第10話『木曜日/伏羲 ①-1』
水曜日の夜。エンキさんの穴あきニットをつくろうのは、
「自分でやるから大丈夫。女の子だからって、しなきゃいけないこと……ないよ?」
と、にこやかに断られ。
「来週は日和ちゃんに、もっと楽しい思いをさせたいな」
優しい言葉と共に手を差し出された。
握手を求められたことなんて、今までの人生であったっけ?
少し戸惑いながらも右手を出せば、彼の繊細な指を感じた。
わたしと信頼関係を築こうとしてくれてる──そういう誠意が伝わってくる。
握手って良いものかも、なんて思っていると。
「僕から伏羲によく言っておくね」
という謎の言葉と共に、彼はぽたりと雫のようになって消えた。
「なにをでしょうか……?」
戸惑うわたしの台詞は独り言にされてしまったので……今夜はもう、課題をやったらぐっすり寝よう。
◆◆◆◆
翌朝、木曜日。
(今日は伏羲さん、かあ。一番浮世離れしている人だったよね)
そもそも彼も人間じゃないだろうし、おかしな表現してるって分かってるけど。
話し方が独特というか、いかにも神様っぽいというか。
権威のようなものを感じさせるから、正直ちょっと苦手寄りな男性。
今日はいつ来るんだろうとビクビクしながらキャンパスで次の講義の待ち時間をつぶしていると、家庭教師の派遣会社から連絡が入った。
【来週の火曜日と土曜日より、夕方四時からお願いします。どちらも小学三年生です】
思ったより、かなり低学年の子たちだったので少し驚く。
中学受験の対策ってことだろうけど、難関を目指してるんだろうな。
まだ見ぬ初の教え子たちに、ふつふつと闘志がわいてきた。
勉強が楽しいものになるように、しっかり準備しないと……!
そして本日すべての講義を終えた、お昼の三時過ぎ。
「ああ、漸く終わったか」
「………………」
キャンパスの外に厳めしい黒塗りの車が止まってると思ったら伏羲さんがそこにいた。
中国風の立襟をした丈の長い服は深い臙脂色で高級感にあふれ──。
彼の完成された容姿は近寄り難いほどなのに、くせの強い黒髪がほんのわずかに現実味を残してる。
当然道行く人はみんな見てるし、女子は「誰あの人!?」ときゃあきゃあ言ってるし。
素知らぬフリで通り過ぎる強さが、わたしにあれば──!
「你好、日和。先日も名乗ったが我は伏羲。中国神話の《文化の神》だ」
「こ、こんにちは、伏羲さん。……あの、まさか乗れというのですか。この、ロールスロイス? に……」
「………強制はするまい。だが疲れているだろう? 家迄送らせてはくれぬか?」
すごく嫌だ、注目されたくないと思いながらも。彼の顔つきは完全に気遣ってくれてるから困惑してしまう。
どうして目立たないでおこうっていう配慮に向いてくれなかったのか。
立ち尽くすほど人に見られそうだし、長居したくないという意思を込めて、そそくさと乗り込んだ。
ドアを開いてもらって導かれるままに後ろの席に乗れば、伏羲さんが隣に入ってくる。
そういえば運転席に誰か座っているなと覗けば、本能で人じゃないって分かった。
これ人形……? 神様の力ってことかな。普通に車、動いてるし。
そんなことを不思議に感じていたのは瞬きくらいの時間で。
それよりも、真っ赤な瞳で凝視してくる人の強烈な存在感に圧倒されて、居心地が悪い。
「……………………あ、あの」
「……四…否、三時間。我に与えてはくれぬか?」
「えっ?」
このまま普通に帰してもらえない可能性は頭に浮かんでたけど、事前に区切られるとは思わなかったので驚く。
「厭でなければ其方を癒してやりたいのだ。
……身も心も」
「………み、み!? い、いえそれは、」
「エステを予約してある。二時間程で済むとの事だ、車の中で待っているから行くと良い」
エステ……!?
人生で一度も経験したことがない天上人の気分になれるという、お金持ちの象徴……!
まってわたし、そんな施しは断らないと。
だけどこの機会を逃したら……と浅ましいことを考えていると、
「困らせたか? 日和の好まぬ物だったか」
真摯な表情で心配をされたので、仕方ないので……仕方ないので。
今回だけはお言葉に甘えることにした。
お返しは、しますから。
◆◆◆◆
車寄せにつけてもらったのは、こんな服装ではマズいのではと焦るほどのラグジュアリーなホテル。たぶん一般人は泊まらないところ。
全体になんとも上品な、よく分からない香りが漂っていて。
挙動不審になっているわたしを恭しく案内してくれる人に導かれ……いま、まさに。
(ああ~! 何これ……! 気持ち良すぎて───はっ、寝たらもったいない)
男の人に贅沢をさせてもらうのは、後で恐ろしいことになるって思ってたのに。
今回だけ、今回だけですから……!
必ず出来る範囲のお返しをしますから──!
(そうだっ! 社会人になったら初任給で、お母さんにエステ券をプレゼントしよう)
終わった後、施術してくれた女性にお礼を言えば、
「ご予約にいらした中国のお方、夢のように魅力的ですね。お客様ととってもお似合いです──またお越しください」
嫉妬とかではない、褒めずにはいられなかったという雰囲気で告げられる。
なんという営業トーク、どう見てもわたしじゃ釣り合ってないですし。
それにしても神様でも普通に予約するんですね。きっとwebでもできますよ。
……ううん、その前に。
わたしのために、わざわざそんなことをしてくれたなんて。
嬉しいけどそこまでしてもらう理由がないので、どう喜べばいいのか分からない。
伏羲:中国神話《文化の神》
179cm/外見年齢28歳
癖毛ショートの黒髪、赤い瞳




