5.0
ある晩、いつも通り夕食を食っていたら父親がいきなり話しかけてきた。
「お前、最近は何を調べているんだ?」
「絶対性」
「えらくでかいのを選んだな。手応えは?」
「まだ全体像さえつかめてないね」
「そんなモンつかめるの待ってたらいつまで経ってもわからんぞ。見切り発車でいけ」
「わかってるよ。一度トライしたけど弾かれたからちょっと今、知識をつけてるんだよ」
「資料は足りてるか?」
「うん、今のところ充分」
「そうか」
「でも「埋め込み」しようかと思って」
「そうだな、その方が手っとり早いからな。どのくらいの情報を入れてもらうんだ?」
「まだ決めてないけど・・・・・・、五十冊分くらいかな?」
「百冊以上は考えとけ。情報量は多くても別に問題はないから」
「そんなに埋め込んで頭がパンクしないかな」
「しない。そんなに人間の頭はヤワじゃない」
「そうか・・・・・・」
「初めてだったら・・・・・・まあ百冊前後が妥当だな」
「慣れてくると?」
「一度に千冊分入れた奴もいるとか」
「それはすごいな・・・・・・」
「すごいんだが、あまりいいことじゃない」
「ただの知識になりやすいんだっけ?」
「ああ。ちゃんと活きた理解ができなければすぐに忘れてしまう。五百が限度だな、俺は」
「そういえば、最近どうなの?」
「何が?俺の研究か?」
「そう」
「行き詰まってるな」
「今も「クラッシュ」の研究?」
「ああ。クラッシュの原因を探ってるんだけどデータが少な過ぎてどうにもならない」
「仮説の立てようがない?」
「そうだ。今、観測範囲の拡大の許可待ち」
「どこまで広げるの?」
「今までは銀河レベルまでだったんだが銀河団レベルまでの拡張を申請した」
「いけそう?」
「五分五分だな。とりあえず範囲の拡大は認めて欲しい。本当はボイドも含んだ領域まで広げたいんだけどな」
「ボイドって銀河とかの数が少ない領域だっけ?」
「そう。あそこは星が少ないからな」
「抵抗みたいなものが無くて考えやすい?」
「いや、星が抵抗になるのかを見たい」
「それさえわかってないの?」
「ああ。データが無くてな」
「そりゃ大変だ」
その時、食事を終えた父親は手を合わせた。
「そうだな。・・・・・・ごちそうさま」
「じゃあ、今は何してるの?」
「とりあえず仮説の式をいくつか立てて検証してる」
「ふーん。頑張ってね」
「お前もな」
そう言って父は書斎に引っ込んだ。渡はもう少し食事を続けて、ごちそうさま。洗い物を終えて自室で研究に取りかかった。
三百年前、人間は魔法を発見した。原理がはっきりわかっていなかったので、最初はこわごわ、慣れてくると大胆に使用するようになった。
極め付きは環境問題のオールクリアだろう。史上最大の魔法の使用例だ。魔法の発見から数十年でそんなことを始めたのだ。もし、そのまま魔法の使用を続けていたらどうなったか、などとそら恐ろしい思いをした人間は多いだろう。
オールクリアした数年後、魔法で宇宙全域を観測していた(宇宙物理の)研究者達が妙な現象の報告を発表するようになった。
宇宙のどこかでいきなり前兆もなく惑星や恒星、酷いときにはその系全てが崩壊し飛散するのだ。
幸いなことにその現象は地球とはかなり離れた場所でしか観測されず、実質的な被害は無かった。それでもなんとなく魔法への恐怖が生まれ始めた。次第に魔法を大々的に使用することはタブー視されるようになった。
さらに数十年後、「クラッシュ」の位置関係から地球となんらかの関係があるという論文が遂に発表された。
実際にクラッシュが魔法による物と判って、途端にというほどでもないのだが、世界中の国々で魔法の使用が制限され始めた。
しかし、そこは人間の性。完全に禁止することは話題にはなったが実行しようという気は少なくとも政治家には無かった。
