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手帳に書いたら世界が静かに変わったので、冬だけの願いを配達します  作者: 妙原奇天


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第3話 路地星座の行列

 冬の街は、足音がよく響く。乾いた空気が音の輪郭を硬くして、誰かの咳払いまでもが遠くまで届く。商店街のアーケードでは、電飾が昼間でも薄く点いていて、古い蛍光灯の脈拍と混ざってかすかに明滅する。

 その光の隙間から、「#匿名ギフト」という言葉が、静かに広がっていった。バズではない。切り抜いた紙をそっと掲示板に重ねるみたいな、手の温度の拡散。真似したい、が先に立つ。見てほしい、は後ろにいる。動画の再生回数はゆっくり増え、コメント欄に「やってみた」「近所でも置いたよ」の短い報告が積もっていく。やり方を聞く声が増えたので、蒼真は倉庫で“廃材イルミの作り方”の短い解説動画を撮った。手元だけを映し、音は環境音だけ。針金を曲げる音、ニッパーが金属を断つ音、紙袋を折る音。画面の端に、狐の尾が一瞬だけ横切って、コメント欄に「猫?」の文字が並ぶ。


 「偽善」「貧乏くさい光」も、当然のようにやってくる。

 「偽善で助かる夜もある」と書き返しそうになって、灯子は手帳の端を撫でた。冷えた群青が、指の熱を吸い取っていく。怒りは、インクより速く広がる。だから、ここにルールを足す必要がある。

 祠のベンチに座って、二人で第四の行を手帳に書いた。

 憎しみの連鎖に干渉しない。

 アンチを糾弾しない、擁護のための争いを作らない、炎上で名前を広めない。良いことを守るために誰かを傷つけない。言葉は短く、でも骨があるように。書き終えると、紙目の奥で小さな鈴が鳴った気がした。狐が足元に現れ、尾で軽くページを叩く。了解、の合図に聞こえた。


 代わりに、行列を作る。

 匿名ギフトの「置く・拾う」に、もうひとつ、「待つ」を加える。祠から三つの路地に、同じ間隔で小さな場所をしつらえた。木箱の上に空き瓶を並べ、中に灯り。古い風鈴を吊し、誰でも座れるベンチを置く。隣に座っても、相手の悩みを運ばなくていい距離。そこに白い星の紙を置き、案内のカードに書く。

 誰かの“べき”ではなく、あなたの“たい”を書いてください。

 星は糊も紐もなくていい。置いていっても、持ち帰ってもいい。狐が巡回して、星を一枚ずつ、灯子の手帳へと導く。拾い上げた瞬間だけ、紙の縁が淡く光る。狐の鈴の音が短く鳴り、その星の文が手帳の余白に写る。


 この夜は、群像になった。

 夜勤明けの看護師が、コーヒーの紙コップを持ったままベンチに腰を下ろし、わずか十分だけ眠る。肩の力が抜けて、マスクのゴムが頬に薄い跡をつける。星に一行を書く。「今夜は、早く帰りたい」。祠の鈴が小さく鳴る。勤務表のラインが偶然重なり、空いた同僚が一人、彼女の分を買って出る。メッセージアプリに「今夜はもう上がっていいよ」の吹き出し。彼女は驚き、笑って泣く。

 退職したばかりの男性は、背広のボタンを上まで留めたまま、白い星を前に長く迷う。字が下手で、と言い訳のように笑って、それでも書く。「家族に、夕食の写真を送れる勇気がほしい」。狐が紙の縁をくわえ、手帳へと運ぶ。夜、彼はコンビニで温めたうどんを撮り、娘に送る。返事はたった三文字。でも、重い。「おいしそ」。

 中学生の兄妹は、祖母の家の軒先に星を吊るす。寒いのに、兄は素手だ。「手袋しなよ」と妹。二人は声を潜めて笑い、スマホで写真を撮る。翌朝、その写真の端に、小さく祖母の笑顔が映っていた。「勝手に載せないでよ」と言うために、祖母は昼過ぎに電話をかけてくる。兄妹は、笑って謝る。声の元気さで、三人の距離が正確にわかった。

