スポットライトの下で
光が眩しくて、私は目を細める。
スタジアムの中心には一人のピッチャー、彼の名を知らぬ者はいない。
彼が一球一球投げるたびに、スタジアムを取り囲む無数の星々はざわめき、彼に力を与える。
「ストラーイク!」ほら、「三振!」やっぱりだ。
電光掲示板を見ると、球の速度は147kmに達していた。あれは打てないな、と敵陣のアルプス席に座る私は、落胆の声を漏らす。投球数が増すたびに活気付く彼の球は、自然界の摂理から逸脱した存在のように感じる。一方、空を斬ることすら許されないバッターのバットは、路傍に転がる枯れ枝を思わせる。
私は「畜生、俺だって・・・」とビールをひっかけた。
試合終了後は、そのまま地元の居酒屋へ向かった。
「今日の試合は、ちょっと残念だったね」と、先ほどの試合、私の隣に座っていた観客が呟く。
私の彼女だ。
「ああ」いい試合だった、と言おうとして私は口を噤んだ。幸せそうに冷や奴を食べている彼女の横で、私は少し欝になっていた。
私には夢があった。プロ野球選手になりたいと、心から思っていた。理由などは覚えておらず、ひょっとしたら、幼い頃に見た野球漫画の影響かもしれないし、誰かと約束したのかもしれない。それは、どうだっていい。
いつか自分も、ドラフト1位で選出され、年間20勝を遂げる選手になりたいと。
だが、残念なことに私は肩が弱かった。その上、中学時代はサッカーを。高校では柔道を選び、野球をやったことなど、ただの一度もなかった。何の根拠もない才能だけを信じ続けた。
「いつか絶対野球を!」と信じていたら、今ではサラリーマンだ。
馬鹿な話だよ、全く。私はバットの握り方すら知らないのに。
「この後どうするの?」と、唐突に彼女が言った。
「そうだな。とりあえず、お前んちに行ってから考えよう」
私には、決してやましい気持ちなどはなかったのだが、彼女は。
「ごめん、今日はお母さんが来てるから、うちじゃ無理なの」と、顔を赤らめた。
不覚にも照れてしまった私は「いいから、さっさと店出るぞ」と席を立ち、彼女の手を引いた。
自分には、何の才能もないと気づいてしまったある日。私は彼女と付き合い始めた。
先輩に、いい人がいると言われ出会った私たちは、数回のデートを重ねた後、観覧車の中でキスをした。
「私のこと、大切にしてくれる?」の問いかけに対し、Yesとは答えず、頬にキスをした。
私は最低だ。
本当は、彼女のことなど好きではなかったのだ。叶うことのない夢の前に挫折した私は、女に逃げたかったのだ。決して許されることではない。いつか全てを白状しなければいけない日が来ることを、私は望んですらいた。
そして今日。
これまでの罪を清算しようと思い、私は彼女をつれ野球の試合を観に行った。そこで私は、自分が如何に堕落した人間であるのか、妄想家であるか、どれほど意志の弱い男であるかを包み隠さず話してやろうと思っていた。
けど、駄目だった。行く前は鋼のようだった決意も、いざ試合を見てしまうと、眩しすぎて、羨ましすぎて・・・。
「顔色悪いよ?」と心配そうに、私の顔を覗き込む彼女。
「そんなことはない、さ」と笑顔で答える。
「じゃあ、何考えてたの?」
「・・・あのさ」
「なに?」
「いや、何でもねぇ」
「嘘でしょ、それ。本当は私に言いたいことがある」
言いたいことは沢山あった。それを口にしようと思っても、喉に引っかかってしまって上手く言葉に出来ない。手の汗腺は、私の心理状態と直接リンクされていて、それはきっと、彼女にもバレている。
嘘は、つけない。
「あのさ、俺、プロ野球選手になるのが夢だったんだ」
「へ〜、スゴイじゃん」という彼女の表情からは、何の悪意も感じない。だからこそ私は、冷や汗をかく。
「でも俺、野球したことないんだよね」
「アハハ!意味わかんない!野球やればいいじゃん」
そうなんだ、そうなんだけれど、私には勇気がないのだ。夢は夢だ。夢から現実に醒める様は、決して私には酷となる。
「無理だから、夢なんだよ」
「じゃあ、何がしたいの?」
私に。
「そうだなぁ・・・。お前一人くらいは幸せに出来る男になりたいな」
出来るのか?
「出来るの?」
出来るさ。
「誓える?」
深夜12時の街は、昼間の喧騒した風景とはまるで違い、人はいない。
「誓える?」の問いかけに対し、私は彼女の唇にキスをした。
せめて、目の前の女性だけからは逃げないことを、誓った。
彼女の髪をかき上げ、後ろの電灯を見つめる。なんともまぁ、陳腐なスポットライトだ。
ピッチャーは私で、キャッチャーは彼女。バッターなんて大層なものは存在しないし、ましてや観客なんて、いても困る。キャッチボール並の規模が妥当であり、凡人の私には健康だったりする。
再び彼女の髪をかき上げた私は、電灯を見つめる。
なんだ、眩しいじゃないかと思い、私は目を細めた。
ご一読、感謝致します。
今後とも、精進します故、次回作も読んでいただけたら幸いです。