科学の研究はもちろん、エネルギーも魔法に頼っている国も少なくないし、災害復興、軍事力、etc・・・・・・。
完全に禁止するには魔法はあまりにも万能で強力だった。
そうして百数十年間は魔法の取り締まりをきつくしたり緩くしたりの繰り返しだった。時々国家事業などで大量に使用することもあった。
そしてトキの時代に至る。
この時代の取り締まりは割ときついほうだった。
研究に使用するのさえ厳しい審査を通さなければならなかった。だからまあ、トキの夢である「父を手伝う」ことはすでに難しいのだ。これは幼かったトキはまだ知らないことであった。
★付箋文★
「みつばち屋」という看板の黒と黄のコントラストがなんとも言えない雰囲気を醸し出している建物に渡は入っていった。ここが彼のバイト先であり、今日が四回目の出勤で初めて事務以外の仕事を手伝う日だった。今日は外で仕事するらしい。
「こんにちは。今到着しました」
「おう、来たか」
返事をしたのは「みつばち屋」の社長だ。といってもこの会社の従業員は社長、事務が一人、バイトが二人という、超小規模な会社だ。ちなみにもう一人いるというバイトの先輩には会ったことがない。今日が初顔合わせだ。
この会社は時給こそ低いものの仕事できる時間・頻度が高く、一月あれば二十万以上稼ぐことが可能だった。おまけに履歴書は要らず、渡の・・・・・・いや、静の家からごく近かった。ネットでバイト先を数時間かけてふるいにかけた結果の勤務先だ。社長は従業員、俺を含めて二人しか知らないが、をいつもこき使っているが、不思議といやな感じはしない。兄貴肌だからか。
「もう少ししたらクチナシが来るからな。もう少し待っていてくれ」
「クチナシ?」
「先輩のバイトだよ」
そういえばそんな名前だったかな。
「クチナシさんが来たらどうするんですか?」
「車で現場に行く。ああ・・・・・・、お前、今日初めて外に出るんだな」
「今日はどこに?」
「言ってなかったっけ?今日は部屋を掃除しに行くんだ」
「?」
「まあ、来ればわかるよ。結構腰にくるからな。覚悟しとけよ」
「はあ・・・・・・」
不透明な業務内容に対してできるのはあいまいな覚悟と返事くらいだ。
ほどなくして入り口のドアの開く音がした。恐ろしく軋むドアだ。油くらい差せばいいのに。
「あ、どうもこんにちは」
渡は入ってきた男になんとなくあいさつした。この男がクチナシだろうか。かなり大柄でがっちり、筋骨隆々。こいつにケンカを売って生きて帰ってこれるのはクマとかトラとか何かそんなのくらいだろう。それほどの体をしている。ラガーマンだろうか。
「どうも。あなたが新人さんですか?」
見かけによらず丁寧な対応を返された。
「あ、ええそうです。時瀬渡です」
「トキセ・・・・・・?」
「時間の時に、瀬戸際の瀬、渡は橋を渡るの渡です」
「ああ、なるほど面白い名前ですね。俺はクチナシタカシです」
やっぱりこの人が先輩バイトだったのか。
「どんな字ですか?」
クチナシは紙に「梔隆」と書いた。
「あなたも面白い名前ですね。梔・・・・・・。へええ」
「よく言われます」
「はいはい、自己紹介は済んだかな?」
ほのぼのとした挨拶に終止符を打ったのは社長だ。
「時間が押してるんだ。さっさと行くぞ」
★付箋文★
車で揺られること四十分。渡はなんとかパラダイスとかいうマンションの前に立っていた。そこが今日の現場だ。そこの住民の一人が先日引っ越したのでその後片づけをみつばち屋が請け負ったのだ。こんな時期に引っ越すなんてどういう事情なのだろう、と渡は内心不思議に思った。
「なにがあったんだろう?」
しかし、そう思っていたのは渡だけではなかった。梔先輩も同じだったようだ。
「そうですね。何が、」
「余計な詮索は無用!さあ、荷物を中に入れるぞ。手伝ってくれ」
