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節四 封じ手との再会

蒼牙が、独立四十周年を記念した祭典を開く――

その報せが玄凛のもとに届いたのは、“封じ手の少女”の噂を耳にしてから数か月後のことだった。

祭典では、各国の戦棋士を招き、友好の名のもとに“対局の儀”を行うという。表向きは友好だが、その実、蒼牙が他国の棋力と理構造を測るための大規模な探査であることは明白だった。玲秀王・秀廉は玄凛を呼び、淡々と命じた。

「参列の栄誉を授ける。お前が我が国の理を示せ。」

玄凛は沈黙ののち、うなずいた。それは、かつて己が生まれ、今は敵国である地――蒼牙への帰還を意味していた。

(もしかしたら、あの“封じ手の少女”の手がかりがつかめるかもしれない――)

玄凛は、蒼牙の都に向かう途上、五ノ里に立ち寄った。そこは、かつて彼が戦棋院で聞かされていた“理の始まりの地”、理の原初が盤上に刻まれたとされる里である。

里は霧に包まれ、瓦の軒に露が光る。玄凛が足を踏み入れると、草の匂いが胸をくすぐった。見たこともない風景なのに、どこか懐かしい。理の記憶が、無意識の底から呼び覚まされたような感覚だった。

「この里に、戦棋が堪能な少女がいると聞いたが……」

玄凛が尋ねると、老いた農夫が手を止め、すこし寂しげに首を振った。

「その子ならもうおらん。演武祭のあと、戦棋院に召されたらしい。」


――戦棋院。

その名を聞いた瞬間、玄凛の背筋が粟立った。やはり、あの少女は“無我”。理に選ばれた……いや、製造された、自分と同じ器の、もう一人の欠片だ。


蒼牙の都・蒼晶城そうしょうじょう。かつてよりもさらに冷たく、巨大な理の塔が並び立っていた。街路は幾何の文様で舗装され、塔の頂には青白い理灯がともる。中心に聳える塔――“青の盤塔”。

未来では地の底にあった戦棋院が、いまこの時代では堂々と天空に届こうとしていた。

玄凛は玲秀の使節としてだが、万が一の素性の露見を懸念して仮面をかぶり式典の広間へ入る。仮面の下では、故郷に戻った安堵よりも、再び理に縛られるような息苦しさを感じていた。

広間には五国の王と将が集い、卓を囲む。

蒼牙、玲秀、焔煌、黒嶺、朱霞――

そして遠方の地である白蓮と金環は、理流出を恐れ欠席していた。

祝辞に並ぶのは、理と勝利、支配と安寧の言葉。民を語る者は一人もいない。

“理をもって人を導く道”は、今や権力の象徴に成り果てていた。

黒嶺の将が低く笑い、玲秀王に声をかけた。―― 一瞬、側近の戦棋士たちに緊張が走る。

「久しいな、玲秀王よ。蒼牙独立の戦以来か。」

「互いに老いたな。」

「ところで――貴国の代表は、あの仮面の男か?」

「そうだ。もとは黒嶺の生まれと聞いている。」

「黒嶺の?それは妙だ。あの者の理は蒼牙の色を纏っている。それも盤上の民の理だ。」

「黒嶺将もそう感じるか。」

「とはいえ、奴は、黒嶺と言っている。何か事情でもあるのだろう」

「それにしても、どの国も食えぬ対応をしている。自国の理を持つ戦棋士を出しておらぬ」

「焔煌の戦棋士とやらも、蒼牙の理を纏っている」

「いったい蒼牙は、何がやりたいのか……」

会話はそこまでだったが、玄凛は確かにその視線の圧を感じた。

いずれ、己の過去が暴かれるのだろうか?

やがて、中心の壇上に声が響く。

「――これより、友好対局の儀を執り行います」

場のざわめきが静まり、各国の代表が壇上に呼ばれる。玄凛もまた、玲秀の指南役として席に着いた。仮面の奥で、心臓が高鳴る。

対面に現れたのは、まだ十代半ばにも満たぬ少女。蒼の装束に身を包み、無表情のまま、淡い光を宿した瞳。その姿を見た瞬間、玄凛の呼吸が止まった。

(……この娘が無我? 前にすれ違ったときとは、印象が違う……)

