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ネクタイ

作者: 香水

(本作は、‘葬々月花’‘花の巡礼’の番外短編です)


 毎日の習慣から、余裕をもって登校した校舎ですることもなく、桃谷はひとまず生徒会室に荷物を置き、役員共有の机に散乱する書類の整理を始めた。

 誰もいない部屋で黙々と作業していると、清々しい一方で、自分の性分に何をやっているんだろうと呆れることもある。

 生家の息苦しさを、早朝感じることは少ない。けれど、色濃く残ったままの昨晩の気配や、人が動くもの音が聞こえてしまうと、途端耐えられなくなった。

 飛び出すように家を出て、完全に安全ではないけれど、まだましだと思える場所に逃げ込む自分は、強いといえる存在ではないと桃谷は思う。

 ユールレイで出会った彼女たちが、どんな道を歩んできたか知っているため余計、自分に憐れむ事に衝撃を覚える。こんなことで、と何度も思って耐え忍んでも、身内以外の人間を壱堂の家で目にするたび、吐き気と眩暈で狂いそうになった。

 気が滅入りそうなことを考えていると、街を歩けばすぐに同校の生徒を見つけられる、一風変わった制服の胸元で、携帯電話が震えだす。珍しい時間帯に、ほんの少し寄った眉を引き延ばす事に意識を傾けながら、取り出したそれに簡潔に記される名前に、何かあったのかと、眠気も苛立ちも考え事もどこかに消え去るほどの衝撃で、慌ててボタンを押した。

「はい、壱堂」

『早くにごめんなさい。桃谷、今どこ?』

 何度耳にしたところで慣れることはないだろうと思わせる、褪せることのない声。

 彼女から連絡が来るなど初めての覚えがあり、いささか緊張して答える。

「桐往の生徒会室だ。どうした?」

 機械の向こうで、彼女が安堵の息をついたのが分かる。ますますもって混乱する現状に、どうするべきか分からず彼女の言葉を待った。

『・・・今、その前にいる』

「すぐにいく」

 意図を汲み取り、先を読んで告げ、裏門だと続ける声に了承して会話を中断する。

 荷物を持つのも煩わしく、出入り口に鍵をかけただけで走り出した。遠目に、数えるほどの生徒しかいない時間、すれ違う者もなかったのはよかったと思う。

 一応は生徒会の人間としての自覚があったのか、と感じながら曲がったコンクリートの柱の奥、辿りついた先にいた人物に、桃谷は改めて目が覚めるようだった。

 朝日を背負って立つような涼しい容姿の少女は、彼女が身につけるには慣れない服装でいる。それは、桃谷にすれば、ほとんど毎日目にしている代物で、名門寄宿所学校に籍を置く彼女が纏うには、疑問を覚えるものだった。

 桐往の制服を着用する香雛は、不機嫌な様子で桃谷の到着を確認し、近くに寄るよう示す。

 警戒した猫が餌を求めて近寄るより少しばかり早く、桃谷は香雛の前に立つ。そして、意味もなく呼びかけた。

「・・・香雛?」

「なによ」

「どうしたんだ」

「・・・わけは後で話す。とりあえず、桃谷」

「ん?」

「これ」

 素直に返事をした男に、水が流れるのと同じ動きで、香雛は細い布を差し出した。それは、桃谷が首で結ぶネクタイと同じに見える。

 よく見れば香雛の制服姿は完成されておらず、胸元だけが涼しげに開いていた。風紀員が見れば、即刻注意を受けそうな様子に、桃谷は首をひねりながら差し出されたネクタイを受け取って、すぐに気づいたように小さく笑った。途端に、嫌そうに香雛が睨んでくる。

「・・・結べないなら、誰かに頼めばよかったろう」

「だから、桃谷を呼んだ。・・・送迎は断ったから、一人で来たのよ」

「なるほど。・・・少し上を向いてくれ」

「うん」

 素直に指示に従う香雛に、自分の冷えた指先が当たらないように心掛け、手早く形作ってやり、手を離す。

 普段なら絶対にしない行いも、相手が香雛なら気負うことなくやり遂げられる。満足げに頷き、ありがとう、と微笑む香雛の頭をなで、それで、と尋ねながら無断で荷物を受け取った。

 通学鞄を手からなくした香雛は、しばらく荷物の先を見つめ、やがて仕方なさそうに歩き出す。つられる様に隣に並ぶ桃谷に、一度だけ視線を向けて、本当に嫌そうに口を開いた。

「昨日の夜、一怜と高楽には連絡を入れておいたの。今日から無期限で私も桐往の生徒の扱いを受ける事になった」

 その不機嫌さが自分に向けられていれば、桃谷も速やかに黙りこむところだが、香雛の怒りは仕事内容に向いているらしい。

 その姿から、なんとなく察しはついていたので、何も言わずに続きを促す。

 香雛の足元で、傷一つないローファーが鳴った。

「ユールレイに依頼があって、本当は、磨由が受けるはずだったのだけど、珍しく断ったらしいの。音姫は・・・寄こすわけにいかないから、って私に話が回ってきた」

「・・・そうか」

 出された名前の一つは、数日前に仲間内の会話で何度も挙げられたものだった。桐往に磨由が足を向けることを拒んだ理由を、香雛は知らないのだと判断して、黙っていれば察しのいい少女に付け込まれると、気になった事を口に出してみた。

 もともと余計な詮索はしない桃谷ではあるが、訊かれて困る事をかわす話術に、隣を歩く少女は長けている事を知っていた。訊いた質問の答えを、桃谷が知るべきでなかったときは、桃谷が気づかないほど自然に会話の内容が変わっている。

「依頼主と内容は?」

「――桐往学園理事長」

 珍しいほど、門外不出のユールレイの内輪での情報を言いきって、香雛は振り返り桃谷を見る。

 まるで何か確かめられているような静かな目は、相変わらず水底を連想させるほどに深かった。

 とっさに逸らしたくなるのを堪えていると、続きが耳に入る。

「桐往で起こっている怪奇現象について、調査報告、解決せよとのお達しよ」

 やはりという言葉を、どこかで囁く自分を、桃谷ははっきりと自覚していた。

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