後編
名札には
「コウノトリ引越センター アルバイト 田辺アキラ」
父の本名だった。
私は荷物を戻しバッグをそっと閉じた。
当たり前だが、父は宇宙なんか行っていない。
隣の家──たしかに引っ越し準備をしていた。
考えてみれば宇宙服のような銀色はCMで見覚えがあった。
玄関ドアを通らない物は、2階のベランダから搬出。足を滑らせ庭に転げ落ちた……と。
私はため息をつきながら自室に戻った。
――
夜
風呂上がりのタイミングで、私は我慢出来ず父に聞いた。
「ねえ、なんで宇宙飛行士のふりしたの?」
父は答えなかった……しばらくの沈黙。
「隣の家のベランダでバイトしてたでしょ?」
父は小さな声で言った。
「おまえ何歳になった?」
「中3」
「そうか、もうそんなになるか」
遠くを見つめるように言った。
「出て行った時は小学生だったもんな」
私は答えずにいた黙って聞いた。
「だから宇宙から帰ってきたってことに、したかったんだよ」
「どういうこと?」
「7年も家を空けて、何もせず帰ってきたなんて言えなかった。せめて理由くらいカッコつけさせてくれよ」
「宇宙飛行士は地球を離れたけど、戻ってくるために訓練してるんだ」
「なにそれ?」
「つまりだな、言い訳をカッコよくしたかったんだよ。ちゃんとした理由で会い来たかった」
バイトの途中で隣家のベランダから転落。たまたま実家の庭に落ちる。間抜けで漫画みたいな展開。たしかにギャグだ。
自分で落ちたくせに重力のせいにして。
自分でいなくなったくせに任務から帰ったようなていで。
馬鹿らし過ぎてもう許す。
――
次の日から、父は宇宙飛行士としての帰還任務を本格的に始めた。
「地球での再適応訓練だ」と、朝は近所をランニング。日中は「ミッションセンターに行ってくる」と言ってるが、バイトかハロワ辺りだろう。
そんな生活を1週間も続けた頃
私はふと思いつきで父に声をかけた。
「ねえ、宇宙基地作らない?」
父は驚いたような顔をしたあと笑った。
「おっいいな!どこに作る?」
「家の中はお母さんに怒られるから庭」
庭を指差しながら答える。
父が真面目な顔になり「そうだな」と頷く。
「資材は?」
「段ボールとかブルーシートでいいじゃん」
「優秀な設計者だな」
私と父は段ボールとブルーシートの【宇宙基地】を組み上げた。母は呆れ顔をしてなにも言わなかったが、縁側には2人分の麦茶が置かれていた。
小学生の頃、私はこういう遊びが好きだった。父といっしょに秘密基地を作り、探検ごっこをした。あの頃の続きを今やっているだけ。
「ここは発射基地にするか!」
父が延々と無駄な装置を増やし続けている。
私は遊ぶ事も無くなり、ブルーシートに寝転びながら聞いた。
「父さん、本当はどこにいたの?」
「まあ、あちこちさ。仕事転々として、ネカフェ暮らししてた時期もあった。」
「なんで帰ってこなかったの?」
父は段ボールを見つめたまま言った。
「帰ってきたとき、俺のこと忘れてたらどうしようって怖かったんだ」
「忘れてなんかないよ!空から落ちてきたとき、すぐに分かったもん」
「ほんとかよ!」
「ほんとに、宇宙から帰ってきたみたいだったもん」
父は少し笑った。
その夜、段ボールの宇宙基地は雨で崩れた。
1日も持たないとは少し淋しい気もした。
――
宇宙基地ごっこをした翌週、父は急に「明日から遠くへ行く」と言い出した。
「遠くって?」
「バイト見つけたんだよ。今度は正社員登用もある所でさ」
空を見上げながら父は続けた
「今度はちゃんとした帰り方を覚える訓練だよ」
「はぁ?7年ぶりに帰ってきたのに、またどっか行くなんて意味わかんない」
「だよな……俺もそう思う」
父は私の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「今度は訓練してちゃんと戻るからさ、そしたらまた宇宙基地やろうぜ」
「高校生になっても?」
「もちろん!俺なんて大人だしな」
冗談みたいに言う。
ただ父の口ぶりは真剣だった。
父はそのまま旅立った。
小さなリュックとちょっとだけマシな顔つきで。
ベランダからその背中を見送る――私は心の中でつぶやいた。
「また帰ってこいよ宇宙飛行士」
――
3年が経った。
私は高校生になった。
父の消息は、ぽつぽつとメールで届いていた。スタンプだけのときもあれば「今日はフォークリフトの免許取った」とか「アイスのガチムチ君当たった」とか雑談も多い。
でも帰ってくる気配はなかった。
ある日、学校から帰ると庭にブルーシートが敷かれていた。
「はぁ?」
一瞬だけ過去と重なった。
「訓練終了――再突入を完了しました」
間違いなく父だった。
「遅くなった」
「また、落ちてきたのかと思った」
「今度はちゃんと歩いてきたよ」
その言葉に不意に涙が出そうになった。
「宇宙基地、また建てる?」
「おう!今度は2階建てな!」
2人で並んで玄関のほうへ歩いた。
父がぽつりと言った。
「春から正社員になれそうだ。こっちの支社に空きがあるってさ」
私は黙ってうなずいた。
家のドアを開けると母がキッチンで振り返った。
「おかえり」
父は照れたように、でも胸を張って言った。
「ただいま……地球は良い星だな」
母は「まったく、信じらんない」 と言いながら、少し泣いていた気がする。
――
エピローグ
翌週の日曜
私と父は庭に新しい宇宙基地を建てた。
段ボールじゃなくて、木材と工具を使う本気なやつだ。
今度は雨でも壊れないようにする。
作業の途中で父が空を見上げた。
「ここからじゃ宇宙なんて見えないな」
「でも降ってくるのは見える」
「……そうか?」
「父さんみたいに」
父は恥ずかしそうに笑い、ドライバーでネジを締めた。
父が1度出ていった後は、私がしっかり家で待つ役だった気がする。
だからこの基地は、街中にある宇宙飛行士の着陸地点なのだ。
おわり