第8話『水曜日/エンキ ①-1』
水曜日ってなんだか疲れてしまうのは、週の真ん中だから……かな。
講義も朝イチだし今週は色々あったし。
あくびばかりしてボーッとしていると、マリちゃんから小声で話しかけられる。
「ひよりぃ。後で内容教えたげるから、ちょっと寝ちゃいな」
「ん……だいじょうぶ……ごめんね、マリちゃん」
「……やっぱり最近なんか違うよ。いつでも話きくからね?」
なんて言われて、すっかり心配かけてしまった。
こんなにも優しい友達に、
「じつはわたしぃ~、神様たちから結婚を迫られててぇ~」なんて相談できないよ?
頭とか心とか、色んなバリエーションの心配をかけてしまう。
(結婚は絶対いやだって、銀髪眼鏡の人か美少年のどっちかに……もう一度言わないと)
夕方、スーパーの袋とティッシュの箱を両手に抱えてマンションに帰れば──。
わたしの部屋の前になんだかヨレッとしたニットを着た人が佇んでいた。
絹糸みたいな銀髪でなければ、このありふれたマンションに一瞬は溶け込めたかもしれない。
内心「銀髪眼鏡の人だ~! よしっ、アタリ引いた!」と謎の満足感を得てしまう。アタリも何も、そもそも五分の二の確率だし……。
そんなわたしに、彼は柔らかく微笑みかけて言った。
「日和ちゃん。おかえりなさい」
「こんばんは……えっと……エンジさん」
もじもじしながらわたしも挨拶をすると、
「あっ………。僕、エンキだよ……。メソポタミア神話で《知識と水の神》務めてるの」
ごめんね地味で、と弱々しく微笑む姿に血の気が引く。
なんて失礼なことをしてしまったのか。
未来の生徒にやっちゃいけない失敗の一つなのに。
「本当にごめんなさい、あんまり聞きなれた響きじゃなくて……」と慌てて言い訳しながら中に招く。
ひとまず冷蔵庫に食材をしまいつつ、あらかじめ冷やしておいた焙じ茶を注ぐ。
チラリと彼を見れば……地味なんてとんでもない。
アクアマリンみたいに透き通った瞳。
気遣わし気な表情に隠れた華やかな容貌は、長い睫毛が引き立ててるらしい。
そんな彼は疲れたような顔をしてるから、本当は温かい飲み物を出してあげるべきなんだろうけど。
(ううん、迎合してる場合じゃないっ! 頑張れ蒼野日和! 言うんだ!)
「あの、あの、エンキさん、わたし……えっと、誰とも結婚する気はございません」
結局いつもの弱気な小声でコソコソと言ってしまったけど、目の前の人は、
「………うん、そっかあ」
あまりにも拍子抜けするほど普通の態度で受け入れてくれた。
「あっ、では解約? ということで………」
「どうしてこんなことになったのか、っていうのだけでも聞いてはくれないかな? ……それも、やっぱり迷惑?」
ここで「ええ、迷惑です」とバッサリ言えないのがダメな所だと分かってる。
言葉だけはきちんと浮かぶのに~……。
マリちゃんならどう返事するのかな。……それは考えるまでもない、きっと完璧に断るね。
そんな風に考えていると、こちらを伺うように見るその人は、なんだか傷つきやすそうな風情だから。
「──わかりました、お聞きします……」
ああ、やっぱりわたしは、ほんとにダメだ。
このままじゃ教師なんて務まらない。
◆◆◆◆
時刻は夕方六時を過ぎた頃。
エンキさんは人の好さそうな少しだけ高い声で話し出す。
「明日、木曜の担当になった伏羲……赤い瞳の彼が言ってた通りでおおむね合ってるんだけど。色々、説明が足りないよね」
「ま、まあ。わたしも急かしてましたから」
そう返せば、
「ありゃー、日和ちゃんは良い子だね~…」
と、ふんわり笑って続けられる。
「……あの鏡、本当にひどい状態なんだ。人世の世界大戦が続いた時にすごく似ていて」
「白い空間で見た──。人類の未来を映してる、って言ってましたっけ」
「うん。人類はさ、欲張るし。傷つけること、そのものに喜びを感じたり──。もちろん全員じゃないけどね。ああいう未来になるのは宿命なのかもしれない」
「…………」
違うと言いたいけど。
父親から身をもってその被害を浴び続けたから……。
「だけどね、それもあって人類はここまで飛躍したとも言えるんだ。こうした君たちを、僕は心から尊いと思ってるんだよ」
それも違うと言いたいけど。
あの男はたしかにいわゆる優秀な人間だった。
いつも学歴のことでお母さんやわたしを否定してた姿が、脳裏に焼き付いてる。
悔しくて唇を噛めば血の味が広がって、余計に気分が悪くなった。
エンキさんはそんな私に違和感を覚えたのか、戸惑いながら私を見ている。
「………? ええとね、だから大切な人類が滅亡するのは避けたい。神をも超そうという勢いで生み出された、恐ろしい兵器たち。あれを使い合う未来なんて僕たちは見たくないんだ」
「それがどうしてわたしと結婚なんですか」
こちらの冷たい声にエンキさんはちょっと動揺したらしい。
この人が悪いわけじゃないのに。
別に彼はあの男を肯定したってわけじゃないのに。
吹きあがってくる嫌悪感が止まらない。
そんな姿を眼鏡越しにじっと見つめてられてる……。
「日和ちゃん? 疲れてるなら話はやめようか?」
「いえ、ごめんなさい。続けて下さい」
「………分かった。そういうわけだから、人類の争う性を解消するために僕らが代理で競うことにしたんだよ」
(そんなの知らないよ。勝手にやってればいいじゃん)
人類のためだと言われてるのに、苛立つ気持ちがわたしを批判的な気分にさせる。
……こんな風に他人を思うことあったっけ。
ピリピリした空気を隠さないわたしに、彼は気遣わし気な顔をしながらも更にこう言った。
「それで選ばれた方法が結婚っていう形でね。誰が勝っても問題ない。でも誰かが勝たないと、この世に燻る負の力が溢れてしまう」
「……!? か、勝ちとか……!ひとの人生を……なんだと思ってるんですかっ!?」
自分で思ったより大きな声で言ってしまって。
その勢いに驚いて、ついにぶわっと涙が出てしまった。
人前で泣くなんて恥ずかしい……!
そう思えばもっと情けなくなって、止まらなくなってしまった。
エンキ:メソポタミア神話《知識と水の神》
178cm/外見年齢29歳
少し短い銀髪、水色の瞳




