第1話
三枝綾乃は謎の人物である。
隣の席を空席たらしめているその人物は入学式からその姿を見せることなく今現在に至っている。といっても、それ相応のエピソードを語るほど入学式からの時が経っていないのも事実ではある。
しかし、3年間の間も収監される予定であるこの若人たちの牢獄の囚人初日から、世にいう青春時代に反旗を翻すかのように姿をくらませているのだからおそらく相当ワケアリな事情を抱えているのだろう。
和泉直哉は気になっている。
その平々凡々な頭脳で、おおよそ平々凡々ではない物語の主人公のように頭を回して考えてみる。
名前からしておそらくは……女性であろう。おそらく頭は一つで腕と脚は二つずつ持ち合わせ、日本語を習得している人型の実体であろう。そうだ!彼女(もしくは彼)は僕と同じ人間なのだ!この一般家庭で生まれた自分に備わった脳も捨てたものではないではないか!この結論に至れたのはこのクラスメイトで自分だけではないのだろうか!だとしたら、なんとも誇らしいことだ!
などという、誰にも称賛されないであろう考え事をするよりもっと建設的な事に時間を使えるはずだ。これから1年間を共にする同胞たちとの交流とか……。
あえてしていないのかと問われるかもしれない。もしそうならば、自分は孤独に詩作に耽った何某かよろしく最後は虎になるかもしれない。そうなったならば、美しい月夜には見事な咆哮を聞かせてやろうではないか。
しかし、そんな孤高で悲しい存在ではない。いや、悲しい存在なのは正しいあってる。この和泉直哉、人付き合いというかコミュニケーションが少し苦手なのだ。そう、少し人見知りする人間なのだ。……ほんとに少しだけだよ?
思えば中学の時分からそうだった。決して他人との交流を完全に断ってしまっているわけではない。クラスメイトとは普通に話せているはず。決して斜に構える事もなく行事には協力的な姿勢を見せてそれなりに楽しい思いはしている。しかし、なんというか、こう……自信をもって「友達」といえる存在が中々出来ないのだ。
嫌われないような立ち回りを心掛け、雰囲気を壊すような事をしないようにしているのだが、友を得るには何かが足りないのだろう。そして、それに答えを見いだせないままこうして高校生活がスタートしてしまったわけである。
結果はどうだ。華の高校生活がスタート、周りは期待と不安を半々に抱えながらもクラスメイトと打ち解けようとしている最中でも何も行動を起こせない男が一人。こういう時にまず最初に攻略すべきは隣の席の人と相場が決まっているはずである。
それを阻む要因が二つ。一つは、自分が「和泉」であるということ。五十音順でも最後方の「わ」が頭文字の僕は予想通り席はクラスでも一番隅の方だった。僕のすぐ左隣は外の世界。せいぜい語りかけてくるのは鳥のさえずりぐらいである。じゃあ反対側はどうか。そうだもちろんクラスメイトが座っているはずである。普通は。えぇそうです。普通はそのはずなんです。
そして、その隣の席が三枝綾乃なのだ。そう来ていないのである。ぽっかりと空いた空席は僕の周りの風通しを良くしてくれてはいるが、その風は完全に自分の高校生活に向かい風を吹かせている。
担任の姫野先生に呼ばれたのは、これからの3年間どのように過ごせばいいのか、スタートから迷走を始めたそんなときである。