5話 日常の崩壊
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先生が教壇に立つと、周りがさっと静かになった。それを見て爽やかに笑う、坂田担任。さっきは宵月さんに見とれていて気付かなかったが、かなりのイケメンだ。
「この時間は隣の人と親睦を深める時間です。しっかり話すように。」
見た目にそぐわないよい声で先生が言った。ただ、そうは言っても初対面のペアも多くあるわけで、当然気まずい沈黙を作り出しているところも存在する。
雷も、気まずい雰囲気になるのではないかと不安だったが、その心配はなかった。宵月さんは意気揚々と話しかけてきた。先程までのおどおどした態度とは全く違い、すっかり元通りの態度だ。勝手な思い込みかもしれないが、心なしか彼女の表情が明るい気がする。
「さっき下駄箱のところで会ったよね。真雲くん。」
「そうだね。これからよろしく。宵月さん。」
雷がそういうと、彼女は不満そうに唇をとがらせた。そして、おもむろに言った。
「さん付けだと距離感を感じるからさ、愛美って呼んでくれない?」
いきなりのことに戸惑う雷を見て、彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべる。さっきまでの気弱な雰囲気はどこにも見当たらない。むしろずっと大胆だ。
ワンテンポ遅れてからかわれているということに気付いたが、不思議と嫌な気持ちにはならない。少し迷った後に、口を開く。
「じゃあ、愛美?」
彼が名前で呼ぶのを聞いて、彼女は一瞬不意を突かれたような顔をしたが、にこりと微笑んで小さくガッツポーズをした。そして、僕の反応を伺うように上目でこちらをちらりと見た。
その目に、思わずどきりとしてしまう。彼女の目は、ときどき桃色に輝いて見える。その光を目にする度に、雷は愛美から目が離せなくなっていく。このまま彼女に依存しきって、自分は何もできなくなるのかもしれない。そう思うと、少しだけ鳥肌が立った。
そんな雷の様子を気にすることもなく、彼女は話し始めた。
「わたし、運動全般苦手なの。だから、あんまりスポーツは好きじゃないな。真雲くんは?」
「僕は苦手って訳じゃないけど、そんなに得意でもないよ。」
「あはは、それはずるいよ。」
愛美と話していると、時間が過ぎるのをとても早く感じた。雷が愛美のことを名前で呼ぶたびにクラス中から睨まれている気がするが、気のせいということにしておく。
あっという間に授業は終わり、終礼が始まる。初日の終礼はほとんどやることもなく、一瞬で終了した。男子はみんな帰りに愛美を誘おうと必死だが、当の愛美が雷のところに駆け寄っていったので皆泣く泣く諦めて散っていった。
一方、雷は彼女に対する自分の好意が異常なほどに膨らみ続けていることに気付いた。彼女の一挙手一投足に見とれてしまう。まるで病気だ。しかし、愛美はそんな雷の心情など知るはずもなく、明るい笑顔で話しかけてくる。
「それでね、佳奈ちゃんがね・・・って真雲くん、聞いてる?」
「あ、ごめん。ぼーっとしてた。」
それを聞いて、愛美は頬をぷうっと膨らませて怒った表情を作った。そんな表情でさえも、雷の心を激しく揺さぶる。顔を上げると、もう校門だった。
「じゃあ、また明日。」
そう言って雷は愛美と別れようとした。ところが、彼女は雷にぴったりとついてきた。その距離の近さに、思わず頬が赤くなるのがわかる。
「わたしの家もこっちだから。」
そういって彼女は歩き出した。しばらくの間、二人は無言で歩き続けた。やがて、雷の家へと向かう近所の迷宮の入り口で雷は足を止めた。愛美は軽くうなずくと、ふっと微笑んだ。
「またね。」
その言葉を最後に、彼女は角の向こうへ消えていった。
雷は、今日の新しい出会いの余韻に浸りながら迷宮を抜けていった。やがて、家の前へとたどり着く。
「ただいまー」
玄関を抜け、食卓に向かうと妹と母が夕食の支度をしていた。
「おかえり~。今、夜ご飯作ってるからね。」
