12.閉ざす心
ヒカルは──視線を上げない。
椅子の上で、膝の上に落とした手をぎゅっと握ったまま、ずっと顔を伏せている。
「……ヒカル。おまえ……」
思わず声が漏れた瞬間、ヒカルがこちらに小さく反応する。
だが顔は上げず、そのまま、ぽつりと呟く。
「あたし、本当に……あの人たちに、ひどいことされたわけじゃないの」
絶対に嘘だ。
けれどヒカルは、まるで自分に言い聞かせるように続けた。
「悪口もたぶん、冗談だよ…あたし人とあまり話さないから…そういうの、慣れてなくて……だから……気にしてないし……」
…気にしてない?
肩を焼かれて?
嘲られて?
「ほんとに……大したことじゃ、ないから……だから……あんまり……怒らないで……」
胸の奥で何かがぶち、と切れる音がした。
怒るな?
自分の身体を焦がされたのに?
妹を守ろうとして一人で立っていたのに?
その事実ごと、無かったことにしようとして?
俺は、こみ上げてくる怒りを抑え込むことができなかった。
「……ヒカル。おまえ……それで済むと思ってんのか」
声が震える。
怒気が押し殺せず滲む。
ギルド長が、そこで静かに息を吐いた。
「……なるほどな。状況は把握した」
その声音は、怒りを露骨に表すでもなく、しかし深く沈んだ熱を含んでいた。
「ヒカル君。きみがどう言おうと怪我を負わされた事実は消えないよ」
ヒカルの指が膝の上で強く握られた。
爪が食い込むほどに。
ギルド長は続ける。
「ましてや、嫌がらせや侮蔑の言葉があった可能性が高い。たとえ魔法が低位で無害だったとしても、その使い方が問題だ」
ヒカルは顔を上げない。
恐怖か、自分のせいだと思い込む罪悪感か
それとも…誰かを庇おうとする、あの矛盾した優しさか。
俺は唇を噛む。
怒りはまだ消えていない。
むしろ、ヒカルが庇えば庇うほど、胸の奥の熱は増すばかりだ。
ヒカルが、顔を伏せたまま、弱い声で言った。
「……ねぇ、冒険者さんの処罰って……その……被害者が処罰を望まないって言えば……そこまで重くは、ならないんだよね?」
伏せられた長い髪が揺れる。
表情は見えない。
なんでだ。
なんで、そんな言い方をするんだよヒカル。
ギルド長は、険しかった眉をわずかに寄せ直し、慎重に答えようとした。
「ヒカル君、君は――」
その言葉を遮るように、副ギルド長が手元の資料を確認し、淡々と告げた。
「……ええ。重い処罰にはなりません。被害者が故意性なしと証言すれば、最大でも謹慎か研修処分。それ以上にはならないでしょう」
淡々とした声。
ただの事務的な確認だというのに、セイにはそれが冷たく響く。
ギルド長がわずかに眉を寄せ、吐息を漏らした。
「……ああ、わかっている。規定上はそうだ」
そして、顔を伏せたままのヒカルを見つめる。
「だが……」
言葉が落ちた場所は、重くて深かった。
「本人が言うからといって、見過ごしていい内容じゃない。厳しい処分を下すべき案件だ……しかしお前がこう言う以上、こちらも勝手には動けん」
ギルド長はゆっくりとヒカルの方へ体を向けた。
「……ヒカル。本当に、処罰はいらないのか?」
優しく問う声なのに、その奥には鋼のような重みがあった…本当に決めてしまっていいのか?そんな想いが滲んでいた。
ヒカルはまだ顔を上げない。
(……答えるな。言うな……!)
思わず声が喉まで込み上げたが、セイは必死に噛み殺す。
ここで口を挟めば、ヒカルの生き方を否定してしまう気がした。
だが黙っているのも、胸が焼けるくらい苦しかった。
ギルド長は、逃げ場を与えるようにゆっくりと続けた。
「お前さんが庇っていることくらい、わかっている。だが……それでも、私は最後にもう一度、お前さんの言葉を聞きたい」
静まり返る室内。
ヒカルがゆっくりと顔をあげる。
まるでヒヨリを安心させる時みたいな、
柔らかすぎる笑みを浮かべてギルド長を見つめていた。
「あたしは、大丈夫。だからね……処罰なんて、しなくていいよ。本当にあれは、ただ……あたしが耐性ないだけで……向こうは見せてくれただけで……本当に、そんな……悪気なんて……」
悪気なんてない、見せてくれただけ。
どれも、ヒカルの本心ではない。
それを誰より知っているのは、俺だ。
庇う理由なんて、どこにもない。
(なんで笑うんだよ…なんでそんな事言うんだよ…)
胸の奥にどす黒い怒りが渦を巻いた。
殴られたのに。焼かれたのに。侮辱されたのに。
庇う必要なんて、どこにもないのに。
気づけば拳を握りしめていて、
爪が手のひらに食い込み、じんとした痛みが広がる。
ギルド長はしばらく黙り込み、やがて、深く、重い息を吐いた。
「……本人がそう言うなら、こちらも強制はできん」
ヒカルは笑いながら短く頷く。
もう、その笑顔を見るのがきつい。
セイの喉がひりつくように痛んだ。
しばらく沈黙が落ち、
ギルド長は目を伏せると、静かに結論を出した。
「……わかった」
その言葉は重く、どこか苦々しかった。
「では、今日はこのあたりで切り上げよう。
帰る支度をするか」
ギルド長と副ギルド長が帰宅の準備を始める。
セイはその動きを横目に見ながら、ずっと笑顔のヒカルに 部屋に戻っててもいいんだぞ と声をかける。
「ありがとう…先に戻るね。」
そう返すと、いつもの静かな足取りで部屋の方へ消えていった。
ドアが閉まるわずかな音だけが、妙に重く響く。




