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第37話『水曜日/エンキ ③-2』

 食べ終わった後、エンキさんは「今日は疲れてないし、いいじゃない」と言って洗い物をしてくれた。

その間わたしはソファに座って、読み進められてなかった例の本に目を通す。


「『正しさ中毒から降りろ』……『恋愛は頭が悪い方が強い』……ふむふむ」


「あー、日和(ひより)ちゃん。そんなおバカな本読まないの!」


「ええ……。それ、あの二人に勧めといて言うんです……?」


書いてあることは分かりやすいし、なんだか当たっているように思える。

『“ちゃんとしなきゃ”は依存症』なんてあたりはグサリと来るものがあるし。

手を拭きながら隣に腰かけた彼は、実に真面目そうな顔で忠告してきた。


「いいかい、日和ちゃん。自己啓発本のすべてが悪いなんて言わないけど。こういうキャッチーな概念(がいねん)のラベル貼りで、読者を思考停止に(みちび)くようなものは、僕から言わせると良い本じゃないと思う」


「分かるような、分からないような」


まあそれはさておき。

明後日にすることの候補はすでに決めていた。


「エンキさん、やっぱり手っ取り早く気をゆるめられるのってお酒ですよね?」


「うん? まあ、そうかもね」


「じゃあやっぱり金曜日はお酒かな~。あんまり強くないけど、いい機会だし」


「……え、二人で呑むの?」


なんだか彼の声が低くなったけど、気にせず話す。


「お店だと高くなりすぎるし、おうちに色々準備しておこうっと」


「絶対だめでしょ!? 計算してないのにコレ!? それとも恋リアまだ見てるの!?」


本日二度目の絶叫だった。

神様にしかあり得ない美しい銀髪が左右に振られる。やっぱりお仕事セーブすると、元気になるんだなあ。

ちなみにリアリティーショーは、もう観てないです。


◆◆◆◆


 わたしはすでにソファにいるのに、なぜか「そこにお座りなさい」と指示された。

エンキさんの何かのスイッチを押してしまったらしい。


「いいかい、日和(ひより)ちゃん。この世の恋の歌っていうのはね、九割が酒を()む場所で生まれるようなものなんだ」


「そんな極端な……何調べですか? アポロンさん──《芸術の神様》に聞いたんですか?」


わたしの突っ込みは完全にスルーされて、真剣な表情で続けられる。


「お酒で(ゆる)むと、それだけ男女というのは間違いが起きるものなんだ。だからダメ、百歩(ゆず)っても衆人環視(しゅうじんかんし)の元で呑むように」


有無を言わさぬ口調で、


「お金なら僕が出すし、足りなければ幾らでもアポロンに出してもらいなさい。アイツは笑顔を振りまくだけで、空き缶におひねり入るでしょ」


と付け加えられる。

本当に神様には厳しいらしい。それにしても。


「なんだか、わたしのお兄さんみたいですね」


きょうだいがいないので、つい嬉しそうな声が出てしまう。

すると彼は「グッ」というおかしな声を出して胸を押さえて、わたしから目を逸らしながら、こんなことを言う。


「……それも響く男には響きすぎるから、気を付けるように」


うーん、なんだか指導が厳しい。

さすが《知識の神様》っていうところなのかな。

(けわ)しい顔をしている彼のために、お茶を淹れることにした。


キッチンから戻り、もうそろそろ話題を変えようと思って、今日絶対に聞こうと思っていた大切な確認をする。

最初からこのことを尋ねると、また最初の時みたいに気持ちが荒れてしまうかもしれないと思って──あえて後回しにしていた。


「あの、いきなり別の話なんですけど。《人類の未来》を映してる鏡って、具体的にいつ割れそうなのか、いつまでに結婚するかどうかを決めないといけないか、分かりませんか?」


「…………そう、だね。気になって当然だよね。この三、四年は大丈夫。でもそれ以降は確約できないって、未来を(つかさど)る神々には言われたかな」


「そうなんですね……」


少なくとも大学を卒業するまでは問題ないと聞いて、ほんの少し安心する。

卒業と就職を目指しながら、結婚のプレッシャーに耐えるのは無理かもしれないと思っていたから。


エンキさんは悲しそうな声をしながら、わたしの傍に来て言った。


「日和ちゃん、どうしても無理だったら言ってね。誰にも君を責める資格なんて、ないんだから」


「もしもわたしが降りたら、他の女性が選ばれるんですか? ロキが言ってました、他にも候補がいたって」


「もー……、ほんといつもアイツは余計なこと言うよなあ。仕方ないんだから」


否定されなかった。

それがこんなにも胸を突くなんて。

自分で嫌がっておきながら……まさか、わたしは。手が震えてるのは……なんで。


「────……嫉妬しちゃう?」


「そんな、ことは」


許されるわけもない。

そう言おうとしたのに、どうしても次のセリフを()ぎ足せない。自分の中に無かったはずの感情に戸惑って──。

たぶん青くなった顔で口ごもっていると、彼の声が一段と静かになって告げられる。


「他のヤツらは知らないけど。僕は日和ちゃん以外とは、こういうコトしないよ」


エンキさんは透き通るような水色の瞳で、わたしを真っすぐに見つめて言う。

そして壊れ物を触るような手つきで私の左手を取って、


「これも約束だね」


今度は手首の内側にゆっくり口づけた。

そこから熱が広がっていく。

もうわたしは、今までの自分に戻れない。

そんな予感と共に……じわじわと。

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