名は告げられなかった。ただ、戦棋院 院生筆頭――そう紹介された。

壇上に光が満ち、二人の前に黒と白の石が配された。

審判は、玄凛に告げる。

「彼女は、院生筆頭ながら、まだ歳として十二を数えたところ 使者様とはかなりの段位差があると存じます。」

――「コミなしの定先じょうせんで、三子局の置き石でお願いします。」

玄凛はゆっくりとうなずいた。

「構わぬ。理は、位では測れぬものだ。」


審判の開始の合図が響き、対局が始まる。石を置く音が、静寂を切り裂く。

「これが……月影の布陣……か」

最初の十手で玄凛は悟った。この少女は、ただの天才ではない。――手が、読めすぎている。

一手先、二手先ではない。未来の盤面そのものを“視ている”様な打ち筋。それは、かつて自分が使った理構造に酷似していた。玄凛の掌がわずかに震える。


対局も中盤にさしかかってきたころ少女が先に仕掛けてきた――

玄凛は、鬼手で応酬

その後、いくつかの手を打ち合い、彼女は盤の中央に黒石落とした。その瞬間、玄凛は、自石の活路がなくなっていることに気づく。

「月下の封じ……!」

玄凛の掌が震える。そして少女が石から手を離した瞬間、盤上が淡く光を放った。

終局。

わずかな置き石差を越え、少女の勝利が宣言された。観衆が湧き、蒼牙の導師たちは誇らしげに頷く。

玄凛は、少女に尋ねる

「……その手、どこで学んだ?」

少女は小さく答える。

「思い出しただけです。誰かの、指の記憶を。」

そして、玄凛を見つめ、微かに言った。

「あなたの石は、冷たい。」

その声は、氷のように透き通りながらも、どこか哀しみを帯びていた。一礼して去る少女の背を、玄凛はただ見つめ続けた。その瞬間、白曜石が微かに光を返す。まるで、彼女に何かを伝えようとしているかのように。そして、彼も立ち去ろうとしたその時、玄凛の白曜石と、少女の黒曜石が同時に共鳴する。理の震えが二人を包み、空間がかすかに歪む。

(……理の震え?)

だがその現象は、二人にしか見えていなかった。観衆は誰一人、気づかない。玄凛の額の紋章が疼き、血のような熱を帯びる。――これは同調。同じ“戦棋核”を持つ者同士の共鳴か?

玄凛は、確信した。この娘もまた、自分と同じ場所から来た。あるいは、同じ装置によって生み出された存在――。

壇上を降りた玄凛が自席に戻ると、玲秀王が独りごとのように呟いた。

「まるで、書き上げられた劇本のような対局であったな。」

玄凛は静かにうなずく。

「……かつて経験のあった対局に似通っていたので、そのように進めてみました。」

玲秀王は杯を傾け、淡い笑みを浮かべた。

「そうか。――実はなぁ、焔煌の戦棋士が、其の方らの対局を観察していたが、面識でもあるのか?」

玄凛の指がわずかに止まる。

「……焔煌の?」

「うむ。あ奴も焔煌代表の戦棋士ではあるが、蒼牙の理を纏っておる。貴様かあの娘と何か因縁でもあるのか?」

玲秀王の声は低く、意味を含んでいた。

「玄、焔煌も蒼牙も盤の外でも動いている。――次に来るのは、友好ではなく“介入”かもしれぬ。」

玄凛は深く息を吐いた。


焔煌――理の火を司る南の国。

(かつて蒼牙は焔煌と同盟を結んでおり、蒼牙と“似た”噂を耳にする。)

(無我と自分の理の共鳴を、焔煌の戦棋士が感づいたか――?)


玲秀王は静かに告げる。

「其の方の任は変わらぬ。玲秀の理を護れ。だが同時に、焔煌の影に注意せよ。 ――あの者たちは、理を喰らう火を宿している。」

王の視線が離れた瞬間、玄凛の胸に重い余韻が残った。盤上の外で、もう一つの戦が静かに始まっていた。

対局の後、玄凛は仮面のまま、式典の片隅で杯を傾けた。酒の香が、記憶を遠くへと連れ去る。

玲秀の貧村で出会った少年の笑顔が浮かぶ。

“理は人の道であって、人を縛る檻ではない”――その想いが胸を刺した。

蒼牙の理が世界を覆えば、民は再び戦に駆り出される。そして無我――あの少女――は、その中心に立つであろう。


夜風が吹き抜け、遠くで三度の鐘の音が響く。蒼牙の都の夜は青く凍り、塔の光が雲に滲んでいた。彼の脳裏に、戦棋院での過酷な日々がよみがえる。

無機質な光、鉄の床、理を流し込まれた兵の群れ。名を奪われ、番号で呼ばれる日々。玲秀の非道の教育。感情を消すことが、最も効率の良い“理”だと教えられた。

「……あの頃の俺には、勝つ以外の“生き方”がなかった。」

言葉が夜気に溶ける。その声音には、懺悔でも後悔でもない、ただ“理解”の色があった。勝つことしか許されなかった己を、ようやく赦せるような、微かな温度。

(今の俺は……勝たなくても、生きている)

(しかし今は、あの少女が、あの時の俺と同じ日々を送っている……)

――だが、彼女の瞳にはまだ光があった。

――それは理ではなく、“人”の光だった。

(まだ、救えるかもしれない……)

玄凛は拳を握りしめた。玲秀を守るため、必要とあらば蒼牙を討つ。だが同時に、彼女を兵器として終わらせてはならない。

「……俺は、玲秀を守りたい。――そして、彼女を“兵器”のまま終わらせない」


蒼牙の祝祭は続く。理塔の灯が夜空を照らし、笛と太鼓の音が都を包む。だがその闇の底で、理の裂け目が音もなく広がっていた。盤上では測れぬ“何か”が、確実に動き始めている。

玄凛はその気配を感じながら、白曜石を手に取った。その石は、まるで血のように熱を帯び、淡く震えていた。

彼は静かに呟いた。

「――理が、彼女を飲み込む前に。」

玄凛の胸には、新たな宿命の刻印が、静かに燃え始めていた。



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