彼も貴女達のこと、気に入ってくれたみたいで♪」
母さんは照れているのか、頬に赤みがさしていた。
幸せそうでなによりだこんちくしょう。
「……お姉ちゃん、おかわり」
「……ああ、私も飲み干したしな。直ぐ淹れる」
半ば放心状態の妹と私がさっきから飲んでいる――というより流し込んでいるのは、かなり濃いめのブラックコーヒーだ。
普段妹はブラックとか絶対に飲まないし、私もここまで濃いのはテスト前の眠気覚ましぐらいだ。
しかし。しかし今は飲まねばならない。
「……苦い。苦いけど気分的に丁度いい」
「……まだ暫く残りそうだな、この甘さ」
げんなりしている私達の隣で、恋人と会いテンションの上がった母。
小詠はテーブルに突っ伏し、私は片膝+足組とかなり行儀が悪いが、先までずっと背筋を伸ばしていたのだから少々ぐらい許してほしい。
「ほらほら、良い人だったでしょ〜?」
「……うん、確かに凄く良い人というのは分かった」
「……あー、まあ、うん。確かに打算的なものとか後ろ暗いものとか無いみたいだし、人として好感は持てる部類だな」
夕飯に呼び、話をして帰って行った母の恋人。言葉を交わしたのは僅かな時間だが、それでも彼の人となりは分かった。
「……うん、確かに良い人なんだけど、なんだけど」
「……そうだな、確かに悪くはないな、ないんだけどな」
「あら、何か含みがある言い方ね〜。いいじゃない、素敵な人でしょ?」
素敵――かは感性の問題なので横に置くが、とりあえず彼をまとめると、こんな感じだ。
歳は20代後半で、母より年下。
顔は落ち着いた雰囲気のある、知的な印象。穏やかな目と、細いフレームの眼鏡がその印象を後押しする。知的、というとインテリ系を想像するが、どちらかといえば爽やかメガネとかそんな感じ。
何言ってるか自分でもよくわからんが、まあ簡単にまとめてしまえば、
「なんというイケメン」
「かっこいいでしょ」
「というか、二十歳前後かと思ったよ……」
背は高く、細身。しかし、握手をした時の感触から、普段から剣道かなにかで鍛えているようだ。
そのためか体からは生気が溢れており、若々しい。小詠の言うとおり、ともすれば十代にも見えなくもない。
歩き方、立ち振る舞いにも隙がなく、かなりの実力者であるのは間違いないだろう。
「いざとなれば語り合う必要があるか。――拳で」
「頼むから日本語でお願いします」
「私は解りやすくて好きなんだけどな。肉体言語」
「だめだこの姉早く何とかしないと……」
そんな彼の職業はなんと宮内庁勤務のお役人。しかもヒラではなく既に部下が何人もいて、エリートコース驀進中らしい。
「で、こんな人に引っかかった、と。意外と薄幸な人?」
「女運は悪いようだな。……可哀そうに」
「あれ? お母さん、ナチュラルに貶されてる?」
それはどうでもいいので置いといて。
「止めに性格も悪くないと来ている。総合的に見ても局所的に見ても、かなりの優良物件だな」
「紳士って言葉を形にしたような人だったね……」
「ほら、悪いことなんてないじゃない。そんなに何が不満なのよ?」
「……………………………」
「……………………………」
「あら? 何その蜂蜜と砂糖とメープルシロップを混ぜて煮込んで濃縮したものをピッチャーで一気飲みしたような表情は」
ふ、ふふ。
それをわかっていて聞くか。
ならば聞かれたのなら、答えよう。
「お姉ちゃん……」
「ああ、わかっている」
二人の思いはただ一つ。
私と小詠はアイコンタクトでタイミングを合わせ、せーので口を開く。
「「甘すぎるんだよ手前らあぁあああああああああああああ!!!!!!」」
真夜中の住宅街に、私たちの魂の絶叫が轟いた。
「甘い甘い甘い甘い、甘 す ぎ る よおおおおおおおおおおおおお! 何あのLOVEい空気!?」
「くそ、もはや雰囲気とか言ってられるレベルじゃなく、空間そのものが甘すぎた! 何度ガチで吐きそうになったか……!」
「あ、あら……?」
「あ、なにその微妙な顔! わかってないねお母さん、あの部屋の空気に晒されながら耐え抜いたわたし達の苦しみが!」
「夕食がすべて砂糖喰ってるのかと勘違いするほどの、あ の 甘 さ! もう少し長ければ死んでいたぞ! 死因は糖分過剰摂取か!?」
「ええと、その、……そんなにひどかったかしら?」
ひどいってものじゃあない。
何というか、
「言葉もそうだけど口調とか視線とか、仕草一つ取っても甘いし。相乗効果で超激甘」
「これでまだ演技だとか私達を邪険にしてくるとかなら、まだ対処の使用があったのだろうけどね……」
「素でやってる上に二人とも幸せ感全開だから、止めるに止められない」
「とりあえず送れる言葉は一つかな」
うん、と姉妹で頷き一つ。
「「爆ぜろバカップル」」
「結論がそれは酷くないかしら?」
再婚後に親子別居も視野にいれつつ、母親がリア充なのはさておき。
「……っても問題はそこじゃないんだよな」
「そうだよね……部屋の空気に惑わされるけど、根本そこじゃないんだよねー」
どうしたものかと二人ため息をつく。
気を取り直してまた淹れたコーヒーを口に含み、思案と再考。
確かに密度――もしくは蜜度――が濃すぎるLOVEい空間もSAN値がガリガリ削れるが、何気にそれを軽く凌駕するモノが転がってきたのもまた事実だった。
「つーか母さん、冷静に考えて色々と大丈夫かコレ。どう見ても厄介事にしかならんぞ」
