第一章 19話 「梅雨を置き去りにして」
ギィッと不気味な音を立て、扉が開く。
不気味だが、確かにそれだけではない明確な悪意の気配を感じる。
(来るなら来い。)
雷は全身を緊張させ、一歩前へ踏み出す。突然袖を引っ張られ、雷はびくりと体を震わせた。
「・・・どうしたの、愛美?」
「あの、そのっ、えっと。」
愛美は体を震わせながら青ざめた顔で小さくつぶやいた。
「わたし、こういうの無理かも・・・!」
先ほどまで恐怖で体がこわばっていたというのに、不思議と笑みがこぼれた。
(よかった。自分よりも怖がっている人がいて。)
「朝、僕のことからかってこなかったっけ?」
「ご、ごめんなさい!あなたの気分を害するつもりは・・・」
「気分を害したなんてそんな。大丈夫だよ。僕がいる。」
つい勢いでその細い肩を抱き寄せる。
「安心して。大丈夫。」
「雷くん・・・!」
愛美がほっとしたようにしがみついてきて、雷の心臓がバクバクとうるさく脈打つ。
その瞬間、鋭い音を立てて先ほどまで愛美の顔があった位置を槍が通過していった。
「「・・・っ!」」
ロマンチックな空気を一瞬で吹き飛ばされ、状況は戦闘に遷移する。
今回の悪魔は、雷が一番最初に会ったものと同じ、槍使いだった。屋内だというのに、槍を天井や壁に引っかけることなく器用に攻撃を仕掛けてくる。
「愛美、後ろに下がって!来い、ファルシオン!」
銀光をきらめかせ、手元に召喚された曲剣で連撃を必死でいなす。そらせなかった攻撃が愛美に迫るが、左腕ですべて防ぎきる。
「雷くんっ!『治癒』!」
愛美の魔法が腕を治し、痛みが異様な速度で消えていく。
(足場が悪い。あんまり強く踏み込んだら、床が抜けて相手の思うつぼだ。でも、相手は羽があるし、浮いてる。足場の悪さに期待はできないな。)
悪魔は、宙に浮ける分強い。それは、約10回にわたる戦闘で嫌というほど理解している。
(でも、ここなら天井がある。通路も狭い。僕の体が邪魔で愛美を狙いにくいけど、愛美の魔法も届きにくい。なら・・・)
連撃が次々に繰り出され、すべてをそらし、壁に槍を突き刺させようと奮闘する。しかし、無理だった。壁がもろすぎてすぐに引き抜かれてしまう。
「『偽・束魔狼鎖』!」
愛美が鎖での高速を試みるが、槍にすべて絡め取られ、愛美が引きずられる。
「愛美!解除だ!」
「っ!うん!」
愛美が鎖を解除したため、悪魔は勢い余って体勢を崩した。
「そこだっ!」
剣の一撃が悪魔の脇腹を深々と捉え、猛烈な勢いで吹き飛ばした。おんぼろの廃墟の壁が耐えられるはずもなく、大きな風穴が開く。
轟音と埃が廃墟を揺るがし、やがて静寂が訪れた。
雷は剣を宙に置いた。役目を終えた魔剣は、音もなくどこかへと消えた。
「・・・終わった。」
「危なかったね・・・」
悪魔が再び襲ってくることはなく、二人の声は廃墟の壁に吸い込まれていった。
数秒の間を置き、愛美が再び雷の腕にしがみついてきた。
「ごめん雷くん、やっぱり怖いよ・・・」
「さっきまではあんなに普通に戦ってのに?」
「悪魔と戦うときは、怖いとかないもん。」
「じゃあ、早く帰ろう。こんな出そうな場所、僕だってあんまり長居はしたくない。」
小さくなって震えている愛美と一緒に、雷は玄関へと向かった。
その背後で、ミシリ、と床が軋んだ。
「雷くん、後ろ!」
愛美の悲痛な声で後ろを振り返る。背後から、槍が迫る。
(やばい、この体制からじゃ避けられない!)
