【5】『 奇跡 』 ー 止まっていた時間シリーズ・最終話 ー
今日は、遺品の整理ををするため、父の自宅に来ている。
昔暮らしていた部屋より、広いのかな。
父と暮らしていた女性と私の関係は、決して悪いものではない。
それでも、ここで一緒に過ごすのには、まだ時間が必要だと思っている。
父の大切な人を、苦しめたくはないから。
部屋を見渡すと、生活感を感じなかった。
お互い働いていたので、家にいる時間が少なかったのだろう。
父の部屋に入ると、それほど大きくはない本棚に、
たくさんの文庫本が収められていた。
段ボールを組み立てながら、父が本を読んでいる姿を思い出す。
喉の渇きを感じたので、キッチンに向かった。
家庭用のコーヒーマシンが置かれている。
コーヒーを淹れて一息つく。
目を閉じると、コーヒーの香りを、強く感じる。
まるで、父とあの喫茶店にいる時のように。
「才華、早かったな。」
そんな声が、今にも聞こえそうだった。
「ふぅ……。」
深く息を吸った後、吐き出した。
父の部屋に戻り、荷物の整理を始める。
とりあえず本を詰めようと、一つずつ手に取って、どうしようかと考えながら、
視線を動かしていると、机の下に段ボールが置かれていた。
段ボールを開くと、薄茶色のパジャマ、白い歯ブラシ、グレーのカーディガン。
入院していた時のものだろうか。
一旦荷物を出して中を確かめようとしていた時、
1冊の本が出てきた。
「これ、私が誕生日にあげたやつだ。」
少しページをめくってみると、写真が挟んである。
「これ……喫茶店で見せてくれた写真だ。……まだ、持ってたんだ。」
段ボールにもう一度視線を移すと、スマホと充電器も入っている。
充電器を差し込んで、電源を入れる。
スマホをスクロールしていくと、アルバムのアプリがあった。
アプリを開くと、フォルダ名がいくつか並んでいる。
その中に、『 才華 』という名前のフォルダを見つけた。
開いてみると、1枚目が高校の入学式の日の写真だった。
今でもその日のことを、まるで、昨日のことのように思い出す。——
「入学おめでとー。才華、今日はうまいもん、いーっぱい食べよう。」
「どうせ、しゃぶしゃぶでしょ。」
「まぁまぁ。」
「それで、今、何で公園にいんの?」
「写真撮ろう。今日は、天気もいいし、写真日和。
ちょっといいカメラ持ってきたから。」
「公園で?」
「公園で。こういう何にもない場所がいいんだよぉ。」
「そうなのぉ?」
「はいはい、まずは才華一人のやつ撮るから。そこ立って、そうそう、
いくよーっ……はいっ、ちーずっ」
パシャッ
「いいねぇ〜。じゃあ、次はパパと一緒のやつも撮ろう。
タイマーにするから準備してぇ。」
「え、あ、え?はい……。」
「よし、来るよーっ、はい、ちーずっ」
パシャッ
「どう?いいの撮れた?」
「バッチリ!」
——画面の中の私と父は、始まりの時のような、そんな笑顔だった。
スマホにデータ、写してたんだ。
「やるじゃん、パパ。」
そして2枚目は、高校1年の時の花火の写真。
目を瞑ると、あの海辺の、潮の香りを感じる。
遅刻記念日……。
そして3枚目は、結婚式の日。
この写真は、私と夫、そして父の3人の写真。
あの日は、最高だったよね。
「残してくれてたんだね。」
アプリの画面を閉じようとした時、アルバムのタイトルの下に、
メモ欄がついているのに気がついた。
クリックしてみると、
そこには、残っていた。
私は、そのたった二文字を目にしたとき、
一気に上半身が熱くなる。
『 奇跡 』
「パパ……。」
父はいないのに、いないとわかっているのに、声が漏れてしまった。
画面から目が離せないまま、
呼吸のテンポが、少しずつ速くなる。
そして、息ができなくなった時、溢れ出した。
ゆっくりと流れていた涙が、
思い出と一緒に、次々と溢れてくる。
スマホを持つ手に、少しだけ力が入ってしまう。
静かな部屋で、止めることのできない嗚咽、苦しい。
それでも、スマホの中のパパを、見ていたい。
ありがとう、パパ。
大丈夫だよ……。
こんなにも、愛してくれたこと。
あなたの愛を、残してくれたこと。
私も、あなたを愛しています。
これから先も、ずっと。
——そして、私も感じる。
あなたの娘でいられた。
奇跡を。——
——(了)
〜 エピローグ 〜
私の夫と、父の初対面の日。——
「初めまして、こんばんは。」
少し父が、緊張した笑顔で言う。
「こんばんは。」
夫も、緊張しながら応える。
「この人が、大地さん。」
「おぉ、そうか。……そうか。」
父が、私たちをじっと見つめる。
先に口を開いたのは、夫の方だった。
「才華さんと、結婚したいと思っています。
結婚したら、何も我慢しないで過ごせるように、したいです。」
「そうか……。そうかぁ……ありがとう。」
そう言った後、父は彼の前に手を差し出す。
彼も、握手するように手を差し出すと、父がその手を強く握る。
まるで、何かに赦しを求めてるみたいに。
「本当に、本当に、ありがとね。」
父はそう繰り返して、目を赤くして、優しく笑っていた。
「もういいから、しゃぶしゃぶ食べよ。お腹空いたよ。」
私が、口にした瞬間、またにっこり父が笑った。
「大地くんは、飲めるか?」
「はい、少しなら。」
「よしっ、後で、写真撮ろう。」
「お決まりだね。」
——あの日のことを思い出しながら、もう一度スマホを手に取った。
あの時の写真、ないのかな。
アルバムをもう一度開いて、スクロールすると、
最後のページは、4人幸せそうに、笑っていた。
「撮っといて、良かった。」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




