33.闇の住人
杖を突き立てた瞬間、地面に白い紋が淡く広がる。
生きて蠢くように円陣が森の奥へ奥へと染み込み、冷気が静かに根を伸ばしていった。
次の呼吸で…周囲に潜んでいた魔物たちの動きが同時に止まり、霜に覆われていく。
ギィ……ギチ……と骨の鳴るような音を立てながら、魔物は一体、また一体と凍りの像になった。
レオンが後ろで目を見張る。
「……すげぇ……今の、全部……」
セイも一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに気を取り直す。
「はぁ……レオン、正面に集中しろ」
「お、おう!」
周囲の空気が凍る音すら笑い声で踏みにじるように、ベリルは指を差した。
「はっ……あははははっ!なんだよそれ。真っ黒じゃん!そんな杖なんて持ちやがって……やっぱお前、そっち側の人間なんじゃねえの?」
赤髪の男も続いてニヤニヤと笑う。
「灰色って魔力少ねぇんだろ? そんなに使って大丈夫かよ。かわいそ〜〜〜」
わざと、ヒヨリの前で言う。
ヒヨリが悔しそうに唇を噛んだ。
けれど私はベリルを見もしない。
ただ静かに、片手を軽く上げるだけ。
薄い氷膜が空中で揺れ、その中心に一本の細い線が光を帯びて生まれた。
やがてその線は形を成し、手の中へ収束する。
握った瞬間、藍色の刃が鮮やかに浮かび上がる。
「へぇ……そんな芸も出来るんだな。面白ぇじゃん」
ベリルの目がわずかに細くなる。
赤髪の男が火の球を片手に生み出し、仲間の淡い緑髪の男も印を組む。
セイが前に出る。
レオンも槍を構え直した。
三対三。
森の開けた場所に、張り詰めた気配が重なり合った。
その時、風がふっと止まった。
何か黒い影のような気配が、どこからともなく滲み出す。
ベリルがちらりと周囲を警戒する。
「……あ? なんだこの……」
言い終わる前に。
木々の影から、黒紫の髪を持つ、五十代後半ほどの男が音もなく歩み出てきた。
落ち着いた足取り。
しかしただの一般人には絶対に見えない揺らぎをまとっている。
その男は、こちらを見ているわけでも、ベリルたちを見ているわけでもなかった。
ただ、ヒヨリを見た。
そして次の瞬間、ありえないほど深い敬意と崇拝を込めて、跪くように頭を下げた。
「魔王様…!光の民に化けていたのですね!よくぞご無事で……!」
赤髪の男が、肩越しにその声を聞いて硬直する。
「はっ……?なんだよおっさん!? 」
ヒヨリの腕を掴んでいた手が、反射的に離れた。
赤髪の男は後ずさり、足をもつれさせそうになりながら距離を取る。
完全に不意をつかれた形だ。
「……は?誰だ?お前……」
ベリルは、ぽかんと口を開け完全に飲み込めていないようだ。
ヒカルもまた、すぐには動けなかった。
その中セイが最も早く動いた。
「お前、何者だッ!」
怒気を含んだ声で男へ向かって走り、そのまま拘束しようと手を伸ばす。
レオンもセイの意図を理解し、ヒヨリに駆け寄る。
「ヒヨリ! こっち来い!」
赤髪の男が離したその隙を逃さず、レオンがヒヨリの腕を掴み、引き寄せる。
ヒヨリは怯えていたけれど、レオンに掴まれた途端に顔色が僅かに戻る。
男はセイの動きで状況を理解したらしく、わずかに後退しながら静かに言った。
「……今日は引きましょう。また……必ずお迎えにあがります、魔王様」
空気が歪んだかと思うと、男の姿は霧のようにほどけて消えた。
沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは、完全に勘違いしたまま騒ぎ出すベリルだった。
「は……はは、魔王だってよ!お前ら終わりじゃん!!なに?魔王サマともお友達なのか?すげぇじゃん、すぐ皆に知らせてやるよ!」
赤髪の男、緑髪の男たちも混乱しながら逃げるように後を追う。
「ちょ、ベリル待てよ!何だったんだ今の……!」
「知らねぇよ!でもこれはネタになる!!」
笑いながら、森の奥へ走り去っていった。
その背中を追う暇はなかった。
ヒカルは震えるヒヨリの肩へそっと触れ、息をついた。




