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節三 白曜と黒曜

「――消えろ」雫が短く呟いた、その刹那。


閃光が世界を裂いた。白と黒が反転し、空が焼けるように震えた。雫の放った光の奔流は、玄凛を中心に戦場を呑み込み、地を焦がす。爆ぜた大地が波打ち、噴煙が立ちのぼる。

しかし理の奔流が収まると、煙の中に青い影が一つ――。玄凛だった。

玲秀の兵たちを護るように両腕を広げ、理壁を張っていた。衣は裂け、紺碧の紋章が焼けるように光っている。

「……これが、彼女の真の“理”か。」

玄凛は、雫の手元に目をやる。

神棋〈天冥/黒式〉の柄に埋め込まれた黒曜石が、不規則に点滅していた。それは宝石の光ではない――まるで人工的な信号のように、規則的に明滅を繰り返す。

「……あれが、蒼牙の戦理院が埋め込んだ“洗脳波”の媒介か。」

黒曜石の表面には微細な紋様が浮かび、そこから目に見えぬ命令波が放たれている。雫の瞳がそれを受け取るたび、脳裏に“偽りの記憶”が流れ込み、玲秀の兵が村を焼く幻がよぎった。理が乱れ、心が削られていく。

(このままでは……あの娘が壊れる)

玄凛は息を吸い込み、拳を構えた。理光が右手を包み、雷鳴のような音が空を震わせる。


「――“白曜撃はくようげき”!」

玄凛の拳が閃き、雫の神棋に直撃、黒曜石の補強されていた人工の継ぎ石が神棋から外れ炸裂する。砕けた破片が風に舞い、空を渡る光となって消えた。

その中心に残ったのは――元の形を取り戻した、 “欠けた”宝玉。深淵のような黒艶が戻り、まるで長い眠りから覚めたように脈打っている。

「……目を、覚ませ、雫!」

玄凛の声が、戦場の理を突き抜けた。その声に、雫の暴走がわずかに鈍り、胸を押さえた彼女の瞳に一瞬、意識の光が戻る。同時に、玄凛の懐の白曜石が震え、空気が共鳴した。

白と黒――二つの理が響き合い、音もなく混ざり合う。それは輪となり、天と地の境界に光の環を描いた。

雫の瞳から赤い残光が消える。白い光が全身を包み、雫の意識の奥底へ、失っていた記憶が流れ込んでいった。


──玲秀の街並み。青空の下、紺碧の旗がはためき、子どもたちが笑って戦棋を打っている。民は笑い、戦棋士たちはそれを見守っていた。

──白曜石からも玄凛の記憶が黒曜石へ流れ込む。暗い塔。薬品の匂い。冷たい手が子どもの身体を押さえつける。

「適合率六十。さらに投与を。」

蒼牙の深紅の紋章をつけた男たちが、機械音を響かせながら命じる。泣き叫ぶ少女の手には、小さな棋石――黒。その指先が震えていた。


──燃える村。

赤い旗を掲げた蒼牙の兵が、民家を焼き払っている。泣き叫ぶ母親。倒れる父親。その前に立つのは、白い衣を纏った少女――剣を構え、民を庇う姿。

(これは……未来の私? それとも――過去?)

