第50話『日曜日/オシリス ④-2』
以前と同じ部屋に案内された後も拗ねた顔をしていると、なんだかオシリスさんは嬉しそう。
「日和さんが元気で良かった。またロキが刺激し過ぎるのではと心配していたものだから」
「…………ロキとは友人になりました。神様相手におかしいかもしれませんけど」
「──へえ? それは……ふふ。彼にとって最良なのか、最悪なのか」
この人にしては珍しく、ほんの少し意地の悪そうに片眉を上げる。
その姿に思う所があり、ヴェールをかけた給仕の人が食事を並べてくれた後に質問してみた。
「オシリスさんは私が選ばれた理由や……ロキが参加する事になった経緯とか。最初からご存知でしたか?」
「前者は知らなかったけれど、美しさのような表面的なもので選ばれた訳ではないだろうと予測はしていたよ。後者は知っている──というより私が推薦した一人だからね」
あまりにも予想外だった。
私が声をあげずに魚料理を口に運んでいても、驚いている様子は伝わっているらしい。
少し困ったように首を傾げられる。
「事情はその内、貴女なら察してしまうかもしれないね。それでも付け加えるのなら悪意をもって口添えたのではない、とだけ」
「はい、これ以上はお尋ねしません」
まあ、我が国の最高神が“人類救済計画”と呼ぶくらいだから、色々な兼ね合いがあることは理解できる。
(私なら察するかもしれない……か。友人だからね、それくらい出来ないとね)
あの癖の強い神に思いを馳せながら他愛の無い話を続けていると、向かい合って食事をしているオシリスさんが艶っぽく囁いた。
「ところで……。私が日々どうしていたのかと訊いてはくれないの? 逢えなくて寂しいと書いたのに」
「──以前の私は、あなたにそう言われたら舞い上がっていたでしょう。まあ恋心というよりは憧れに近い感情で慕っていたように思います」
合間にスープを飲みながら答える私を、オシリスさんは黙って見つめている。
分析されている、と感じた。
食事のスピード、咀嚼の仕方、口元の拭い方まで、かつてとまるで違うであろう私を。
誤魔化しても仕方ないと思い、今の私の性格そのままに心の内を伝える。
「あなたの『寂しい』という文字に、『何時でも待っている』という言葉に、胸が締め付けられるようでした。それが、本来の私に向けられたものではなくても」
彼と目を合わせながら淡々としゃべると微笑まれる。
「やはり、やり直す必要がありそうだ」
「? ──はい、もう演じずに素で在ろうとはしています。以前よりも可愛げがないとは思いますが、ご容赦ください」
「……そうではなくてね、私の方の話なんだ」
「そうなんですね?」
言わんとしている事が、いまいち分からないままだった。
その後は日々どうしていたかを、かいつまんで話したり。料理の感想を述べてみたり。
二時間も経っていないであろう頃に食事を終えると「外へ行かない?」と誘われる。
◆◆◆◆
死者の国に横たわる大きな河の上で私は船に揺られている。広々とした水面は星屑を映していて、うっとりする程だ。
テレビで見た事がある《クフ王の太陽の船》に似ているものの、動力は分からない。
そこにオシリスさんと二人きり──しかも、ほとんど密着して。
「こんなに近くに座るのは少し緊張します」
「すぐに照れる所は本当に変わらないね? 目元が赤くなってる」
彼は私よりずっと愛らしい顔をしているのに、色っぽい流し目をすると妙に似合っている。
そうだった、この神様は狡い人だった。
はぁ、と溜息をつきながら言い訳をする。
「人類はギャップというものに弱いんです。あなたのように少年の姿でありながら、そういう仕草と性格だと動揺してしまって」
「そういう? それは……どのような?」
オシリスさんは青く見える黒髪を耳にかけながら低い声で尋ねた。
……先生って、こんな風だっただろうか?
付かず離れずといった距離感を寂しく思っていたはずだったのに。
この反応は積極的というか……。
私を見つめる銀色の瞳が──なんだか、今夜は。
言葉を継げなくなっている私を見つめながら、彼はいつも通りゆったりと語り出した。
「……私がドゥアトを治めるようになって何千年が経っただろうか。ここは焦る必要が無いほどに絶対で、訪れる者をただ受け入れては審する。そういう日々だった」
「私たち人間の記録にも、あなたは冥界の裁判長だとありました。気の遠くなるお話です、ずっと続けているだなんて」
神々と会わなくなってしばらく経ってから、私は遅ればせながら神話を調べるようになっていた。今にして思えば隠し様もないほど寂しかったのだろう。
彼らを実際に知る身としては、どこまで本当なのか怪しむ内容ばかりだったけれど。
オシリスさんは少し自嘲気味に言う。
「だからかな。自分から踏み込んでいくことを永く忘れてしまっていた。日和さんと再会した時に『誤っていた』と言ったのは、そういうことでね」
あの頃、境界線をはっきりと引いているオシリスさんに切なさを覚えた。自分とはここまでだと言われたかのようだったから。
でも今は……今は、どうなんだろう。
私は嬉しいのか、怖いのか。
体温を感じられる距離に座っているせいか、鼓動が早くなっている気がする。
「ところでギャップがどうこうという話。あれは動揺するだけ? ……総合すると、やはりこの姿は不利なのだろうか?」
「──話が、飛びますね」
「そうでもないよ」
いつもと変わらない彼の表情と、いつもより反射しそうな鏡の瞳。
何だか振り回され始めている気がして悔しい。
この余裕を少しでも崩してやりたいと思うくらいには、本来の私は勝気だから。
「あなたのような大人が、私のような小娘を惑わせるのは卑怯です。もっと分かりやすく言ってください」
真っすぐにその瞳を見つめる。
私の鼻っ柱の強そうな態度に、ほんの少しだけオシリスさんは目を見開く。
「分かりやすく、か。……小娘だなんてとんでもない。私は随分と最初の頃から、日和さんを女性として見ていたよ?」
「子供扱いだったじゃないですか」
すぐさま切り返す反応に苦笑いをして、彼は私の耳元で甘く囁いた。
「──貴女の涙を美しいと思った。こう言っても伝わらない?」
途端、思わず硬直してしまう。
なのに追い打ちのように「パンを握りしめながらというのも健気で印象深かった」と、からかわれてしまい。
あれは本来の私じゃない。
そう言いたいけど、
「あの男を負かしてやりたい」なんて言ったあの瞬間だけは、今の自分だったはずだから。
認めてもらえたというのは……嬉しいと思ってしまう。
少しいたずらっぽく口の端を上げるオシリスさんは背筋を震わす掠れた声で、疼くほど甘く言葉を重ね続ける。
「もっと直截的に言った方が良いなら、そうするけれど」
「貴女がロキに遠慮しないと言っていたように、私も今後は遠慮しない」
「可愛い月読に譲るような真似もね、もうしない」
……少年の姿には似つかわしくない艶のある台詞の数々を言われ。
私は「生意気いってしまいました」と顔を赤くしながら、降参するしかなかった。