その矛先は雷の心臓を正確に指していた。
(殺られる。)
すべてを諦め、雷は目を閉じた。数秒が経過した。
しかし、一向に槍はやってこない。恐る恐る目を開け、目の前の光景を見た雷は息をのんだ。
愛美が槍と雷の間に入り、受け止めていた。鋭い刃先が彼女の細い体を貫き、鮮血が飛び散る。こほっと音を立て、愛美が吐血する。それを見て、どす黒い感情が、腹の底からこみ上げてきた。絶叫したいほどの不快感、怒り。しかし、それをしたところで何が変わるわけでもないと言うことは、雷自身が一番よくわかっていた。
「・・・退け。愛美から離れろ。」
自分でも信じられないほどに、低い声だった。
『魔法を使うときは、その結果をイメージしながら使うんだよ。』
記憶の奥から、愛美の言葉が浮かび上がってきた。
右手に力が集まっていく様子を、イメージする。そしてその手で、敵の首を潰す。
その瞬間、雷は自分の体に流れる何かを確かに感じた。
(これが、魔力。愛美の言っていた力。)
右手に力を集め、悪魔の頸椎を握る。そして、そのまま躊躇いなく握りつぶした。悪魔がひどく長い断末魔の後に塵となって消えると、支えを失った愛美が崩れ落ちた。
急いで駆け寄り、抱き起こす。愛美は痛みをごまかすかのように不器用に笑みを浮かべた。
そして、荒い息をしながら口を開く。
「あ、はは。やっぱり、死なないってわかってても、こわい、ね。雷くんに、雷くんばっかりに、いっつも・・・い、痛っ!」
「無理しないで。まずは再生を優先しよう。」
雷の言葉が聞こえなかったのか、聞こえたがわざとなのか、愛美はそれを無視し、堰を切ったように勢いよく話し続ける。
「雷くん、いつも、ごめんね・・・・・・こんなに痛い思いをしてるんだね。わたしだけ、ずるいよね。やっぱり、前までみたいに、わたしも前に出て戦うべきなのかな・・・」
そう言い、愛美はそろそろと胸に刺さった槍を抜いていった。激痛で、彼女の顔が歪む。長い痛みの後にどうにか槍が抜け、愛美は傷を押さえてうずくまった。その両目にはあふれんばかりに涙がたまっているが、彼女はどうにかこぼさまいとして必死に瞬きをしている。
「んっ・・・ごめん、すぐには動けそうにない、かな。ちょっと待ってて、治るまで・・・」
それを聞いて、雷は虚しくなった。今までは、愛美が一人で戦っているときは、こうして痛みに耐えてきたのだ。それに比べ、自分は怪我をするたびにいつも愛美の治癒魔法に治してもらう。彼女の力になりたいと言っておきながら、助けられてばかりだ。そんな自分が、恥ずかしかった。
どうにかして、彼女の痛みを和らげられないだろうか。
右手を出し、愛美に向ける。さっき魔力を使えるようになったのなら、治癒魔法も使えるのではないか。そう思い、目を閉じて祈る。
(愛美の傷が癒えますように。)
彼女の息をのんだ音で雷は目を開けた。愛美の傷は、完全に治癒していた。
愛美はほっとしたような笑顔を浮かべた。だが、一瞬の後にその目尻から涙がこぼれ落ちた。
「大丈夫?まだ痛い?」
不安になった雷が訪ねると、愛美はゆっくりと首を振った。
「人の治癒魔法って、こんなに暖かいんだね・・・・・・知らなかった。」
そう言って、顔をゆがめた。その目から涙が、ぼろぼろとこぼれ続ける。彼女自身も驚いて流れ落ちる涙を見つめているが、どうやら止まらないらしい。ずっと一人で戦い続けていた彼女は、治癒魔法の優しさに初めて触れたのだ。
雷はそっと彼女の涙を拭ってやった。
「僕たちは、お互いに助け合おう。今まではずっと誰にも言えない、孤独な戦いだったけど、今は僕がいる。君は一人じゃない。」
愛美は潤んだ目に光を湛え、こくりと頷いた。
「ありがとう、雷くん。あなたがいてくれるから、わたしはこれからも戦える。」
そう言って涙を流しながら笑う彼女は、雷の目にこれまで見た姿の中でも一番可憐に映った。
愛美の涙が止まると、彼らは建物の外に出た。しかし、
「うわぁ。土砂降りだね・・・・・・」
バケツをひっくり返したような雨に、愛美の声もわかりやすく沈んでいる。悪魔との戦闘の短い時間のうちに天気は急変し、あたりは灰色に塗りつぶされていた。
雷も傘はないかと辺りを見回すが、ボロボロになった穴あきのビニール傘が柱に立てかけてあるのみだ。あれでは、雨が全くしのげない。その上、ボタンを押しても骨組みが歪んでいるせいか、開かない。
仕方がない。走って帰るほかないのか。
こっそり愛美を見ると、彼女は空を見て顔を曇らせていた。
(なんとかしてあげたい。)
そんな気持ちが芽生えた。
ふと、思いついた。治癒魔法は、無生物にも効果があるのだろうか。傘をとり、イメージする。
(傘よ、元の姿に。『治れ』。)
しかし、反応はない。
(いや、待てよ。傘よ、『直れ』。)
今度は成功だった。バサッと言う音を立てて傘が雨粒を弾き、開いた。
愛美の表情がぱあっと明るくなるのを見て、雷は満足だった。
胸の前で手を組み、こちらを見る彼女に、そっと傘を差し出す。彼女は驚いた顔でおずおずと傘を受け取った。
「さあ、帰ろう。」
そう言って雷は、依然として強まる雨の中へと踏み出していった。雨が激しく打ち付け、一瞬でずぶ濡れになる。じっとりとした服は梅雨の湿った空気にうんざりしていた体に追い打ちをかけたが、雷は愛美の笑顔が見れただけで十分だった。
そのとき、後ろからぱたぱたという軽やかな足音が聞こえてきて、雷は振り返った。
と、頭上の雨が消えた。愛美が微笑みを浮かべて、傘を掲げていた。彼女が雷の服を指さすと、その先の一点から服が湯気を上げて乾いていった。
「わたしたちは、お互いに助け合う、でしょ?」
そう言うと愛美は雷の手を取り、降りしきる雨の中を駆けだした。握られている手から愛美の鼓動が伝わってくる。走っているせいか、それともそのほかの理由があるのか、彼女の鼓動はとても速く、強く脈打っていた。。
雷も彼女につられ、走った。次第に、彼の足が速まる。いつの間にか二人の位置は逆転し、雷は愛美の手から傘を受け取ると水を跳ね飛ばしてさらに速く駆けた。
街灯の明かりが、閉店して消えていく店の明かりが、水滴ににじんで後ろに流れていく。長い距離なのに、不思議と疲れは感じなかった。
気づくと、もう愛美の家の前だった。
「じゃあね!今日はありがとう。」
ぶんぶんと玄関で手を振っている愛美に手を振り返し、雷は家路についた。握られた手のぬくもりが、不快な蒸し暑さを煽りながら降りしきる雨の中でも、ずっと残っていた。
ついに雷が魔法を使えるようになりました!
これからも悪魔との戦いは続きますので、見守ってください。




