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結論から言うと渡はその日、矢部と友達になれなかった。

その日の午後、つまり渡が午前の家事を終え、昼食も済ませてまったり茶をしばきながらテレビを「社会勉強」と称して見ていたときである。CMで「電子書籍・・・・・・タブレット・・・・・・」とかいうのが流れていった。

渡の目が物欲しそうにその四角い黒に釘付けになる。

渡は現在ほぼ一文無しである。電車代で消える・・・・・・とまではいかないが、何度も乗れない。電化製品など買えるわけがない。

しかし、それでも渡の目はタブレットを凝視している。買えないのは百も承知。いつか買うときのために今のうちに見ておこう、などと考えているのだ。

ちら、と渡は物置棚の上に置いてある時計を見る。13時35分。矢部と友達になろうというのだから、まあ、今すぐにでも大学へ向かっても構わないのだが、渡の腰はあがらない。

ちょっと、ほんのちょっと見るだけ・・・・・・、と主人におねだりする犬のような目で時計の針をちらちら見つめていたが、

「電子書籍の*****!!」

というしつこいCMの文句を聞いて渡の中で何かがはじけた。



「どうしよう・・・・・・」

渡は絶望した表情で電気屋にある時計を見つめている。17時47分。


渡は無事電化製品店までたどり着いた。徒歩で。

しかし、その店にお目当ての製品は無かった。

まあ、仕方ないか、と他の製品を試して回る。電化製品店は二度目だから慣れたものだ。置いてある製品はほぼ全部さわり、店員にも質問し、近くの喫茶店でコーヒーも頼んだ。

しかし、それでも渡の心はあのCMのタブレットへと向かう。まるで一目惚れした乙女である。もちろん、乙女も叶わぬ恋とあきらめる心づもりだった。

だが、運がいいのか悪いのか、判断つけ難いのだが、前の席にスーツ姿の男が座ったのである。渡の席からはその男の横顔がよく見えた。

別にその男がどうというわけではないのだが、徒歩で数キロを歩いた疲労と、失恋で心身ともに疲れきった渡はその男を無意識にじっと見つめていた。彼からすれば胡乱な目つきで自分を見つめている男はさぞ不気味だったに違いない。

カフェオレを注文した後でその男は持っていた鞄の中に手を入れてなにやらごそごそと探している。渡はその様子を見ながら、そろそろ大学にいって友達にならないとなあ、とぼんやりと考えていたのだが、男が手にしていた物にそんなことはどこかに吹っ飛んでいってしまった。

彼が手にしていたのは、そう、あのタブレットである。


その男がタブレットを取り出した袋の店名を目ざとく確認し、即座にその店に向かい、タブレットとの出逢いに夢中になること一時間あまり。

気づけば時刻は17時47分。大学の講義が終わるのは18時。ここから18時までに大学に到着するのは不可能だ。どう見積もっても一時間はかかる。喫茶店に入って文無しの渡は歩きだ。


ところで覚えているだろうか?矢部を一度視認して魂を認識したので渡には矢部の位置が分かる。

だから矢部君がおそらく何のサークルにも参加していないことも、授業が終わると友達と会うこともなくさっさと家に帰ってしまうことも、何日も矢部君サーチをかけていた渡は知っているのだ。

つまり、今からどう急いだところで、大学付近までやってきた頃には矢部はとっくに帰宅しているのである。


さて、今渡の頭に浮かんだ選択肢は次の通りである。

①矢部君が帰らずに外をぶらつく、という奇跡を期待して大学に行く。

②家に帰って関にぼこぼこにされる。

③魔法でなんとかする。

④関になんらかの上手い嘘を言って事なきを得る。

⑤矢部君の家に押し掛けて友達になろうとしてみる。


渡の吟味が始まる。

①をやってもいいが失敗する確率が高すぎる。現実的な解決策ではない。・・・・・・選択肢のほとんどが現実的ではないが。

②は別にこれでもいい。関に殴られるのは問題ない。殴られるのが好きというわけではないが・・・・・・。まあ、関の機嫌をこれ以上損ねると本当に追い出そうとするかもしれない。できれば回避したい選択肢だ。