 大奇跡は起きない。けれど、生活が少し横滑りする。転ばないように誰かの肩が一瞬だけ支えると、体勢は整う。そういう優しさが、都市の各層に薄く塗られていく。灯子は、白い星の文字を写し取りながら、それぞれの筆圧の違いに指先で触れた。硬い、弱い、ふらつく、跳ねる。字の形は、体温と生活の形に似ている。


 しかし、歪みはいつも隣で育つ。

 ある朝、“匿名ギフトランキング”というサイトが立ち上がった。どこの誰かは書いていない。到達件数、いいね数、写真の映え、置いた地点のマップ。ランキング上位に載るやり方のハウツーまである。

 蒼真は顔をしかめ、動画の概要欄に大きく書いた。点数化しないでください。

 コメント欄には、「仕方ないよ、見られるってそういうこと」「数字がつくから広がるんだよ」と正論が並ぶ。正しいのに、どこか寒い。灯子は、手帳の余白に怒りの字を走らせそうになり、ペン先を止めた。

 手帳は、怒りのインクを吸わない。

 その確信は、最初に注意書きを見た夜から変わらない。怒りは、願いの文法を壊す。壊したくないものが、ここには多すぎる。


 夜、Silent Eve の配信が始まる。暗い画面、唇とマイクだけの光。朗読されるのは名のない贈り主の話。声は低く、相変わらず、父に似ている。コメント欄の流れが速くなり、「ランキングどう思う?」の質問が重なる。

 短い沈黙のあと、声はこう言った。

 「贈り物は、受け取り損ねられる権利も含む」

 灯子の胸に、その一文が刺さる。

 受け取り損ねてもいい、という余白。受け取られなかった贈り物が、誰かを責めない権利。右に逸れて、しばらく誰のものでもないまま漂うやさしさに、居場所を与える権利。ランキングの表の上に並べ替えできないものは、たしかにある。


 その夜更け、狐が灯子を祠から少し離れた空き地へ導いた。

 古い鉄柵の向こう、草に半分埋もれた電飾の墓場。折れたトナカイ。点滅しないサンタ。切れた電球、千切れたコード。プラスチックの星は黄ばんでいて、触ると指先に粉がつく。夜の細い風が、壊れた風鈴の中を空振りで通り抜ける。

 灯子は、そこに「順番」を見た。

 壊れた灯りにも、灯る順番を。

 直す順番、捨てない順番、次の誰かへ渡す順番。

 倉庫に戻り、蒼真と計画を詰める。翌夜、行列は「修理の人たち」で満ちた。

 楽器店の店主が半田ごてを持ち、理髪店の主人が細いコードを撚る。退職したばかりの男性は、説明書を読み上げる役に回る。中学生の兄妹は、灯りを磨く。看護師は、タイマー係。誰もヒーローにならないように、役目を細かく分ける。

 壊れたトナカイの鼻が、最初に灯った。赤い小さな点が、暗闇の奥で丸く揺れた。見知らぬ誰かが拍手して、すぐに手を引っ込める。その拍手は、名前を持たないまま空に溶けた。アンチのコメントは薄まっていく。手を動かす儀式に参加した指先は、言葉の棘を持ち込みにくい。棘は、半田ごての熱で鈍る。


 夜は、路地の星座で埋まった。

 灯りの点、点、点。それぞれの前に、短い滞在の背中。ベンチはいつの間にか温かくなり、風鈴は厚手の空気を小さく割る。狐は巡回し、星の紙を一枚ずつ運ぶ。灯子はそのたび、手帳の余白に新しい「たい」を写す。

