第43話『楽しい一月(ひとつき)』
私は蒼野日和。
褒められる事に飽きるほど、生まれた時から優秀だった。
エリートである父譲りの頭脳と弁舌。
父に美貌だけで選ばれた母に似て、それなりの容姿。
常に周囲の羨望を浴びる日々を送っていた。
とはいえ育った家庭は酷いもの。
思い上がった父は最低だが、へり下った母にも耐え難い。
(泣いてばかりでなぜ言い返さないの!?)
同じ女という生き物が、母のせいで位の低い存在なのだと思わせられて……。
誇りはないのかと、ずっと疑問だった。
こうした不満を溜め込んで、私は中学生の頃から夜に公園へ出かける癖がつく。
一人になると無性に涙が出た。
自分は絶対に母のようにはなるまいと、月を見上げながら誓ったものだ。
いつも眩いほど私を照らしてくれる光にどれだけ慰められただろう。
(非道な父。愚鈍な母。ああ、私を守ってくれるのは、月だけなのかもしれない)
けれど母は心配して電話を掛けてくる。
月の光は優しいのに。
大丈夫だと何度言えば気が済むのかと鬱陶しかった。
大学生になったばかりの十九歳。
母がweb掲載していたモラハラ夫を題材とした作品が書籍化する。
それがベストセラーとなったため、ついに離婚に踏み切るらしい。
母にそんな才能があった事には少々驚いたけれど。
どの道、私が独立するまであと数年。
別れたいなら好きにすればいい。
両親の今後に興味など無かった。
なのに、私はあれを見てしまう。
リビングの隅に落ちていた分厚いA4ノート。
自分が時々買っている物と同じだったため、何だったかと手にしてみる。
ぱらぱら。ぱらぱら。
ぱらぱら。ぱらぱら。
ぱらぱら。ぱらぱら。
ひらがなの多い小さな文字が窮屈そうに詰まっている。
────それは、母の日記だった。
書かれていたのは、父が行った母へのあらゆる暴挙。
私には隠されていた犯罪とも言える内容。
後で察したが、離婚弁護士に渡すものだったらしい。
あまりの壮絶さに読むのを止めろと本能から警告が入ったのに。
……手が止まらない。なぜなら。
合間合間にあるのは、娘である私への限りない愛だった。
「ほんとうは注しゃがこわいのに、強がっている。そういうところが、たのもしい」
「日和が作文のコンテストでゆう勝。うれしいくせに、すました顔がかわいい」
酷い家庭を見せ続けた理由と謝罪。
「お金のないくらしを、日和にさせたくない。わたしはつらかったから」
「あの人は、日和にもつらくあたる。日和がこっそり夜に出かけるのをとめられない。何かあったら、わたしのせいだ。ごめんね、日和」
金銭が手に入った安堵。
「日和は弱いわたしをきらいみたいだけど、きっとお金のない母おやをすてられなかった。自分でかせぐことができて、本当によかった。やさしいあの子のじゃまをしたくない」
母は外見だけではなく心根まで清らかな人だった。
他者の痛みに無関心で高慢な私と違って。
私が自信を持って愛していた私は、救いようのない生き物だったらしい。
せめてこれからは母を気遣うべきだと思うのに、やり方がよく分からない。
理想とかけ離れた醜い自分に、日毎耐えられなくなる。
そしてある日、良い思い付きをする。
私は私の母になれば良い!
この綺麗な人のために、男に振り回されない自立した生き方をしよう。
それを母のもう一つの人生、彼女にあったかもしれない人生としてやり直して贈ってあげるのだ。
自分と真逆の部分でも少しずつ母を真似ていく。
小声でおっとりしたしゃべり方。
ヒラヒラと大人しそうな服装。
しとやかな笑い方、内股で歩幅の狭い歩き方。
外観はなかなか上手く出来るものの──。
好むもの、嫌うもの、やりたい事、欲する物。
内面はよく知らないから、空白にせざるを得なかった。
過去の友人は切り捨て、大学では出来るだけ静かに過ごす。
半年程度で両親は離婚した。
当然、優しい母は私の様子がおかしいことに気づいて言う。
「もう自由になっていいのよ。今までつらい思いをさせてしまってごめんなさい。お母さんは実家で暮らすから、ひとり暮らしをしてみたら?」
傍に居たい気はしたが、離れた方が母には良いだろうと察知する。
あの男に中身がよく似た私など、かつてを思い出させてしまうだけだろうから。
私は母の提案に頷くしかなかった。
まだ寒い春の初めに始まった寄る辺ない生活。
寂しいなどと思う事すら罪に思えた。
その内もっと母として振る舞えば、心の溝が埋まると気づく。
(わたしは弱気だから寂しいのね)
(手堅い独身の人生を送るために、勉強しやすい大学の近くへ引っ越したのね)
(今だけお母さんと離れて暮らしてるのね)
(お母さんのために実家に帰らないのね)
(いつかはお母さんとこうして二人で暮らすんだわ)
たったの一月ほどで、演技が演技ではなくなったらしい。
よくもそこまで思い込めるなと我ながら呆れて物も言えないが……。
いずれにせよ桜咲く春、こうして神々と出逢うこととなったのだ。
彼らが二十歳のわたしを好むのは理解できる。
素晴らしい人の似姿なのだから。
もう元には戻れない。
七人に合わせる顔など無い。
絶対に会いに来て欲しく無い。
そもそも私という紛い物が選ばれたのが間違いだ。
世界が滅びるというのなら、他の女性と仕切り直して結ばれて欲しい。
そう願った手紙を墨色の空間に置いておこう。
騙してしまって申し訳ないと思っている。
楽しい一月を、ありがとう。
※次回は同日2/7(土)8時10分に投稿します。




