15.二人の宝物
……朝、か。
わかってる。起きないと。
でも体が布団に沈んじゃって、どうしても動かない。
コンコンコンコン。
遠慮のないノック。
ああ、これは……ヒヨリだ。
「ヒカルちゃーん!起きてるー?ねぇ、ねぇってばー!」
勢いよく扉が開く音がして、次の瞬間、小さな足音がぱたぱたと近づいてくる。
「ヒカルちゃん、おはよう!今日はお外行くんだよ? ね?ね、早くー!」
布団の端がちょいちょい、と小さな力で引っ張られる。
それを死守するように、あたしは布団の奥で丸まった。
「……起きてるよ……起きてる、けど……眠い……」
自分でも聞き取れるか怪しいほど小さな声で答えると、ヒヨリがにこーっと満面の笑みを浮かべ…。
次の瞬間。
「もー!じゃあ……えーいっ!」
布団が、一気に剥がされた。
朝の空気が肌に触れて、あたしは思わず身を縮める。
「ヒ…ヒヨリ……返して……寒い……」
「だーめっ!ヒカルちゃん起きないとだもん!お兄ちゃんも待ってるんだからねっ」
腕いっぱいに布団を抱えて、得意げに胸を張るヒヨリ。
その無邪気さに、思わず苦笑が漏れた。
はぁ……負けた。
「……はいはい、起きるよ。起きるから……布団返して……」
「やった!じゃあね、着替えたらリビング来てね!私、朝ごはんの準備手伝ってくる!」
ぱたぱたっ、と来たときと同じ勢いで走り去っていく足音。
残されたのは、布団を奪われて寒さに震えるあたしと、胸の奥がほんの少しだけ軽くなった朝の空気だけ。
「……はぁ。ほんと、元気だなぁ……」
私はようやく体を起こしながら、ため息をひとつ。
でも胸の奥のほうが少しだけ温かかった。
階下へゆっくり降りていくと、台所の方から、パンを焼く匂いと、食器の触れ合う音が聞こえてくる。
テーブルには、すでにヒヨリが座って足をぶらぶらさせていて、セイは皿を並べながら、ちらりとこっちを見た。
セイは視線をこちらに向けたまま、小さく息をつく。
「おはよう、座れよ。冷めるぞ」
それだけなのに、なんだか安心する。
昨日の重い空気なんて、この朝食の匂いと、二人の声が全部溶かしてくれるみたいだった。
私はそっと椅子に腰を下ろし、差し出されたパンに手を伸ばした。
朝食を食べ終えて、片付けが一段落するとヒヨリが椅子の上で勢いよく立ち上がった。
「ねぇねぇ!行こ!もう行こ!お外行くんでしょ!!」
その元気さに、セイもあたしもつい笑ってしまう。
昨日の重い気持ちなんて、この子の前じゃ息をするみたいに薄まっていく。
「急がなくても外は逃げねーぞ」
セイが頭を軽く撫でると、ヒヨリはむぅっと頬を膨らませていた。
あたしはというと、玄関に置いてある薄手の上着を手に取って、そっとフードを深く被る。
外に出るときは、これがないと落ち着かない。
髪を隠すだけなのに、まるで鎧みたいに心が静まる。
…ふと横を見るとヒヨリがこちらをじーっと見ていた。
「ヒカルちゃん、今日もそれ被るんだ?」
「うん。……こっちのほうが楽だから」
そう答えると、ヒヨリは ふーん? と不思議そうにしつつも、特に深く聞かずに笑った。
セイが扉を開けると、澄んだ朝の空気が一気に流れ込んでくる。
「よし、行くか」
ヒヨリが待ってましたと言わんばかりに飛び出し、その後ろを追うように、セイが歩き出す。
私は玄関先で一度深呼吸をして、ゆっくりと続いた。
街の朝はまだ静かで、石畳の道に日は斜めに差し込んでいる。
ヒヨリは先頭ではしゃぎながら手を広げ、セイはそれを横目で見ながら歩幅を合わせ、その少し後ろで私はフードを押さえながら、二人の背中を眺めていた。
――昨日のあれこれが、今は少しだけ遠く感じる。
三人で歩くだけなのに。
それだけで、胸の重さが少しずつ解けていく気がした。
街の門が見えてきたとき、ヒヨリが振り返って笑った。
「ほらヒカルちゃん、早くー!今日はね、絶対いい日になるよ!」
その無邪気な声につられて、思わず、フードの奥で小さく笑った。
「……うん。そうだね」
三人で街の外へと歩き出した。