社長はそう言って車の後ろを開けて掃除機やらモップやらをほいほい出していく。梔先輩もちゃっちゃとそれを受け取る。仕方ないので渡も地面に置いてあるバケツと何かわからない道具を二、三引っつかんで梔先輩の後を追う。今日は忙しくなりそうだ。
★付箋文★
そんなこんなで昼休み。今までこんな作業をしたことがなかったからか、作業服というものが肌に合わなかったのか渡は妙に乾燥したような気分になっていた。それがなんとなく気持ち悪いらしくしきりに裾をパタパタさせている。
「どうしたんだ?」
梔先輩が聞いてきた。
「気になります?止めましょうか?」
「いや、いいけど。敬語じゃなくていいぞ?」
何を言っているのだこの熊は、と渡が思ったことは秘密だ。
「え?」
「え、じゃないよ。俺、敬語言われてるのとか慣れてないし、どうも変な感じで。それに・・・・・・、あなたの方が年上でしょ?」
渡は小首を傾げた。
「そうかな?何歳?」
と、梔・・・・・・先輩を手のひらで指した。指さしは無礼だったはずだ。
「二十」
梔は無言で手のひらで渡を指し返し、年齢を聞き返した。人を指差さない。イイ奴だ、と渡は思った。
「二十一歳。そうか、じゃあ、互いに敬語・・・・・・、とか?」
「敬語は苦手・・・・・・なんですよ。使うのも使われるのも」
「使う方は慣れとけよ・・・・・・。ふう。普通に話しますか、じゃあ」
「それがいい」
「友達になるか!」
「そうしますか!」
よっしゃ、友達だ、なろうなろう、などと妙なハイテンションで盛り上がった後、梔はポケットをゴソゴソして、
「友達になった暁にアドレス交換しようぜ」
「ああ、悪りい。携帯電話持ってないんだ」
「ん?失くしたのか?水に落っことしたとか」
渡はちょっとまずい、と思った。この時代に携帯電話がどの程度浸透しているのか知らない。持ってない奴も普通にいるのか、皆持ってて当たり前なのか、持ってないと異常なのか、どの程度異常なのかもわからない。
関は持ってたっけ。持ってたな。いつも充電してる。元々持ってないと言って切り抜けられるのか?駄目だ、判断材料が少なすぎる。
「ああ、どこかに置き忘れてきたみたいなんだ」
「そうか。じゃあ、メールアドレスを書いておくから連絡してくれよ」
と言ってカバンからノートとペンを取り出す。
「いつも持っているのか?」
それを見て渡は聞く。見た目で勉強しなさそうなタイプ、と無礼にも判断していたのでそのような物を持っていることは意外だった。
ノートを少し裂きながら梔は返事する。
「ああ、いつも持ち歩いてる。こうしないと勉強する時間がとれないからな。電車の中でよく読書したり、問題解いたりしてる」
言う間に梔は電話番号とメールアドレスをノートの切れ端に書き終えて渡に差し出す。
「ん・・・・・・。じゃあ、見つかり次第連絡するよ。何日かかかるかもしれないけど気長に待っていてくれ。」
「わかった。ところでなんて呼べばいい?」
「あだ名とか?」
「そう、なんて呼べばいい?」
と言ってくれた。
呼び方。そのことで渡はしばし思案するが、
「時瀬で」
と普通に名字を名乗った。
「じゃあ、時瀬だな」
「よし。じゃあ、俺はどう呼べばいい?」
「クチナシで」
「じゃあ、クチナシだな」
言い方を合わせて返事する。梔がにやり、と笑う。こちらもにやりを返してやった。
そういうわけで今後は梔は「クチナシ」である。
***
「ただいま」
妙に疲れきった静の声で帰宅が告げられる。
やはり静は静だ。疲れきっているとはいえ、昨日の萎れ具合からは想像できないほどの回復である。
ただ、どこか無理してるんじゃないかと渡は心配してしまう。昨日はそれほどの落ち込みようだった。
昨日は食事中もほとんど何も言わず、食べ終わるとテレビを消して、
「レポートがあるから」
とパソコンで一心不乱になにやら書きまくっていたのだ。
今朝は今朝で、
「今日はサークルの集まりがあるから」
