第42話『土曜日/ロキ ③-1』
三人でグダグダして過ごした夜は、確かにだらしない感じを実践できたかも。
わたしにうっかり抱き着こうとしたアポロンさんをエンキさんが締め上げて、日付が変わる直前に二人とも帰った。
アポロンさんは光の粒になって消えていった。
お酒の力というのはすごい。
ロキとどういう顔をして会えばいいのかな、なんて悩んでいたはずなのに。
難しいことを考える気が起きなくて倒れるように眠ってしまう。
翌朝、七時。
目覚めたらロキ……なんてこともなく。
見渡すとあれこれ散らかった部屋は──なんだか悪くない、と思う。
なぜかむしろ、ほっとする。
完全に二日酔いの身体を引きずって、先週と同じトラブルに見舞われないよう浴室にタオルを持ち込んだ。だけどさっぱりして部屋に戻っても彼はいない。
(あっちも気まずいとか思ってるのかな)
どうして結婚で世界を救うなんて考えたのか、聞いてみようと思ってたのに。
そんなことを考えながら昨日の空き缶を捨てようと外に出れば──。扉の外に、いた。
しゃがみこんでわたしを見上げ、風にふわりと薄茶の髪が揺れている。
うっかり動揺してしまってビクビクした声で挨拶をした。
「お、おはよう。そんな所にいるの、珍しいね」
「……おはよ~。前回、うっかり間違えたからさあ。今日の持ち時間が半分になったのと、今後は扉からきちんと入れって。責任者に言われちゃったの~」
先週の事件って本当にわざとじゃなかったんだ?
あんまり信じてなかったので驚きながらも、部屋の中に入ってもらう。
「責任者ってそういえばスーツの話の時にも聞いたけど、どなたなの?」
「ここは日本だからねえ。天照だよ、月読のおねーさん」
「なんかすごい名前出てきたね……」
さすがに自国の最高神のことを知らないとは言えない。
驚いていると「いまさらでしょ~」といつもの口調で返され、付け加えられた。
「あの女……あの人、怒ると怖いしねえ。『日の本の女は、すべて私の大切な娘です』って言うから、ひよりんのことをあんま軽んじるとシバかれる」
なんだかウンザリした声で言うあたり、この間のことは結構叱られたのかもしれない。
「ふふ。そんなに心強い味方がいらっしゃったなんて。……ねえ、世界を救うにしても、なんでこんなに変な方法なの? ロキが考えたんなら教えてよ」
「ぼくはアイディア出しただけだけど、まあいいよ。でもその前にさー……部屋の中、すんごい酒臭い。何これ、どんだけ飲んだの? アポロンとだよねえ?」
鼻をつまみながら指摘されて、しまった! と思う。外から中に入ると確かにひどいと気づいて、あわてて換気した。
いくらロキが相手でもこれはまずかったよね……。
「……ねー、ひよりん。男と密室で飲むって意味、わかってんのお~?」
「三人だから問題ありませーん」
すると「え……複数で?余計ヤラシー」と言われて、思わず彼の背中を叩く。
匂いのせいか、なんだかちょっと胃がムカついてきた。
わたしが「ごめん、話の前に二日酔いに効きそうなもの買ってくるね」と言えば、ついて来られることになった。
ロキ独特の間延びした口調で始まる、ゆるい会話。心地よい距離感。わたしの狭い歩幅に合わせて歩いてくれる一見優しい人。
でも、さすがにもう油断はしないっ。
◆◆◆◆
コンビニで出汁の効いたものを買って外に出た。なんだか曇り空なので、今日はお洗濯やめようかな、そう思っていると。
知らない二人の女性に声をかけられる。
「もしかして日和ちゃんじゃない? 同中だったんだけど……あれ、覚えてない?」
「ほんとだ日和ちゃんだ~! ってか隣の人カレシー!? ビジュやば。美の暴力じゃん」
あまりにも親し気な呼びかけに戸惑ってしまう。
「え、えっと……?」
わたしのこと、知ってる?