──そして最後の記憶。

広間の中央。白衣の戦棋士の前で、男が静かに語りかける。

「雫……おまえに託す。我らの国――玲秀を……守ってくれ。」

その声が消えた瞬間、すべてがつながった。

現実に戻ると、雫の頬を涙が伝っていた。

「……嘘……私は……玲秀の……?」

玄凛が低く呟く。

「記憶を、取り戻したか。」

雫の肩が震える。心の奥で、黒い靄が晴れていく。――自分が信じてきた国、蒼牙は敵国だった。そして今、刃を向けているのは、自分が守るはずだった“祖国”――玲秀。

「……私は……この手で……本当の祖国を……!」

雫が見ていた“理の真実”は、世界の記憶と自らの記憶が交わる一点だった。

雫の手が震える。剣を握る掌から血が滴り、理光が滲んでいく。その血は、罪の象徴でもあり、赦しの印でもあった。

「もういい、雫。戦う理由は……もう、どこにもない。」

玄凛の声は、風のように静かだった。だが雫の胸の内では、二つの感情がぶつかり合っていた。

脳裏に浮かぶのは、蒼牙の民――共に笑い、共に泣いた顔。幼い頃に過ごした村の灯り。戦で傷ついた兵の手を握り、支えた夜。

その全てが“敵国”のものだったと、偽りだったと誰が言えるだろう。

(私が過ごした時間は……偽り?でも、あの人たちは確かに生きていた。私を信じてくれた……!)

「……でも……私は……ここまで……多くの玲秀の兵を斬ってきた……守るべき人たちを……この手で……!」

嗚咽とも悲鳴ともつかない声がこぼれる。瞳が揺れ、理の震えが空気を乱す。

周囲の理石が宙に浮かび、光の粒を散らす。その光はまるで、崩れゆく盤上の“最後の一手”のようだ。


――その時だ。

背後に、異様な殺気が走る。風の流れが変わる。蒼牙軍の指揮官の声が響いた。

「戦棋士 雫――裏切りの兆しあり。排除せよ。」

空気が裂け、蒼牙の暗部兵が、霧のように現れた。黒衣、無紋、感情のない瞳。

矢が放たれ、剣が交錯する。雫が振り向くより早く、刃が閃いた。

「やめろ!」

玄凛が雫の前に躍り出た。金属の衝撃音が響き、彼の背中の紺碧の紋章が裂ける。赤い血が舞い、空中に光の粒となって散った。

「なぜ……私を……」

玄凛は苦笑する。

「おまえは……俺と同じだ。“間違った国に送られた”だけだ。」

雫の瞳が大きく見開かれる。

「俺たちが戦うべきは……国の名じゃない。“未来”だろ……?」

その言葉が終わると同時に、玄凛の身体が膝をついた。血の理光が地面に広がる。しかし彼の笑みは穏やかで、どこか懐かしささえ漂っていた。

雫の中で、何かが決定的に壊れた。世界を繋ぎ止めていた糸が切れ、戦場の喧騒がフッと遠のく。 鼓動だけが、耳の奥で鐘のように打ち鳴らされた。

光が爆ぜ、理が悲鳴を上げる。彼女の全身を、蒼と紅の理光が交錯して包み込む。空気が歪み、音が消えた。

雫の髪が逆立ち、その全身から放たれる光が、夜明けのように戦場を白く染め上げていく。 その光の中で、彼女は泣いていた。 表情は抜け落ちているのに、瞳から溢れる涙だけが、光の粒子となって空へ昇っていく。

「……すべて、なくなればいい……痛みも、憎しみも、理さえも……」

雫の体を包む理光が、柔らかな白へと変わっていく。血に濡れた手が震え、空に向けて伸ばされた。そして、雫の理の色が変わっていく。それは“覚醒?”――だが、人の枠を越えた理の暴走の予兆でもあった。

理の奔流が神棋を中心に収束し、雫の体から幾筋もの光が放射される。それは、先ほどと比べものにならないくらい、凄まじい閃光。それはもはや人の力ではなく、――理そのものの“悲鳴”だった。

雫の意識は、激しい痛みとともに深い静寂に沈んでいく。蒼と紅が混ざり、紫の閃光が空を貫いた。

彼女の嘆きに呼応するように、大地が悲鳴を上げて割れる。 亀裂から噴き出す光が、逃げ惑う兵を飲み込み、光に触れた端から、彼らの「戦意」が、「記憶」が、そして「存在」そのものが薄れていく。

「雫! その力を止めなさい!」

寛蓮の声は、届かない。雫の瞳は焦点を失い、この世界を映していなかった。寛蓮との修行、嵩陽や仮面の男との対局、里の民の笑顔、玲秀の街並み――それらすべてが光の中に溶けていく。



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