とさっさと出かけてしまった。
だから心配していたのだが、声を聞く限り疲れてはいるが大丈夫そうだ。よく見ると顔が赤い。どうもちょっと酔っぱらっているようだ。
「ああ、おかえり」
渡は玄関と同化しているキッチンに立ち、大根にとんとんと包丁を入れながら言う。バイトで一日中雑巾掛けをしていたとは思えないほどてきぱきと働いている。
「今日は遅かったな。サークルだっけ?飲み会か?」
渡はあえて明るく聞いた。昨日の件を過去にしてしまいたかったのだろう。
しかし、気づけば静はあからさまに不機嫌そうだった。なかなか脱げないらしい靴をほとんど何かを蹴り付けるように脱ぎ、忌々しげに渡を見る。しかし、別に渡に対して心からの敵意は抱いていない・・・・・・はずだ。
「そう睨むなよ。何かあったのか?俺が何かしたのか?」
渡がかける言葉に険はない。ただ力を貸そうか、とか、何か俺に至らないところがあれば・・・・・・、ということである。
静はそんな渡の言葉にほうっ、とため息をついた。
「別にあんたのせいじゃあないわよ。ちょっと不機嫌になってて八つ当たり気味なのよ」
「はた迷惑な話だな」
「何?」
「ほらほら、睨むな、睨むな。矢部君にも嫌われるぞ?」
「矢部君は関係ないでしょうが。・・・・・・もういい、着替えるわ」
そういってのし、のし、と今度は元気なく歩いて居間・・・・・・テレビのある部屋へ崩れ落ちていく。
まあ、一応は元気を取り戻したようなので渡はほっと胸をなで下ろす。
それと同時に疑問がわく。
何があったんだ?
***
正直なところ彼女は自信の所属するサークルをあまり快く思っていない。部員はほとんどががさつな、・・・・・・渡よりも面倒な男たちなのだ。しかも静は女子部員の中でただ一人の男子扱いである。今日のように稽古以外で少し部員と交流を図ったりすると、「男女」などという他人に与えられたキャラの下でひっそりと傷ついているのである。
そしてその傷は孤独な静の心に少しづつたまっていっていたのだ。
***
渡の予想通り、静には明らかに昨日とは違う何かがあったみたいだった。食事(ご飯・味噌汁・焼き魚)に対してひたすら三角食べで猛攻をしている。
つまり何も言わず食べまくっている。やけ食いに見えなくもない。だから渡は思わず聞いてしまった。
「何かあったのか?」
当然渡は心配だったから聞いたのだがその言葉に静の眉がキッと上がる。
「・・・・・・あんたには関係ないでしょうが」
地獄の底で鬼が唸るような声。いきなり怒っている。その声に怖じ気付くが、渡はなんとか言い返す。
「関係なくないだろ」
ちっ、と静は舌打ちをする。
「あんたはただあたしの家に居座ってる迷惑な奴でしょうが。あんたは黙って食事作って、掃除して、さっさ矢部君と友達になればいいのよ」
渡は言い返そうと口を開くが、そのままその言葉を飲み込むように口を閉ざした。不毛なやりとりにうんざりしたのか、言い返せないと判断したのかはわからない。
しかし、静の方の不機嫌は止まらない。その傍らのビールの缶をぐいっとあおり話を続ける。
「何なのよ、何か文句でもあるの?」
「文句はねえよ」
「じゃあ、なんでそんな目でにらんでるのよ」
渡としてはにらむような目つきをした覚えは無いが、機嫌の良い目つきでなかったことは確かだ。あんな言い方をされれば誰でもそうなるだろう。
「悪かったよ。でもにらむつもりは、」
「つもりはなくてもにらんでるのよ。今度から気をつけてよね」
「・・・・・・ああ」
渡は不本意ながらもうなずく。言い返せるような立場ではないのだ、そもそも。
静は顔を歪め、面白くなさそうに魚を食べていく。そのまま会話が戻ることは無かった。
今日の夕食はまずかった、と渡は皿洗いしながら思った。
***
次はちょっとした区切りです。出たら是非読んでください。