第一章 18話 「梅雨の足音」
どんよりとした灰色の雲が、空を覆っている。梅雨の重い湿った空気が肌の表面からしみこんでくるような気がして、実に不快な天気だ。
寝起きには大分しんどい環境で、雷はうんざりしながら家を出た。足取りも重く、いつも通りの道をたどる。
「おはよっ雷くん!」
そんな暗い憂鬱も、愛美の笑顔で吹き飛んでしまう。
「おはよう、愛美。元気だね。こんな嫌な天気でも。」
「だって、朝から暗い気分だと一日中暗い気分のままだよ!」
雷の背中に抱きついて、愛美は明るく笑った。
(だから、距離感おかしいって。)
こんな美少女にここまで密着されて、好きにならない男子なんて存在するはずもない。しかも、自分が好意を持っている相手に。この場合、相手が自分に好意を持っていることの確信を持てないと言うことが問題だが。
「早速だけど雷くん、ちょっと話があるの。いいかな?」
「う、うん。いいけど、何?」
「ちょっとついてきて。」
そう言い、愛美は雷の手を引いて走りだした。
(手、暖かいな。)
湿った蒸し暑い空気とはまた違ったぬくもりが手先から伝わり、心まで温まるようだった。
そうしているうちに、愛美は足を止めた。辺りを見回すが、そこはいつもとは違う道だった。
「あれ、こっち学校の方面じゃないよ?」
「あ、うん。今日下校するときに、ここに寄ろうと思って。」
愛美が指さしたのは、ホラーゲームでしか見ないようなおんぼろの廃墟だった。なぜ取り壊されないのかが不思議なくらいだ。
「ここ、廃墟みたいだよ?」
「うん!しかも、出るっていう噂だよ!」
「えっ・・・。」
あまりホラーが得意ではない雷は、思わず数歩後ずさった。
「あれれぇ~?怖いのぉ~?」
「・・・え?」
いつもと違ったキャラ作りに、困惑する。
「あれ、だめだった?男の子って、こういうのが好きなんじゃないの・・・?」
次第に自信なさげに声が消えていく。そんな様子さえも可憐で、どうしようもないくらいに魅力的だった。ふと笑みが漏れ、それをごまかすように雷は口を開いた。
「いや、好きな男子も多いと思うよ。純也とか。でも、君はいつも通りが一番かわいいと思うから。」
(やば、ちょっと言い過ぎたかな。)
調子に乗って気取ったことを言ってしまい、少し後悔する。案の定、愛美は顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。
「だめだよ・・・。そんなこと簡単に言ったら・・・。」
愛美は怒った表情を作り、言った。
「雷くん、もしかしてすごい女たらしなの?」
「そんなことないよ!そんなの言ったら君の方が男たらしな気がするけど。」
可愛い顔でとんでもないことを言い放つ愛美に、とっさに言い返す。
「わたしは可愛いだけ・・・だよ?」
「否定できない・・・」
普通はこんなことを言われたら多少反感も覚えるだろうが、愛美が言うと全く自慢に聞こえない。
(だって、本当に可愛いんだから。)
またしても愛美に釘付けになっている自分に気づき、慌てて首を振る。
「で、結局何でここに行くの?」
「あ、ここに悪魔がいるみたいだから、帰りに討伐しに来よう、ってこと。」
「・・・ん?」
(でたよ。突然の悪魔討伐。)
もう10回以上悪魔と戦っている身として、いい加減慣れてきてはいるが、やはりこの天真爛漫な笑顔から「悪魔討伐」という言葉が出てくるとどうしても困惑する。
「そんな、『放課後部活で』みたいな感覚で言われても。」
「確かに。ちょっと気楽に言い過ぎたかも。あ、そういえば雷くんって何部だっけ。」
「帰宅部、だね。愛美は華道部だっけ?」
「うん。運動はちょっと苦手だから。運動できる雷くんが一緒に戦ってくれて、とっても助かってるよ。」」
運動ができる、と褒められはしたものの、雷の知り合いには純也という化け物がいるので、なかなか素直にうなずけない。無論、人並みに運動ができる自信はあるのだが。
「よし、説明も終わったし学校行こっか!遅刻しちゃまずいしね!」
複雑な気持ちで立ち尽くす雷の手を引いて、愛美は学校へ向かった。
終礼が終わり、雷が鞄に荷物を詰めていると、肩をつつかれた。
「わたし部活があるから、終わるまで待ってて?」
「あ、わかった。じゃあ、玄関前で待ってる。」
「うん!また後でね~!」
愛美はウインクをして、去って行った。
(何して待とう。図書館で本でも借りるか。)
本を読むのが好きなので、雷はすっかり図書館の常連となっている。しかし、図書館まで行ってみると生憎閉館日だった。
「うわ、まじか。汐帆の本かえせねーじゃん。」
後ろから声が聞こえて、振り向く。そこには、一人の男子生徒が本を抱えて立っていた。見たことがない顔なので、おそらく先輩だろう。
「あの、そこに閉館時用の返却ポストありますよ。」
「お、マジじゃん。さんきゅ、俺、全然図書館来ないからわかんなくてさ。」
本を返すと、その先輩はいそいそと帰っていった。と思ったが、途中でUターンして帰ってきた。
「俺、谷口汪太。君、名前は?」
「えっ、ま、真雲雷です・・・。」
「あれ、君もしかして純也の親友?」
(あれ、純也のこと知ってる?)
「はい、そうですけど。」
「俺、あいつの先輩。またあったら声かけてくれよ~!」
そう言って、谷口先輩は走り去ってしまった。
(嵐のように去って行ったな。そういうところは純也と似てる気がする。)
長い廊下のはずなのに、谷口先輩の姿はものの十秒もしないうちに体育館へ消えた。
(足はっや。純也と張れるんじゃないか。)
図書館にも入れないので、雷は玄関で待つことにした。
(そういえば、谷口汪田って名前、どっちも名字みたいな響きだな。)
一時間ほどたって、愛美が走り出てきた。
「ごめ~ん、お待たせ!」
「ううん、そんなに。一時間ちょっと。」
「めちゃくちゃ待ってるじゃん。ごめんね、待たせて。」
続いて少し体を前に傾け、上目で言う。
「じゃ、行こっか!悪魔討伐に。」
朝来たときと同じように彼女に手を引かれ、曇天模様の空の下、雷は廃墟へと歩き始めた。
「と、来てはみたものの・・・」
「「やっぱりボロい・・・」」
あまりのぼろさに、二人の台詞がハモる。
「ふふっ。」
「っはは。」
二人で顔を見合わせて笑う。こうやって笑っていられるのも、家の外にいる今のうちだけなのだから。
「雷くん、怖かったらわたしに抱きついてもいいんだよ?」
「ちょっと恥ずかしいかな・・・」
二人は手を取り合い、家へと足を踏み入れた。