いつものように、雷も鞄をおいて着替えると手伝いに参加した。そうしているうちに、殺気までの愛美との会話や、行動が夢みたいに遠ざかっていくように感じられた。
それと同時に、見慣れた日常がほんの少しだけいつもよりも色あせて見えた。もしも雷が注意深く窓を観察していれば、そこにいるモノに気付いただろう。だが、彼は家族との食事に夢中で気付くはずもなかった。
窓に張り付いていた黒い影は、一瞬で消えてしまった。
それは、彼の平和な生活に終わりを告げる予兆でもあった。
前を飛ぶ紅煉を必死で追いかけていると、突然空を切る鋭い音がいくつも重なって鳴り響いた。音の方向を見ると、無数の矢が飛んできている。飛び慣れていない僕に回避できるはずもなく、ほぼ全弾被弾する。ところが、全く痛みは感じなかった。僕に矢が通用しないことに気付いたのか、矢の来た方向にあった山に無数の人影が現れた。よくよく観察してみると、それは人ではなく、動物と人間を混ぜたような生物たちだった。
「竜狩りを称して俺たちを狙っている獣人族だ。竜に矢が通用するはずもないのに、無駄なことを。」
前を飛ぶ紅煉が矢の雨を浴びながら言った。
「構うな。どうせ何もできはしない。」
彼について行くしかない僕はおとなしくしたがった。この世界に人間はいないと思っていたが、どうやら似た種族はいるらしい。もしかしたら、人間だっているのかもしれない。
未だにわからないことだらけだが、紅煉の発言をまとめるといくつかのことがわかった。
僕は、黎という名の竜であるということ。
次に彼、紅煉は僕をよく知っているということ。
「天龍様」という存在。
そして、これは転生などではなく、僕は記憶を失っているだけで以前からこの世界にいたということ。
そして最後、「壁」の存在。しかし、紅煉と行動を共にし始めてから1度も壁には遭遇していない。それに、彼の口からも「壁」らしきものについて言及されたことはない。もしかすると、僕しか知らない情報なのかもしれない。それを踏まえ、慎重に言葉を選んで発言する。
「紅煉、僕はどうやら記憶を失っているらしい。だから、教えてくれないか。僕の使命がなんなのか。」
それを聞いて、紅煉は勢いよく鼻から息を吐いた。
「まあ、そんなところだろうな。薄々予想はしていたが・・・・・・本当に面倒だ。」
そう言うと、紅煉は急に高度を下げ始めた。慌ててそれに続く。すると、紅煉の体が紅く光り、徐々に縮み始めた。唖然としてみていると光がおさまり、その中から浅黒い肌と赤茶色の髪の青年が現れた。一見すると人間のようにも見えるが、細かいところが違っていた。その右耳の後ろからは不思議な輝きを放つ角のような結晶が生えており、耳も人よりも長くとがっている。さらに印象的だったのはその眼だった。
まつげは人よりも長く、炎が宿っている。また、動向は爬虫類のように縦長で、紅く光っていた。
その青年は僕を見つめると、いらついたように顔をしかめた。
「その姿だと目立つ。さっさと人の姿になれ。さっきのように念じれば戻れるはずだ。」
そう言われ、再び目を閉じて念じる。
ー僕は人だ。
自分の体が縮んでいくのを感じた。完全に人の姿になると僕の体は重力に従い、落下した。完全に不意を突かれ、尻を強打した僕はしばらくの間痛みのあまりうずくまった。
そんな僕を紅い燃えるような瞳で冷ややかに見下ろし、僕をおいて歩き出してしまった。
「ちょっと待ってくれよ!何で人の体になった瞬間にこんなに不便なんだよ!」
「それを今から教えてやるんだよ。ほんっとにめんどくせえ。」
紅煉はいらついたようにそばにあった木を蹴った。すると、木がへし折れて吹き飛んだ。あまりの力に僕は少し恐ろしくなってきた。
「なんだ?怖いのか?」
紅煉が挑発するように嗤った。
「怖くなんてないよ!早く教えてくれよ。僕が、何をするべきなのか。」
紅煉は一瞬目を閉じたが、ゆっくりと目を開けると語り始めた。それは、どんなおとぎ話でも聞かないような奇妙奇天烈な物語だった。