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第36話『水曜日/エンキ ③-1』

 水曜日の朝、目覚めたら本当に自分のベッドにいた。シヴァさんには神社から随分と迷惑をかけてしまったな、と反省する。


神様たちに依存するのは、今でも当然怖いけど。今はそれよりも──あの奇妙な感覚がまた訪れることの方が、よほど恐ろしいことのように思えた。


ページのめくられる音。

わたしを抱きしめる誰か。

あの歌。


洗面所に行くと、どういうわけか目がパンパンに腫れていて、あまりの不細工さにギョッとする。

朝は来ないエンキさんの日で良かった……。

夜までには落ち着いてるはずだよね。

酷い顔のまま大学に行けば、予想通りマリちゃんに「一体どうした」と心配される。


「ごめんね、本当に何でもないの。むしろわたしも理由を知りたいくらいで」


「誰かに泣かされた、とかじゃない? この春から特に、ひより……何だかおかしいよ」


本当に違うのと(なだ)めて、この日の講義は少し手抜きの気持ちで受けることにする。

これはいわゆるユルい子というか、悪いことを出来てるかもしれない。


夜七時。温めるだけで済むように、野菜を中心としたポトフを用意する。

料理上手というほどでもないけど、こういう単純作業は頭を軽くしてくれるようで、気づいた頃には顔も心もいつも通りに戻っていた。


ちょうど色々整ったかな、という時間にインターフォンが鳴ったので、エプロンもそのままにして扉を開ける。


「エンキさん、こんばんはっ! 丁度ごはん出来てますよ」


「───日和(ひより)ちゃん。その新妻(にいづま)のような出迎え方はパワーがありすぎる。シヴァもびっくりだよ」


真顔で斬新な挨拶をするエンキさんは、

「ほんと《破壊神》以上…末恐ろしい…」とつぶやきながら、わたしに案内されて部屋にあがってきた。


「あれ、今日はいつもより元気そうですか?」


目元をじっと見るとクマが明らかに薄い。

そのせいで綺麗な顔から生まれる神聖な雰囲気が、まるで抑えられなくなっている。


「……うん、約束したからね。つい何事も没頭しすぎちゃうところがあるから、程々(ほどほど)で切り上げてきた」


ふわっと目を細めて微笑まれた。

自分の言葉を大切にしてもらえたと実感できて、くすぐったいけど嬉しい。

そのせいでつい、はしゃいでしまって。


「今日もお疲れ様でした。マッサージ……肩でもお揉みしましょうか?」


ニコニコしながら手を近づけて提案してみたら……。


「お次はボディタッチ!? 絶対だめでしょ! 恐ろしいわホントに!!!」


いつもより(くだ)けた口調で絶叫された。

神聖な見た目は、けっこう台無しになった。


◆◆◆◆


 料理を並べるのを手伝ってもらい、エンキさんと一緒に食べ始める。


「シヴァからさ、日和ちゃんが体調悪いって聞いて心配してたんだけど……。元気そう、だよね? よかった、安心した……」


「ああ~……。ごめんなさい、最近はじまった変な頭痛がしちゃって。いわゆる気象病かもしれません。気にしないでください」


わたしがそう説明すると、なんだか怪訝そうな顔をされた。


「気象……? 昨日だよね、そうかなあ……。今度アポロンに()てもらう?」


「いやいや、神様にお出まし頂くような症状じゃないですよ。──そういえば、お聞きしたいことがありました」


明るい声を出して話題を変えれば、「なに?」と優しく微笑む彼。

わたしはごそごそと月曜日に買ったものをバッグから取り出す。


「こちらのベストセラーです!『堕落論(だらくろん)──上手に馬鹿になる方法』(日本語版)』


「………そ、それは!!! もう笑いの予感しかしない!」


なんか随分なことを言われたけど、ずいずいと問い詰める。


「オシリスさんにこの本を読むよう頼んだのって、エンキさんだったりしませんか?」


「んん、そうだったかな~……?」


エンキさんの視線は斜め上に行っている。

これはやっぱり怪しい!

わたしは遠慮せず、もっと詰め寄ってみた。


「最初はアポロンさんかなって思ったんですけど、本から入るタイプじゃない気がして。彼、『完璧を崩すにはどうしたらいい?』って、エンキさんに相談したのかなって。なんせ《知識の神様》ですもんね~?」


我ながら名推理だと思って「白状してくださいよ」と迫れば「降参、降参」と認めてもらえた。


「日和ちゃんの考えた通りで大体合ってるよ。アポロンがそんな風に頼ってくるなんて、珍しいやら面白……不憫(ふびん)だわって感じでね」


いま面白いって言ったような。

エンキさんは知れば知るほど、ジョークの通じるタイプだと分かる。


「僕は人類のことはどこまでも面倒みてあげたいけど、神については『自分でどうにかしなよ』って主義でさ。でもまあ、今回くらいは手を貸してあげようかなって」


「それがどうして、こんな本をオシリスさんにまで……?」


上品なあの人の手にあるだけで、冗談っぽさがある。オシリスさんはどんな気分で読んでたんだろう。

するとエンキさんは、悪びれもせずに言った。


「アポロンがこの本読んで大真面目に実践したら、五百年はネタに出来るなって思って。ついでに涼しい顔したオシリスも巻き込んで議論したら、それもそれで楽しいかな~って……」


くすくす笑う彼は、一番年上というだけあって──なかなかの曲者(くせもの)だった。


「もう! だめですよ、からかっちゃ。アポロンさんは本当に気にしてるんですから」


「だってさ。あいつってば、『日和ちゃんに恋してます』ってバレバレな態度だからさ」


そう言いながら首を傾げて、

「邪魔したくなるのは、男心じゃない?」

と微笑むから。

思わず目を逸らしてしまうくらいには、照れてしまった。

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