③は・・・・・・最後の手段だな。これを選ぶくらいなら②だ。

④が一番現実的な手段ではあるだろう。しかし、優先順位は③以下だな。あいつに嘘をつくくらいなら死んだ方がましだ。

⑤やってみる価値は・・・・・・無いな。


結局は②か。まあ、予想通りだ。


    ***


「ただいま」

渡がドアを開けて言う。

「お帰り」

静がそれに答える。その声はどこかはずんでいる。さっきまで電化製品の店ではしゃいでいた渡に似てなくもない。

静がどうしてそうなっているのかと言えば、それは当然「渡が矢部君と友達になった」と思っているからだ。彼女の押さえようとしても腹の底から笑みがこみ上げて来てどうしようもない、みたいな顔を見ると渡はいたたまれない気持ちになる。この罪悪感というものは本当に苦手だ、と渡は思った。いつまで経っても慣れやしない。慣れるわけにはいかないのだが。

「矢部君と友達になれた?」

なれたわよね?という意味ももれなくつけた口調と笑顔で渡に聞いてくる。笑顔が眩しい。まるで花のようだ。

「い、いや、だめだった・・・・・・」

渡が小さな、消え入りそうな声で言う。


その報告に静の笑顔が止まった。そして不思議なことに表情はほとんど変わらずに、ゆっくりと笑顔から生気だけが抜けていき、すぐに笑顔は完全に死んでしまった。

それはまるで花が枯れるのを早送りで見ているようだった。もはやその笑顔は活きていない。中身は死んでしまった。枯れてしまったのだ。

そしてその笑顔を枯らしてしまったのは自分だ。


渡は「矢部と友達になれなかった」と言えば静は問答無用で怒り出すと思っていた。

「・・・・・・どうして」

しかし、関は怒り出さなかった。ただ静かに聞いただけだった。か細い声で、どうして、と。

渡の頭は真っ白になった。全く予想だにしていないことだった。こういう場合は必ず怒ると思っていた。

未だ一週間ほどの付き合いでしかないが、渡は静のことを理解したつもりでいた。何か不愉快なことがあれば喚き、予想外のことがあれば叫び、時には理不尽な怒りをぶちまける。とにかくあふれんばかりの、暴力的とも言える元気のかたまり。静とはそういう女なのだと渡は勝手に思いこんでいた。


しかし、実際は違った。それを証拠に目の前で元気のかたまりは見るも無惨に萎れてしまっている。

自分のせいで。

誰のせいでもない、自分が下らないことをしたせいでこの花は枯れてしまったのだ。

だから。



だから渡はこの花をもう一度咲かせるためならどんなことでもしようと心の中で誓う。

たとえその課程でどのような目に遭おうとも、こいつの笑顔のためならきっと大丈夫だろう。


「すまない。この部屋の影響が急に変化したんだ」

嘘だ。静には決してつくまい、と決めたはずの嘘をとっさに渡はついていた。今の彼女に本当のことを言ってはいけない、と感じたのだ。今、彼女を怒らせることは、元気のかたまりにもどすことはできそうにない。きっと本当のことを聞けば倒れ込んでしまうだろう。

なら、嘘をついてショックを和らげるしかない。少しでも気が楽になるように。

「そう、無理だったのね・・・・・・」

やはり、力ない。いつもだったらハリセンで往復ビンタくらいはやっていたろう。いつもならそんな口調でもないだろう。

「ああ、本当にすまない」

いっそのことそうしてくれた方が余程気が楽なのに、今の静はただの枯れた花。ハリセンなど持てるはずもない。

「仕方なかったのね、わかったわ」

そう言って静は居間に入り、ドアを閉めた。


***


渡はそのまま夕食を作りながら思う。俺はあいつの恋心とやらをなめていた、と。

普段の彼女があまりにあまりだから、その恋もどこか子供じみたものと思っていたようだ。少なくとも「友達になれなかった」と言っただけで

あそこまで変わるとは思っていなかった。

今日は金曜日。だから友達になって、さらに上手いこといけば月曜には静自身も矢部の友達になれていたのかもしれないのだ。

おそらくは帰り道の途中もそんなことを考えながら帰ってきていたのではないだろうか。そりゃ考えるだろう、恋とはそういうものだ。


土日は渡はバイトで動けない。よって次の作戦は必然的に次の月曜になるのだ。

客観的にはこの上なくちっぽけで、しかし静にとってはこの上なく大きながっかり、だったのだ。



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