第31話『日曜日/オシリス ➁-2』
わたしは他の神様方に失礼のない範囲で、ほんの少しだけ今週の出来事を話した。
どうしても「神」というフレーズを出すことがあるので、他の人に聞かれたらマズいかなと思って、ひそひそと声を落とす。
オシリスさんは興味深そうに耳を傾け、受け答えをしてくれる。
「………日和さんは、いわゆる内省の時を過ごしていたんだね」
「そう、かもしれません。自分を振り返って……。したいことどころか、何を好きだったのか、あるいは嫌いだったのか、当たり前のことすら思い浮かばないことに驚きました」
少し自虐的に「駄目ですね、二十歳になっても考えなしで」と笑ってみせると、
「今まで自分を抑えていた結果だとしたら、これからきっと浮かび上がる。焦ることはないんじゃないかな」
コーヒーを口にした後、オシリスさんは続ける。
「それに、私は貴女を考え無しだとは思っていない。内側に溜めこむ性質なだけ……個人的な見解だけれどね」
まるで慰めるように、許してくれるように言われてホッとする。
オシリスさんには、ロキについて「ゲームして遊んだ」としか言えなかったけど。
彼と話しているうちに、昨日の出来事が本当に大したことじゃないように思えてきた。
そうだよね、冷静に考えればあそこまで動揺するほど、酷いことを言われたわけじゃないよね。
(次に会った時は謝ろうかな──あっちの態度次第、だけど……)
◆◆◆◆
ふと、オシリスさんのテーブル脇に置かれた本に目がいった。表紙に書かれているのは日本語ではなく、かなり新しい印象の装丁で意外。
不躾かもしれないなと思ったけど、好奇心に勝てずに聞いてみる。
「何を読まれていたんですか?」
「ん? ああ、これは……。うーん、言って良いのかな……。しまった、貴女の前に置いておくべきではなかったね」
彼は少し困ったように指を組んだ。
勝手に完全な人のイメージを持ってしまっていたので、先生でもミスするんだ! と嬉しくなって、つい重ねて尋ねてしまう。
「もしかして、せんせ……オシリスさんも恋愛ものを読むんですか? どんなのがお好きですか!?」
「え」
彼の言い淀み方が、水曜日の自分と少し似ていたものだから繋げていて。
そんなわけないかとすぐに気付いたけど、すでに言ってしまった後。
少し驚いたような顔をしている彼と目が合って、顔が赤くなるのが止められない。
「──ふふ……ふふふ……あはははっ。永い時を過ごしていても、その手のものは読んだことが、無いかもしれないね……」
目元をぬぐう優雅な仕草で笑われてしまって、恥ずかしい勘違いをしてしまったと消え入りたくなる。
先生「も」って、自分は見てると告白したようなものだし……。
完全にそこまで見抜かれているらしい。
「ああ、すまない。笑い過ぎてしまった。
……ふふ。皆、自分の曜日になる直前は浮足立っていて。日和さんと会うのがよほど楽しみらしい、と傍目に思っていたけれど」
目の前の彼が首を傾げながら告げる、
「今はよく分かるよ」という一言に。
わたしは、どうしようもなく嬉しくなってしまった……らしい。
そろそろ出ようか、と彼に言われたので席を立つ。
お支払いは既に済ませてくれていたようでお礼を言えば、ふわりと「どういたしまして」と微笑まれた。
時間はまだ夜の九時半くらい。
(もう少し一緒にいたいけど。そう言ったら許してくれる気もするけど……。今日もお仕事だったオシリスさんを、疲れさせたらダメだよね)
マンションのエントランスまで送ってくれても、自動ドアの中には決して入らない。
さすがだけど、きっちりと引かれた線が──いまは寂しい。
「…………………」
まるで遊んだ後に帰りたがらない子供のように、スカートを握りしめて立ち尽くしていると。彼は困ったような様子は一切見せずに、優しい声で言ってくれた。
「──まだ少し時間があるね。この辺りを歩いてもいいかな?」
気を遣われていると分かっているのに、つい遠慮を忘れて「はいっ」と元気よく返事をしてしまう。
それからわたしたちは、自宅から十分程度の距離にある小さな噴水のある場所へ移動した。
街灯に照らされた水しぶきは、どこか儚さを感じさせる美しさ。
そばに植えられた大きなシマトネリコが風にゆられて葉を鳴らし、噴水の音と二重奏のよう。
そこに並んで腰かけたら、小柄な彼と目線がまったく同じ高さだった。
嬉しいのか、恥ずかしいのか、気持ちが落ち着かない。
こちらのしゃべっている内容はあまりにも取り留めないのに──。
オシリスさんは青みがかった黒髪を時々耳にかけながら、変わらない様子で聴いてくれる。
わたしは彼にあまり質問できなかった。
どういうわけか、立ち入ってはいけない気がして。
「貴女には早い」と子供扱いされるのが、怖いのかもしれない。
自分でもうまく表現できない焦りを感じて、それを振り切るようにわたしは問い詰める。
「と、ところでさっきの本! 結局なんだったんですか!?」
彼が上手に話を逸らしていたのに良くないと分かっていながら、蒸し返してしまった。
あまりにも脈絡のない質問だったので、目の前には驚いたような、困ったような顔。
(うう……ごめんなさい……)
なのに、取り下げるという気がなぜか起きなくて。そんな様子のわたしに負けてくれたのか、苦笑いをしながら返事をしてくれる。
「誰、とは言えないけれど。ある人──正しくは複数形か。この内容を議論したいから、読んでおいてくれと頼まれていて」
「学術書、とかですか?」
「うーん……。そうだね、これは日本語にすると」
よほど難しい言葉なのか、少し間を空けて言われたのは。
「『堕落論──上手に馬鹿になる方法』かな」
(!? あ、ああ……こんな言葉が彼の口から出るなんて……)
もしかしなくても、それはわたしの思い付きのせいですね?
誤魔化されていた理由が、痛いほどに分かってしまった。
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