第2話
「お、無視せずに来てくれたな。結構結構」
僕を呼んだ張本人の姫野先生は気だるそうに言った。このダウナーな美人女教師が棒の担任だ。
静かな職員室の一角。先生たちしかいないこの空間は学生の自分には少し重々しく感じる。そもそも入学早々に個人的に呼び出されるなんてたまったものではない。僕が何かやらかしたとでも言うのであろうか。災難というのはこうも連続で降りかかるというのか。神は人類、ひいては僕に試練を与え過ぎではないのだろうか。
そんな様子を見てか、姫野先生は、
「まぁそう緊張するなよ。自分が何か悪いことをしたから呼び出されたと思ってるのか?」
と言ってくる。え、僕けっこう顔に出やすいのかな……。
「え、いや、まぁ……」
ここで気の利いたレスポンスが出来れば良いが、わたくし和泉直哉。これが精いっぱい。
「お前の生活態度には何も問題はないよ。ていうか、入学して間もないんだからそんなことできないだろう。ま、何かやましいことがあるなら正直にいってくれてもいいんだぞ~?」
茶化すように言ってくる。遊ばれている。相手もフィールドも僕には分が悪い。早く解放して頂けないでしょうか。
「すまんすまん、本題に入ろうか」
そういって眠そうな目を机に向ける。そこにはクラスの出席名簿といくつかの紙が散乱している。名簿をパラっと開きながら先生は続ける
「お前の隣の席が三枝綾乃という子なのは知っているか?」
「はぁ、名前だけなら……。でも会ったことはないですね」
「そうだろうな。入学式から今まで欠席を続けているからな」
やはりそうだったみたいだ。三枝は1日も学校に来てはいないらしい。そして、少なくとも三枝綾乃という人間は本当に存在している事がわかったし、今も存命である事もおそらく確かだろう。でも、ここで三枝の話題が出るのはどういうことなのだろうか。
「その三枝さんがどうしたんですか?」
「ちょっと今回お前に頼みたい事に関係していてな。その前に一つ和泉に聞きたいことがある。」
先生がこちらに体を向けてくる。何となく空気が張り詰めた気がした。
「知らないことは無いと思うからいきなり聞くが、お前は『獣人病』についてどう思っている?」
その単語が出てくるとは予想していなかった。
獣人病
それは、人間に発症する病気だ。突然この世界に現れた病。症例がとても少なく、研究もほとんど進んでいない謎の病気だ。最大の特徴は、その病にかかった人間には特定の動物の特徴が体に現れるという事だ。
幸いなことに、この病気が原因で命を落としたという報告は無いらしい。さらに病気とはいったものの、人から人に感染するものではないという結論が出ている。現状、感染者は完全にランダムとのことだ。
しかし、まだ世間には正しい知見が浸透しきっているとはいえず、憶測や偏見が残っている節もある。いわく、獣人病になった人間の周りにいると不幸になるだとか、触れられると感染してしまうだとか。ある時期には、獣人病になると知能が低下してしまう、感染者は本能のままに行動し犯罪を犯すという風説もあったそうだ。結局だれも確かな根拠を示さなかったのだが。
「どう、思う……と急に聞かれても」
「少しいきなり過ぎたかもしれないが、お前の率直な考えを聞きたいんだ。どんな風に思っていようと私はお前を怒ったり罵ったりしないと約束する」
そういう先生は眠そうな目をまっすぐ自分に向けてくる。鈍い自分でも真面目に聞かれているという事はすぐに分かった。であれば、こちらも真面目に答えるのが礼儀だ。しかし、高尚な答えなんて持ち合わせていない。正直に言ったところで先生が納得する気はないが……。
「そうですね……。正直言うと自分にはよくわからないです」
「……」
続きがあるのを分かっているかのように先生は黙っている。
「今まで獣人病の人を見たことがないっていうのが大きいのかもしれないですけど、何か悪く思っているとか、そのまた逆に思っているだとかっていうのは本当になくて……。今までその病気について色んな噂が流れましたけど結局どれもウソだってなりましたから。だから具体的にこう思っているっていうのがないですね」
「……そうか」
「ただ……」
「……?」
「えっと……獣人病だからどうこうっていうのはあんまり良くないなっていうか……。たとえ感染していても同じ人間には変わりないですし、普通の人のように生きて、幸せになったりする権利があると思います。僕はそれを認められる人間でいたいとは……少なくとも思ってます」
「……」
「すいません。これは質問とは関係なかったですね」
「……いや、お前のそれは間違っていると思わない、それに、同時に私の目にも間違いはなかったという事がわかって安心したよ」
先生が満足そうに少し笑った。張り詰めた空気が和らいだような気がした。
「では、正式にお前に三枝について色々協力してもらう。」
そして流れるように、あるいはもう決定事項を伝えるかのように先生は言った。