第21話『火曜日/シヴァ ➁-2』
わたしは真っ赤であろう顔でぷりぷり怒りながら、「ほらもう大学に行きますから、帰って帰って」とシヴァさんの大きな背中を押す。
さらに、
「来週からは朝の八時にお越し下さいね」
と告げておいた。
「メシは交代で用意するか」と言ってもらえて、またあの美味しいご飯が食べられると喜ぶわたしは、からかわれたばかりなのに単純かもしれない。
(さて、今日の神様案件は終わった──。夕方はついに初バイト……!)
大学の後はそのまま紹介された先方宅へ向かうので、荷物をしっかりと確認した。
生徒さんはどんな子なんだろう、わたしを気に入ってくれるといいんだけどな……と少し不安になりながらキャンパスへ着けば、遠目にもまぶしい存在が……。
(アポロンさんだ。今日も輝きすぎてて目に沁みる~…)
それにしても女子たちすごい、遠巻きに見る人ばかりかと思ってたら全然ちがった。
なんだろ、たとえるなら花に群がるキレイな蝶々? 十人くらいいるよね。
気遅ればかりしてるわたしと違って彼女たちは堂々としてて。
その自信に見合った磨き上げられたスタイルは、同じ女として賞賛するしかない。
しばらく恒例になるかもしれない大名行列を横目に「ああ遅刻しちゃう」と思いつつ目的の講義室へ向かう。
───ほんの少し、アポロンさんの視線を感じた気がしたけど。
あえて確認するほど時間に余裕はなかった。
◆◆◆◆
夕方四時。わたしの目の前にそびえるのは、想定よりも立派な一戸建て。
華美というほどではないもののカーテンを閉めてない全面ガラス張りの部屋があって、明るいので中がよく見える。
開放的な家庭なのかな……海外ドラマではよく見かけるけど日本だと珍しい。
緊張しながらインターフォンで、
「エデュケーション学院の蒼野と申します」
と伝えると、かわいらしい声で「今いきます」と返事があった。生徒さんご本人みたい。
「先生こんにち、は……」
「こんにちは、初めまして──じゃないよねえ!?」
先週お会いしたカイくんだった。
さすがにこんな偶然あるわけない。
少年の後ろからニヤニヤした顔で出てきたのは、当然だけどシヴァさんで。
「蒼野先生いらっしゃい~? 中へどうぞ、ご遠慮なさらず」
作戦成功といわんばかりの上機嫌だ、やられた。
……思う所はあるけどお子さんの前で文句は言っちゃだめ、後でにしよう。
面接、カリキュラムの説明の後に体験授業を行うと、カイくん自身が本当に勉強をしたがっていたのがよく伝わってきて安心する。
色々な国で暮らしていたけど、日本に越して来たのは初めてだから歴史を知りたいと。
(……百歳超えてるし、半分神様だし。当たり前かもしれないけど吸収が早い)
人見知りをしながらも、くりくりした目で、
「ひより先生、これはなんでなの?」
となかなか鋭い質問を次々してくるので、じっくり準備しておいて良かったと胸をなでおろした。
あっという間に規定の一時間が経ち、シヴァさんが学習部屋に入ってくる。
「終わる頃だぜ~? カイどうよ、楽しかったか?」
「うん。ひより先生の教え方ていねい。……国語も今度おしえてほしい」
うわー、かわいい………!
チラッと上目遣いしてくる金色の瞳は、シヴァさんと同じ色なのに無垢そのものだ。
初めての生徒さんがこんなに良い子で、嬉しくなってニコニコ伝える。
「じゃあ結果は派遣会社の方にご連絡ください」
「オイオイ……断るって流れはないだろ。この場で採用って伝えちゃダメなのか?」
なんだかシヴァさんに呆れられた。
そうだった、このお方には一度話をしないと。
「───お父さん、少し二人だけでお話を出来ませんか?」
キリッとした目と口調で伝えれば、
「ん? わかった」と別室に通される。
◆◆◆◆
どうやらここは外から見えていたガラス張りの部屋らしい。
片付いてはいるけど他人の目を意識して整然とさせたという風ではなく、どこかくつろげそうな親切さが感じられる。
夜なのに明るくて「後ろ暗いことなんてありません」と言わんばかりの空間。
だけどわたしは疚しさを感じて、目の前の家主に文句を言っている。
「シヴァさん! 困りますよ、こんな出来レースみたいなの!」
「ぷっ……コンテスト制じゃねーだろ?」
「そうですけど。わたしは教師になるためにも、きちんとした評価を受けながら実力を磨きたいんです」
これは本心だった。
カイくんがどうこうではなくて、楽をしているような罪悪感がある。
「カイはさ、イマイチだって思ってたら、あんな風に絶対いわねーよ?」
「で、でも……」
「申し込んだ時も、ヒヨを紹介してくれた担当が『蒼野さんはとても意欲がありますし、大学の成績も優秀です』って太鼓判押してたぜ?」
「でも!!!」
わたしが本気で抗議しているのが伝わったらしく。
シヴァさんは真剣な表情になって、不思議な言葉を紡いだ。
「अति सर्वत्र वर्जयेत् (アティ・サルヴァトラ・ヴァルジャイェート)」
「えっ?」
「日本語にすると──『過ぎたるは、すべてにおいて避けよ』……って感じか」
わたしが眉をひそめたのを見て優しい顔をする。どういうことなの?
「ヒヨが真面目なのは分かってるよ、お前のイイトコだな。ただ、どんな良いモノでも行き過ぎたらダメだと思わねー?」
「行き過ぎ、ですか」
「さっきのは古代インドから伝わる諺だけどよ、日本にも近いのあるんじゃねーの?」
「……水清ければ、魚棲まず」
ぽつりと零すと「それいいな。上手い」と微笑まれた。そして言葉を重ねられる。
「朝、心境の変化があったって言ってただろ。つまりは過去の自分を一度、《破壊》して、《再生》しようとしてる。そういうヒヨになら受け取ってもらえる言葉かなって思って」
「わ、わたし。そんなに魚が棲まなさそうですか」
狭量な人間なんていやすぎる。
まるでわたしの父親みたいで。
唇をぎゅっと噛んでいると、そっとフォローされた。
「そこまでは言ってねーよ。たださ、自分を追い込みすぎんな。汚いトコだって魅力になるモンだからよ?」
そう諭してくれるシヴァさんの瞳は遥か遠い所まで見えているようで。
ついポカンとした表情で言ってしまう。
「…………神様みたいですね」
「だからオレ、神だぜ!?」
誰よりも男らしい顔が「心外」と大げさに驚いてるのがおかしくて。
ふっとわたしの肩の力が抜ける。
すぐにすべてを理解できた気はしないけど、この人みたいな大きな魚が泳げない器にはなりたくない、かな。