「あの人は良くても、姑とか親戚とかキツそうだよね……。漫画とじゃあよくあるし」
甘い空気が過ぎ去り落ち着いてみれば、想定される事態が実に面倒な事だ。
というか、流石にこの現実は誰が予測できたであろうか。
――うん、無理だろ。
そんな懸念材料オーバーフローの中、母さんは全く気にしてないらしい。
「大丈夫、愛の力でなんとかなるわ!」
楽観的なのか単にバカなのか、実に悩むところである。
ちなみにアイコンタクト姉妹会議ではバカに2票入った。
「しかし、事実は小説より奇なりとはいうものの……」
うーん、と二人で頭を抱える。
空気が甘いだとか相手がハイスペックだとか、寧ろ再婚という一大イベントすらも霞んで見える。
「それより私は、小詠はむしろそういう手合い――というより設定には喜ぶものかと思っていたが」
「ぶっちゃけさっきのスゥィートドゥリームで現実直視余裕でした」
「わけわからん発音はどうでもいいが、そんなものか」
要は浮かれる間もなく現実に戻らざるを得なかったため、若干ネガティブになっているようだ。
「……滝行とかあるのかな?」
「ない……と言い切れないのがまた凄いな。通してろくな想像ができん」
彼自身とは親子関係など問題ないかも知れない。が、先に小詠が言ったように、引っかかるのは彼の両親含めた親族達だ。
「説得してある、とは言ってたけど……」
「納得しているかは別問題、か。――母さん」
「あら、どうしたの?」
「あの人の両親とかには会ったのか?」
「モチロンよ〜。お義父さんは気難しそうだけど、ちゃんと話せばわかる人。お義母さんはまさに理想のお婆ちゃん、って感じのひとかな」
笑みでそう話す母の言葉に、苦味や冷たさは感じない。
どうやら本気で気に入られているようだ。
「単に頭花畑な可能性もあるが」
「うーん、でもお母さん、その辺り割と小動物的に察知するから大丈夫じゃないかな?」
「なるほど、それもそうか」
「さっきからお母さんの扱いがヒドいわ……。しくしく」
泣き真似を始める母を視界の外に置き、思考をまとめていく。
まず、相手の家は由緒ある家系で、いわゆる旧家というやつだ。本人曰く古いことだけが取り柄とのことだが、二桁の親戚一同が同じ敷地で生活をしている時点で何かがずれている。
とはいえ、そういった家との再婚で最大の障害であったご両親――私達視点では義祖父義祖母――には話が通っているらしい。
本人が当主だとか言ってたから、その両親の許しがあるなら表面上は反対意見はでないはずだ。
「というか、まだ若いとはいえ未亡人かつ二人の子持ちが、よく気に入られたよね」
「あら、若いのに大変だったわねえって、ちゃんとお話を聞いてくれたわよ?」
「無知で苦労知らずの箱入りよりかは、親子揃って好みだったんだろうさ。いや、それよりも、もしかして話って結構進んでる?」
うーん、と虚空を見上げて考えるような仕草をし、
「実は後はあなた達にお話しするだけだったから、明後日には結納して、今週末には結婚式?」
……なかなかツッコミどころの多い事を言ってくれる。
しかし今週末となると、
「山か」
「本気で篭らないでね!?」
「ええー」
「あらダメよ? 結納の時に、あなた達とお義父さん達との顔合わせだから」
「さっきから展開が早いっ! というか学校は⁉」
「大丈夫、既に転校の手続きは取ったわ!」
「「転校⁉」」
「あら? 言ってなかったかしら。来週に結婚したら私達も向こうに住むわよ?」
その後、母さんへの説教(フローリングで正座付)が3時間行われ、一先ずの収束は見せた。
そんなこんなで時計の針は丑の刻。このまま宣言通り参りに行ってもいいが、
「流石に疲れたな……。精神的に」
「……疲れてなかったら行ったの?」
何を今更。
ともあれ、最早ここまで来ると我儘を言うのもあれだろう。諦めが肝心、とはよく言ったものである。それに、今は母さんも寝入っているが今週末で引っ越しとなると、それはさぞかし忙しくなりそうだ。
何分、母さんがまともな話を周囲に行っているとは思えない。その説明も含めて学校やら近所の世話になった人たちへの挨拶回りもある。
また、それだけではなく結納では顔合わせと同時に式での段取りから彼の家のルール、引っ越しに入用なものまで聞くこと決めること等、やることは多い。どう考えても休む暇が見当たらないぞ。
あー、『バイト』をしばらく休むこともオーナーに伝えなくちゃなあ。
「大変そうだね……」
「そう思うなら少しぐらい手伝ってくれ」
「うう、だって急に転校とか引っ越しとか言われたんだもん。全然準備もできてないよぉ」
どうやら小詠は仲の良い友人と別れることや、住み慣れた家を離れることの戸惑いが強いようだ。
確かに私も転校には驚いたが、しかし昨今はネットさえ使えればお互い話もできるし近況も分かる。
……まあ、現地が携帯さえ使えぬ陸の孤島でなければ、だが。
「でもあの人は普通に携帯使ってたよね。母さんともメールしてるみたいだし」
「最近やたら嬉しそうに携帯いじってたのが、まさかこれだとはなー。……ま、なるようにしかならんか」
窓の外、やたらと不吉な色で輝く満月を見上げ、思わず溜息をついた。
ふと、やはり疲れていたからか、言葉が漏れる。
それは突然目の前に現れた、冗談みたいな人生の転換期。
「退魔師の家系、ねえ……」
つい、で漏れた溜息で逃げたのは幸福かそれとも別の何かか。
それは神様にも解らないのかもしれない。