 「怒らずに眠りたい」

 「明日の弁当の卵焼きが焦げませんように、じゃなくて、おいしく焼きたい」

 「ランキングの画面を閉じられるようになりたい」

 「元夫に既読をつけずにいられるようになりたい」

 「祖父の名前を、一度で呼べるようにしたい」

 小さな願いは、紙の上で同じ大きさになる。星の角に、誰かの指の油が少し残る。灯子は、その油の跡まで写し取りたい衝動にかられて、笑って首を振った。写せるのは、言葉の形までだ。


 倉庫に戻ると、空気は人の体温で少し柔らかくなっていた。修理班が使った工具が整然と並び、切れ端のコードが小さな輪になって箱に入っている。狐は作業台の隅で丸くなり、一度だけ鈴を鳴らす。ありがとう、に聞こえた。

 灯子は群青の手帳を開く。紙の白が、倉庫の暗さの中で自分だけの光を持っている。余白の底から、ゆっくりと文字が浮かび上がってきた。

 五夜目、声の主に会え。

 ペンを握っていた手が、わずかに震える。

 声の主。

 Silent Eve の、それとも。

 父なのか。父であってほしくないのか。父であってほしいのか。

 会ってしまえば、この贈与の物語は、父娘の物語に変質する。変質は、必ずしも悪いわけではない。でも、名前が前に出ると、匿名のやさしさは、どこかで呼吸が浅くなる。手帳は、それでも「会え」と言うのだ。

 ページの隅を指でなぞる。紙は黙っていて、冷たい。

 蒼真が、遠くからこちらを見ている。

 「……会う?」

 灯子はすぐに答えられなかった。

 会ったほうがいい、と言う声と、会わないほうがいい、と言う声が、胸の中で反響している。

 父の声は、冬の配信の向こうで、いつもみたいに呼吸を整えた。

 物語は贈り物だ。包み紙は静けさ。

 包み紙を破るのは、本当に、今なのか。

 狐が、二度、鈴を鳴らす。

 倉庫の蛍光灯が、わずかに瞬く。

 灯子は、手帳を閉じた。胸の上に、冷たい群青の重み。

 冬至までに八夜。そのうちの五夜目が、まるで息を潜めて待っているみたいに、手の中で脈を打っていた。


 次の朝、空は透明で、冷たく、遠い。

 ランキングサイトは相変わらず動いていて、新着の灯りが数で並べ替えられている。蒼真は画面を閉じ、工具箱を抱え上げた。

 「直す灯り、まだ残ってる」

 「うん」

 歩きながら、灯子はポケットの中の手帳に触れる。紙の四隅は少し柔らかくなっていて、持ち主の癖を覚え始めている。

 受け取り損ねられる権利。

 会わない、という選択も、贈り物の一部。

 けれど、手帳の文字は命令ではなく、誘いだ。誘いに、どう返事をするかは、受け取る側が決める。

 贈り物の定義は、受け取る側が決める。

 最初のページの一文が、朝の白い光で読みやすくなる。

 灯子は、歩幅を少しだけ広げた。

 五夜目の前に、まだやることがある。

 壊れた灯りの順番を、最後まで終えること。

 行列のベンチに新しい毛布を置くこと。

 白い星の紙を、補充すること。

 そして――声の主に、会うか会わないかを、今夜ではなく、自分の言葉で選べるように、呼吸を整えること。

 祠の鈴が、まだ遠くで、小さく鳴った。

 路地の星座は、朝のうちにもかすかに点いていて、通りすがりの誰かの顔に、一瞬だけ、色を置いた。

 その色は、ランキングにも、コメント欄にも、写らない。

 けれど、写らないもののために、灯りはあるのだと、灯子は思った。

 群青の手帳は静かで、重く、確かだった。

 五夜目は、近い。

 でも、まだ今夜ではない。

 匿名のやさしさが、もう少しだけ街に滲む時間を、手帳は許している。

 灯子はその猶予を、贈り物の一部として、深く受け取った。

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