わたしは……。
ううん、わたしも……知ってる。
結構仲の良かった子たちだ。
名前も……憶えてる。
二人が不思議そうな顔でわたしを見て、言う。
「あれ、具合悪い? いつもの強キャラ、どしたー?」
「っていうかさ、イメージ変わった……? もっとこう、鋭い感じの」
ロキが怪訝そうな様子で尋ねた。
「……鋭い? ひよりんが?」
「そうそう、クラスの中心でー。いつでもクールで~、口が達者で~」
気分が悪い。頭が割れそう。
「あの、わ、わたし、わたし、私……」
またあのページをめくる音が聴こえる。
ぱらぱら、ぱらぱら。
ぱらぱら、ぱらぱら。
ぱらぱら、ぱらぱら。
(ああ、この音は日記……? 見るつもりが無かった、あの女の……)
吐きそう──!
そう思っているとロキが妙に色っぽい声で言った。
「……ごめんねえ~。昨夜ちょっと盛り上がって、無理させちゃってさ。休ませてあげてもイイかなあ?」
「え、それって」
「は、ハイ! ごめんなさい!」
わたしたちの顔を交互に見て、二人は照れ笑いしながら去っていった。
身体が震える。
ロキに腕を引かれて角を曲がる。
もう歩けない。
彼が指を鳴らしたと思えば──自分の部屋。
わたしはトイレに駆け込んで、しばらく出られなかった。
◆◆◆◆
鏡を見ると唇が紙のように真っ白で病人みたい。リビングに戻れば、ちょうどお母さんから電話が入った。
「……も、もしもし」
「あっ……日和、どうしたの。具合がわるいのね? お母さん、そっち行ってもいい?」
「ううん、大丈夫」
「でもずっと会ってないし心配だわ。看病させてくれない?」
「そういうのいいから。ゴールデンウィークは帰れない」
スマホを持つのも限界で、お母さんがまだ何か言ってた途中だけど通話を切った。
これ以上、話をしていられなかった。
閉じ込めていたものが溢れてしまう。
──? それって、なんのこと?
わたしは何を仕舞ってた?
どうして今、お母さんに苛立ったの?
「ひよりん、どうした? 二日酔いとかじゃないよね」
「わ、悪いけど、今日はもう帰って」
「………いや、帰らないね。なんだかもう少しな気がする」
本当にやめてほしい。
彼の悪い癖に付き合える余裕がない。
なのにロキはしゃがみこんでわたしを見つめる。お願いを聞いてくれない。
この人はいつもそう。
仕方がないので『大嫌い』と言おうとしたけど──また吐き気がして、トイレに飛び込む。
「なあ、なんで連休に実家へ帰らない? オシリスから聞いてるぜ、母親のこと大事なんだろ?」
「…………ウッ、や、やめて」
「ん……? ──大事なんだろ、言ってみろよ。優しそーだったじゃん。さっき何で冷たくした?」
目の前の男が貼り付けていた愛想という皮が剝がれている。
そう気づいてからは。
同じだ、わたしと同じだ、そう気づいてからは。
私の蓋が開いてしまう。
仕舞っていた中身が零れてしまう。
ああ、忘れるくらいに、上手に出来ていたのに。
この男が……憎らしい。
わたしの理想を壊した、この男が。
せめて睨みつける。
「───! ハ、ハハ。その激しい目……! もしかして、今のがお前の中身か……!?」
「黙りなさいよ」
「会うたびに変わる印象……。なるほどね。いいじゃん……! イイよ、やっと剥き出しにしたな! 己はそういう方が、ずっと好きだぜ!?」
色違いの瞳は爛々と輝いている。
これ以上、私を見ないで。
「は、ハァッ……。ハァ……。ろ、ロキ、『大嫌い』。二度と、顔も見たくない」
途端、静まり返った部屋。
一人暮らしの部屋。
一人になるしかなかった、わたしの暮らし。
わたしは……? わたしは……。
わたし、私は。そう、私は。
もちろん、私は。
私は蒼野日和。
かつて好きだったものは自分。
嫌いだったものは母親。
ずっとあの女を、心の底から見下してた。




