8話 起死回生の一手
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ある建物の屋上にて。佇む二人の人影があった。一人はすらりとして、優しそうな印象を漂わせる青年。もう一人は奇妙なことに背中が曲がっており、翼のような物を生やしている。青年は手に持った金貨を弄びながらしばらく思案していたが、やがて金貨を強く握りしめた。
青年が呟いた。途端、周囲の空気が張り詰めた。
「不埒にもアズに近づこうとする輩がいるようです。そいつを始末してきなさい。」
この世の物とは思えない、恐ろしい声だった。
青年が指を鳴らすと、もう一人の人影は逃げるようにかき消えた。青年はかけている金縁の眼鏡をくいっと持ち上げ、言った。
「これで何人目だろうか、彼女を奪おうとする不届き者は。アズは私だけの物だというのに。
私のアズに近づく物は・・・皆、消えるがいい。」
その時、あたりを一陣の風が吹いた。その風が止んだとき、青年の姿はどこにも見当たらなかった。
愛美の家から出て、雷は明るく照らし出された通りを歩いていた。意外に人は歩いていて、そのほとんどがスーツを着ていた。仕事帰りなのだろう。そんな人たちの顔は明るかったり、沈んでいたりと様々だった。雷の心情は複雑だった。母はものわかりのいい人だ。外で夜を食べてきたと言ったら、別に深く追求はしてこないだろう。しかし、妹は違った。なぜか雷の行動を知りたがる。きっと今日も帰ったら問い詰められるに違いない。友達の家で夜をごちそうになったなんて言ったら、すごい目で睨まれそうな気がする。特に、相手が女子の時は。
それに、別れ際の愛美のあの表情。今にも泣き出しそうだった。雷が一人で帰ったからと言って、彼女が困るようなことがあるだろうか。
ーもしかして、本当は泊まっていって欲しかったとか?さすがにないよな。
そんなことを考えながら歩いていると、雷のまわりから人がさっと消えた。彼を避けるかのように、空間ができている。
次の瞬間、雷はものすごい力で路地裏に引き込まれた。声を上げる間もなく壁に背中からたたきつけられる。痛みをこらえながら立ち上がると、鼻の先に何か冷たい物が突きつけられた。わずかに差し込む明かりを鋭く反射するそれを見て、一瞬遅れて、それが槍だと言うことを理解する。恐る恐るその持ち主を見上げると、そこにはこの世の物とは思えない化け物がいた。化け物は、声も出せずに固まる雷めがけて槍を振りかざし、躊躇いなく腹部に突き刺した。
雷は、自分の口から血が噴き出すのを見た。ごぼごぼという音を立て、血液とともに命が流れ出ていく。
ー人ってこんなに簡単に死ぬのか。
1秒、また1秒と血が流れ出る度にどんどんと寒気がしてきた。傷口だけが灼けるように熱い中、視界も狭窄し、黒く閉じていく。
ーもうだめだ。終わったな。
雷は目を閉じる。闇が、じわじわと彼を飲み込んでいった。
愛美は夜の街を走っていた。彼はああ言ったけれど、絶対に彼一人で行かせるわけにはいけない。また、人が死んでしまう。いつからだろうか。愛美との仲がいい男子が、一人、また一人と行方不明になるようになったのは。そのうちの何人かは死体で発見されている。
彼らを殺した何者かは、きっと彼らが愛美の力について何か知っていると思ったのだろう。愛美は、自分のせいで周りの人に危険が及ぶのは嫌だった。だから、最近では男子とはあまり話さないようにしていた。
ところが、彼に会った瞬間に愛美の心は大きく変わった。真雲雷。彼は不思議な少年だった。他の男子のように愛美に猛烈にアタックをしてくるわけでもなく、かといって興味を示さないわけでもない。そして、さりげないところで他人のことを気遣う優しさがあった。
ただ、隣の席になっただけだったのに、自分がもっと雷のころを知りたいと思っていることに気付いた。
彼女が通り抜けると、周囲の人たちがうっとりとした顔で彼女を見つめる。中には話しかけようとして近づいてくる人もいる。そのせいでなかなか先に進めない。
その瞬間、愛美はぴたりと足を止めた。かなり近くで、やつらの気配がする。
「嘘、何でこのタイミングで・・・」
その気配は、少し向こうの路地から漂ってくる。愛美は無理矢理人混みを抜け、その路地に飛び込んだ。枝分かれした道を曲がるにつれて、気配が強まる。そして、これは・・・・・・
「血の匂い!」
最後の角を曲がった彼女の目に映ったのは、槍を持った醜い怪物と、その槍に腹部を刺し貫かれた雷だった。スローモーションのようにゆっくりとした動きで彼の体から血が噴き出す。怪物は愛美を見ると、雷を放り出して消えてしまった。どさり。と音を立て、雷が地面に倒れる。
「真雲くん!」
愛美は慌てて駆け寄った。すでに雷に意識はなく、血が止めどなくお腹の傷から吹き出し続ける。
ー無理だ。こんな傷、もう助からない。
そう思いながらも、声をかけ続ける。
「真雲くん、わたし。愛美だよ!起きて!起きてよ!」
肩を揺すり、頬をたたいてみるが全く反応はない。それもそのはずで、あまりにもその傷は深かった。
お腹に完全に穴が開いているのだから、当然だ。そして、今この瞬間にも雷の体温は下がり続けていた。普通の方法ならば、助かるわけがないということはわかっていた。
ーそうだ、あの方法なら。
その時、愛美の頭の中に、一つの方法が閃いた。しかし、それを実行すれば彼はもう普通の生活を送ることはできない。戦い続けるしかなくなってしまう。でも、きっと彼なら許してくれるはず。
さっきの怪物が使っていた槍を、手のひらに当てる。ひんやりとした感触に、愛美は思わず身震いした。でも、これしか方法はない。
ーこれで、真雲くんが助かるなら。
愛美は、槍を強く押し当て、手のひらを切り裂いた。
ーこんなの、痛くなんてない!
鮮血がぽたぽたと垂れる。雷の顔を上に向け、口を開けさせる。そこに愛美は自分の血を滴らせた。あごを持ち上げ、飲み込ませる。
できることは、全てした。後はそれが間に合っていたことを祈るのみ。愛美は雷の手を両手で握りしめた。途端、手のひらの傷に痛みが走るが、それすらも無視してひたすらに握り続ける。
ーわたしの脈拍が、体温が、真雲くんを目覚めさせてくれますように。
それから、一体どれだけの時間が経っただろうか。左手の傷から血が流れ出ていき、愛美自身も貧血で少し寒気がしてきたころ。
雷のまぶたが、ぴくりと動いた。
雷は、冷たくねっとりとした暗闇をただひたすらにかき分け、進もうとしていた。しかし闇は次第に粘度を増し、手も足もろくに動かせなくなっていった。声を出そうにも、口が開かない。次第に体は闇の底へと沈んでいく。
その時、右手にほのかなぬくもりが宿った。それに続き、優しい声が頭の中に響いた。
ー起きて、真雲くん!
雷の意識は右手を引かれるようにして急に現実へと引き戻された。まぶたを持ち上げると、そこには雷の右手を両手で握りしめ、泣きはらした目でこちらをのぞき込む愛美の姿があった。
かすれた声で、なんとか言葉を絞り出す。
「ま、なみ?どうしてここに?」
雷の声を聞き、彼女ははっとしたように瞬きをした。唐突に、その目から涙があふれだした。
「よかった・・・・・・目が覚めて。」
状況がわからず、立ち上がろうとした雷を猛烈な目眩が襲った。頭から倒れそうになるところを、愛美が受けとめてくれる。
「まだ歩かないで。真雲くん、ひどい出血だったんだよ。まだ立ち上がれるような状態じゃないの。自分のお腹、見てみて。」
そういわれ、先程から猛烈に痛む腹に目をやる。思わず目を見張った。シャツが血まみれだ。
それに・・・
恐ろしい考えが頭をよぎり、そっとその傷口に手を当ててみる。間違いない。腹に穴が開いている。しかも、それが今まさにゆっくりと塞がっていた。それがどこか、自分の体ではないようで、気持ちが悪かった。
雷は人体の構造について割と詳しく知っていた。だからこそわかる。こんな傷を負って、何の処置もしていないのにこうして生きていられるのはおかしい。今はたいした出血もしていない。
地面に腰を下ろし、一息つく。ふと顔を上げ、愛美を見ると彼女は左手を押さえていた。
「手、どうしたの?」
そう問いかけると、彼女の動きがぴたりと止まった。何か、言いづらいことがあるのだろうか。
しばらくの間彼女の瞳は迷っているかのように揺れていたが、やがて決心したように瞬きをすると、こちらをまっすぐ見つめてきた。
「今から話すことは、真雲くんにとって受け入れにくいことかもしれない。でも、真実なの。だから、信じて。」
雷はうなずいた。どっちみちこんな傷を負って生きている時点で何かあるのだろうとは察していた。しかし、愛美の口から語られたのは雷の想像をはるかに超える話だった。
「わたしには、不思議な力があるの。その力は、この世界にいる怪物、悪魔を追い払うための力。真雲くんをさっき襲ったのも、悪魔なの。悪魔は人の欲望を糧として生きる魔物。そんな悪魔たちが暴れないように、倒すのがわたしの役目。
その力のことを人には話しちゃいけないって私を育てたおじさんが言ってた。でも、さっきは真雲くんが死にそうだったし、仕方ないと思って私の血を飲ませたの。私の血を飲むと、怪我や病気がすごい速度で治るようになるんだって。
もちろん、こんなことが人にばれたら狙われる。だから、今日のことは秘密にしてほしい。
それと、わたしの血を飲んだことで、真雲くんも悪魔と戦わなくてはいけなくなった。元々、再生能力とか、身体能力の向上はそのためのものだから。真雲くん、一緒に戦ってくれる?」
あまりの膨大な情報量に、雷はしばらく呆然としていた。悪魔だの、特別な血だの、そんな非科学的なことがあるなんて、以前の彼ならば笑い飛ばしただろう。
しかし、自分に実際に起きた現象と愛美の真剣な口調も相まって不思議と疑問には思わなかった。それに、彼女の力になれるのなら。自分が、彼女の役に立つのなら、戦うのだって別にいいかもしれない。
雷は知らず知らずのうちに頷いていた。
「わかった。誰にもいわないよ。」
それを聞いた愛美は、とびきりの笑顔を浮かべた。まぶしくて、また意識を失うのではないかと不安になる。愛美は雷の脇に腕を入れ、持ち上げた。目眩が再び雷を襲うが、今度は愛美がしっかりと支えていてくれた。彼女は頬がふれあうほどに顔を近づけると、囁いた。
「家まで送るね。」
雷は真っ赤になりながら頷いた。そんな雷の反応を楽しむかのように彼女はこちらを見つめた。その瞳は、いつもよりも一層輝いているように見えた。
雷はふと、その瞳に吸い込まれるような気がして恐ろしくなった。
ついに話が動き始めました。これから色々はちゃめちゃな展開になります